加耶―古代東アジアを生きた、ある王国の歴史―
開催概要
開催期間
2022年10月4日(火)~12月11日(日)
会場
国立歴史民俗博物館 企画展示室A
料金
一般1000円/大学生500円
※総合展示も合わせてご覧になれます。
※高校生以下は入館料無料です。
※高校生及び大学生の方は、学生証等を提示してください。(専門学校生など高校生及び大学生に相当する生徒、学生も同様です)
※障がい者手帳等保持者は手帳等提示により、介助者と共に入館料無料です。
※半券の提示で、当日に限りくらしの植物苑にご入場できます。また、植物苑の半券の提示で、当日に限り博物館の入館料が割引になります。
開館時間
9時30分~16時30分(入館は16時00分まで)
※開館日・開館時間を変更する場合があります。
休館日
毎週月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、翌日休館)
共同主催
大学共同利用機関法人人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館、
大韓民国国立中央博物館、九州国立博物館
備考
今回の企画展示は、個人的利用目的に限り撮影が可能です。
※フラッシュ・三脚等の使用はご遠慮ください。
趣旨
加耶(かや)とは、日本列島の古墳時代と同じ頃、朝鮮半島の南部に存在した、互いに協力し、時には競い合いながら活躍した国々のことです。おおむね4~6世紀に、海上交易と鉄生産を一体として運営し、東の新羅(しらぎ)や西の百済(くだら)、海をはさんだ古代日本の倭、そして遠く中国などとも交流を重ねながら、大きな成長をとげました。しかし、新羅と百済という強国のはざまの中で、徐々に勢力が弱まり、562年には滅亡してしまいます。
今回、大韓民国国立中央博物館の全面的な協力のもと、加耶の墳墓から出土した金銀のアクセサリー、整美な土器、武威をしめす武器や馬具、成長の礎となった鉄、そして対外交渉をしめす外来の品々など約220点の資料を展示することにより、加耶のなりたちから飛躍、そして滅亡までの歴史を明らかにします。日本国内で加耶の至宝が一堂に会して展示されるのは、実に30年ぶりのことです。
今回の展示では、加耶と倭の交流の移り変わりについても考えていきます。加耶は倭が最も緊密に交流した社会の一つです。倭は、加耶との交流を通して、当時の先進の情報や技術、道具を入手し、それを自らの文化として定着させていきました。それは、須恵器と呼ばれる硬い焼き物、鉄の道具、金工、馬の飼育、灌漑、ひいては蒸し器などの炊事道具や新しい暖・厨房施設(カマド)など実に様々です。その動きが最も盛んだった5世紀を「技術革新の世紀」と呼ぶこともあります。倭の歴史を知るためには、加耶の歴史にも目を向ける必要があります。
本展示を通して、海をはさんだ加耶の歴史を体感しながら、日韓両地域の悠久の交流が現在、そして未来へと続いていくことに思いをはせることでしょう。
加耶の耳飾り
陜川玉田(ハプチョンオクチョン)M4号墳出土
6世紀前半
耳にとりつける環の下に華麗な飾りを垂らした金製の耳飾り。山梔子(くちなし)の実のような垂れ飾りは大加耶の耳飾りの特徴である。有力者のみが装着できたものである。
※今回、上記資料の右側のみ展示されます。
本展のみどころ
- 最新の発掘調査の成果を通して、加耶の興亡の歴史や華麗な文化に光をあてる。
- 日本国内では30年ぶりに、約220点の加耶の至宝が一堂に会する。
韓国の重要文化財(宝物)に指定された加耶の金銅製の冠も展示する。 - 加耶の古墳で出土する倭の文物を通して、加耶と倭の緊密な交流の様子を浮き彫りにする。
