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- 王朝文化(10〜12世紀) 東国と西国(12〜15世紀) 大名と一揆(15〜16世紀) 民衆の生活と文化(14〜16世紀) 大航海時代のなかの日本(15〜17世紀) 印刷文化(8〜17世紀)
王朝文化(10〜12世紀)
平安時代には、それまでの唐風文化に代わって日本的特色をもったいわゆる国風文化(王朝文化)が花開きました。この文化は貴族的・女性的で都市的な要素を強くもっています。平仮名や片仮名の仮名文字が創出され、漢文によらずに、自由に日本語の文章を記すことができるようになったのもこの時期です。
ここでは貴族たちが、どのような生活をおくったのかを中心に展示してあります。
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東国と西国(12〜15世紀)
東国と西国では、今日でも大きな文化的違いがあります。東国の鎌倉幕府と西国の京都という二つの政治的な中心ができた鎌倉時代は、その地域性がはっきり現われた時代です。
一方、鎌倉時代には全国的な流通も発達し、東国と西国は強く結ばれていました。
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大名と一揆(15〜16世紀)
この時代、人々は地域や階層ごとに横断的な結びつきを強めていました。村々には自ら掟を定めたり、土一揆を起こしたりする動きがみられ、また地域の領主である国人(こくじん)たちも、一揆を結びました。これに対して大名は主従制にもとづく、一元的な権力による支配をめざしました。ここでは大名の館や、都市のあり様を展示しています。
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民衆の生活と文化(14〜16世紀)
下剋上の一語がよく示すように、中世後期は、底辺の民衆が歴史の表舞台にはなばなしく登場した時代です。民衆のエネルギーが開花し、農業や手工業技術はめざましく発展し、今日につながる多くの芸能も生まれました。
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大航海時代のなかの日本(15〜17世紀)
東アジアには、中国を中心とする国際秩序がありましたが、ヨーロッパ勢力の東アジアへの進出はこの体制を崩し、また多くの文物をもたらしました。特に鉄炮とキリスト教の影響は大きく、戦国時代にあった日本では、戦いの方法が変化し、軍団編成や兵農分離が促進され、やがて統一政権が強力な中央集権国家を作りあげました。
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印刷文化(8〜17世紀)
中国では、宋代になると印刷業が盛んになり、大量の書物の出版が行われ、日本にも多くの版本が輸入されました。その影響をうけて、日本でも平安時代中頃から仏教経典を中心にして、各種の書物の出版が本格的に行われるようになりました。その場所も、最初は京都・奈良周辺の寺院から、次第に地方にまで広まっていきました。またその対象も、仏書以外の儒書・漢詩文集から『源氏物語』等の仮名文学書にまでおよぶようになりました。
なお、展示品は毎月展示替えをしております。
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