- 加耶の歴史、加耶と倭の交流史を体感することで、いにしえから現在、そして未来へと続く日韓の交流に思いをはせる。
展示の構成
※資料所蔵機関との調整により、章の構成と出品資料が変更になる場合があります。
プロローグ 加耶とは何か
日本列島の古墳時代と同じ頃、朝鮮半島の南部に、互いに協力し、時には競い合いながら活躍した国々がありました。この国々をあわせて加耶と呼びます。考古学的には、金官加耶(きんかんかや)、大加耶(だいかや)、小加耶(しょうかや)、阿羅加耶(あらかや)などの国々が確認できます。おおむね4~6世紀に、東の新羅(しらぎ)や西の百済(くだら)、海をはさんだ古代日本の倭、そして遠く中国などとも交流を重ねながら、成長をとげましたが、562年に滅亡してしまいます。
4世紀には成立していた加耶諸国の中で、最初に力を誇ったのは、金官加耶でした。洛東江(らくとうこう)の河口に位置する今の慶尚南道(けいしょうなんどう)金海(キメ)市一帯に中心がありました。かつてその一帯は「古金海湾(こキメわん)」と呼ばれる湾でした。金官加耶はこの天然の良港を掌握し、東アジアの様々な社会と活発に対外交流を重ねました。また鉄を大々的に生産し、それを交易品として活用します。鉄生産と海上交易を一体として運営していくことに、金官加耶の隆盛の背景がありました。しかし5世紀を迎える頃、北の高句麗(こうくり)の攻撃を受けたことにより、徐々に弱体化していきます。
その金官加耶と入れ替わるように加耶の盟主となったのは、今の慶尚北道(けいしょうほくどう)高霊(コリョン)郡を中心とする大加耶でした。各地の墳墓から出土する大加耶系の金銀のアクセサリーや装飾大刀は、大加耶の中央による社会統合の意図が込められています。479年には加耶諸国の中で唯一、中国への遣使を実現させるほどの勢力を誇り、倭とも密接な交流を積み重ねました。
しかし、6世紀に入ると、新羅と百済という強国のはざまで、その勢力に陰りが見えてきました。532年に金官加耶が新羅の影響下にはいった後には、衰退の一途をたどり、ついに562年、大加耶は新羅の軍門に下ります。ここに加耶の歴史は幕を下ろすことになりました。
加耶の領域と王墓群
Ⅰ 加耶を語るもの
① 重厚で華麗な武装
② 豊かな鉄
③ 加耶土器の美
④ 壮大な王陵
加耶が何を成長の礎とし、どのような文化を育んでいたのかを示すものは、大きく4つあります。重厚な武装を整えていたこと、鉄生産と交易を一体として運営していたこと、華麗な土器を生み出していたこと、そして加耶の諸国それぞれが特色ある王陵群を営んだことです。そのことを示す文物の美と圧倒的な存在感から、加耶独特の文化を体感することができます。
加耶の甲冑
伝 金海退来里(キメテレリ)出土
甲冑は4世紀を前後する時期に登場する。大小の鉄板を折り曲げて革ひもや鋲で固定して製作した短甲には、渦巻き状の文様(蕨手文様)が取りつけられている。金官加耶圏で多く出土し、有力者や王の権威を象徴する役割をはたしていた。
鍛冶の道具
金海退来里所業(キメテレリソオプ)遺跡
4世紀末~5世紀前半
鉄をはさむ鉄鉗(かなはし)ときたえる鉄鎚(てっつい)。退来里所業遺跡は鍛冶集団の墓地で、墓には豊富な鉄器や鍛冶の道具が副葬されている。
金官加耶の土器
長頸壺(ちょうけいこ)と鉢形器台
金海大成洞(キメテソンドン)1号墳
4世紀末~5世紀前半
曲線的なプロポーションが特徴的で、波状文、鋸歯文、組紐文、半円コンパス文など多様な文様が施される。
※今回、この資料は展示されておりません。
咸安末伊山(ハマンマリサン)古墳群の遠景
5、6世紀が中心の時期
阿羅加耶の王陵群。周辺を見とおせる低丘陵上に築かれ、それぞれの墳墓が独立した墳丘をもっている。現状で130基余りが確認されている。
Ⅱ 加耶への道
① 東アジアと海の道
② 墳墓からみた加耶
③ 盟主としての大加耶
④ 大加耶の飛躍
加耶は東アジアのさまざまな社会を結びつける役割を果たしながら、多彩な墳墓文化をはぐくみました。古代東アジアの中でも、墳墓にその歴史がよく反映されている社会のひとつです。墳墓の規模や形、副葬品、その移り変わりから、加耶の歴史をひも解いていきます。
青銅容器 銅鼎(どうかなえ)
金海良洞里(キメヤンドンリ)322号墓
3世紀中頃に副葬
加耶の前身、弁韓の有力者が中国から入手したもの。製作は紀元前1世紀ごろとみられる。弁韓の段階で活発な海上交易を行っていたことがうかがえる。
ガラス玉の頸飾り
金海良洞里(キメヤンドンリ)162号墓
3世紀
弁韓の有力者が身につけたもの。色彩豊かなガラス玉で構成されている。
高霊池山洞(コリョンチサンドン)古墳群の近景
5、6世紀が中心の時期
大加耶の王陵群。現状で大小700基余りの墳墓が確認されている
金銅製の冠
【大韓民国指定宝物】
高霊池山洞(コリョンチサンドン)32号墳
5世紀中頃
大加耶の有力者が身につけた冠。半円形の板の左右と上部に宝珠形の立飾りが取り付くもので、全体に細かい彫金が施されている。これと類似したものは、日本列島でも出土している。
Ⅲ 加耶人は北へ南へ―4世紀
① 東アジアとのつながり
② 金官加耶と倭
4世紀の加耶の対外交渉を主導したのは、金官加耶でした。近年の調査や研究では、東アジアに広がるネットワークを活用しながら、近隣の、そして遠方の社会と関係を深める姿が明らかにされつつあります。鉄を交易品とし、大規模な港を整備しながら、国際社会にのりだす金官加耶の姿を描き、倭との関係についても紹介します。
晋式帯金具
金海大成洞(キメテソンドン)88号墳
4世紀中頃
腰に巻く帯に取り付けられる帯金具に、精緻な龍や鳳凰、虎などの動物文や、三葉文を透彫で表現したもの。中国の西晋から東晋で製作されたもので、中国東北部や朝鮮半島、そして日本列島にも点的に広がる。
Ⅳ 加耶王と国際情勢―5世紀~6世紀初め
① 大加耶の対外戦略
② 大加耶・小加耶と倭
飛躍をとげた大加耶が、中国南斉(なんせい)に使者を派遣したのは、479年のことでした。百済や新羅、そして倭との安定した関係の中で、政治経済的な地力を国際社会にアピールすることが目的でした。その対外関係をしめす外来の文物を紹介しながら、最盛期を迎えた大加耶の姿に光をあてます。あわせて、大加耶や小加耶と倭の交流の移り変わりについても展示します。
鶏首壺
南原月山里(ナムウォンウォルサンリ)M5号墳
5世紀末~6世紀前半
壺に鶏首の装飾や把手を取り付けた青磁。中国から入手した陶磁器は、百済や加耶、新羅の中で、王権を中心として有力者の間でやりとりをされている。月山里M5号墳の被葬者や造営集団に青磁を贈った主体は、大加耶もしくは百済の王権ではないか、と考えられており、中国南朝とのつながりを重視していたことを示している。
加耶の墳墓で出土した倭の甲冑
高霊池山洞(コリョンチサンドン)32号墳
5世紀中頃
加耶では様々な階層の墳墓に、しばしば倭の甲冑が副葬されることがあった。5世紀の倭において、甲冑はそのやりとりや保有によって倭王権とのつながりを示す威信財としての性格が強い。加耶で出土する倭系甲冑も、倭との緊密な関係を表象する文物の一つであったようだ。
Ⅴ 加耶のたそがれ―6世紀前半~中葉
① 強国のはざまで
② 滅亡まで
6世紀に入ると、新羅、百済という強大な社会が、加耶の地の統合をもくろむようになります。その中で加耶諸国は巧みな外交術を駆使することで、何とか生き残りをはかりました。それは、ある時までは功を奏しましたが、徐々に苦境に立たされていきます。ついに532年に金官加耶、そして562年に大加耶が、新羅に降伏し、加耶は東アジアの表舞台から姿を消すことになりました。
大加耶の墳墓で出土した百済の耳飾り
陜川玉田(ハプチョンオクチョン)M11号墳出土
6世紀前半
細かいつくり方が百済の耳飾りと共通している。百済との外交の中で大加耶の有力者が手に入れたものと考えられる。
小加耶の墳墓で出土した新羅の土器
固城内山里(コソンネサンリ)8号墳
6世紀前半
小加耶も大加耶(562年滅亡)と同じ頃に新羅に降伏したものと考えられる。この土器はそれ以前に副葬されているため、この古墳を築いた集団はいちはやく親新羅的な立場をとっていた可能性も考えられる。
エピローグ 加耶史と現在
最後に、加耶史と現在の関わりを考えるきっかけとして、山清生草(サンチョンセンチョ)9号墳を紹介します。この古墳は倭の儀礼に則って葬送が行われましたが、墓地の中で現地の人々の墓と混在して営まれています。倭の人々が加耶へおもむき、現地の人々と交流を積み重ね、時には「雑居」するような状況が生まれたことを示す貴重な資料です。
加耶の歴史は、4~6世紀中頃まで東アジアを生きた、ある古代社会の歴史です。近隣、そして海を越えた様々な社会と交流を重ねたことが、その成長の礎となりました。
その加耶との交流を通して、倭の社会や文化は大きく発展していきました。海をはさんだ加耶の歴史を紹介しながら、日韓両地域の悠久の交流を現在、そして未来へと紡いでいきます。
山清生草(サンチョンセンチョ)9号墳に副葬された倭の須恵器と鏡
6世紀前半
12点もの須恵器と珠文鏡が副葬されていた。倭では時々見られる朱を詰めた小さな壺も副葬されている。古墳群の中でこのような倭系の副葬品が出土したのは、9号墳が唯一である。死者は倭の葬送儀礼に則って葬られた可能性が高い。
※資料写真はすべて、大韓民国国立中央博物館が所蔵機関に掲載許可をうけたものである。
展示プロジェクト委員
展示代表
高田 貫太
TAKATA Kanta
教授
研究部考古研究系
文学博士(大韓民国慶北大学)(2005年取得)
専門分野:考古学
主要研究課題:古墳時代における日本列島と朝鮮半島の交流史
所属学会:韓国嶺南考古学会,韓国考古学会
学歴:岡山大学文学部史学科(1997年卒業)
岡山大学大学院文学研究科史学専攻修士課程(1999年修了)
大韓民国慶北大学校大学院考古人類学科博士課程(2004年修了)
著書に『古墳時代の日朝関係―新羅・百済・大加耶と倭の交渉史―』(2014年 吉川弘文館)、『海の向こうから見た倭国』(2017年 講談社現代新書)、『異形の古墳 ―朝鮮半島の前方後円墳』(2019年 角川選書)、『アクセサリーの考古学 ―倭と古代朝鮮の交渉史』(2021年 吉川弘文館)がある。
展示プロジェクト委員 ※五十音順
梁 成赫(大韓民国国立中央博物館)
白井 克也(九州国立博物館)
上野 祥史(国立歴史民俗博物館)
仁藤 敦史(国立歴史民俗博物館)
松木 武彦(国立歴史民俗博物館)
関連する催し物
共催機関の展覧会情報
九州国立博物館 特別展「加耶」2023年1月24日(火)~3月19日(日)(予定)
※日本での開催後、大韓民国国立金海博物館においても特別展が開催される予定
図録及び販売物についてのお問い合わせ財団法人 歴史民俗博物館振興会
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