陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-

企画展示

「陰陽師とは何者か-うらない、まじない、こよみをつくる-」のポスター

開催概要

開催期間

2023年10月3日(火)~12月10日(日)

会場

国立歴史民俗博物館 企画展示室A・B

料金

一般1000円/大学生500円
※総合展示も合わせてご覧になれます。
※高校生以下は入館無料です。
※高校生及び大学生の方は、学生証等を提示してください。(専門学校生など高校生及び大学生に相当する生徒、学生も同様です)
※障がい者手帳等保持者は手帳等提示により、介助者と共に入館が無料です。
※半券の提示で、当日に限りくらしの植物苑(入苑は16:00まで)にご入場できます。また、植物苑の半券の提示で、当日に限り博物館の入館料が割引になります。

開館時間

9時30分~16時30分(入館は16時00分まで)
※開館日・開館時間を変更する場合があります。

休館日

毎週月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、翌日休館)

主催

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館

特別協力

おおい町暦会館、おおい町立郷土史料館、福井県立若狭歴史博物館

後援

一般社団法人日本カレンダー暦文化振興協会、株式会社トーダン、おおい町(福井県)

趣旨

陰陽師とはどのような存在だったのでしょうか。この展示では、あまり知られていない陰陽道の歴史とそこから生み出されてきた文化をさまざまな角度からとりあげて考えてみます。古代において成立した陰陽道は中世から近世へと数百年にわたり、その役割を広げながら、時代とともに多様に展開していきました。その姿を都状(とじょう)や呪符など具体的な史資料をもとに、明らかにしていきます。

安倍晴明は平安時代の実在した陰陽師ですが、陰陽道の浸透とともに、伝奇的なイメージが付け加わっていきます。その姿を追うことで陰陽道の性質をとらえることも試みます。さらに陰陽師たちが担った暦について、その製作や形式、移り変わりの様子を見つめることによって、人びとが陰陽道に求めたものが見えてくるでしょう。

なお、この展示は科学研究費基盤研究(C)「古代~近代陰陽道史料群の歴史的変遷と相互関係の解明」の成果の一部です。

渾天儀

渾天儀(こんてんぎ)

 

江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵

本展のみどころ

  • 暦や占いの知識を集成した「金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)(簠簋(ほき))」や現存最古の「大ざつしよ」など、確かな史資料にもとづいて時間と空間を意味づけた陰陽師のリアルな姿を明らかにする。
  • 陰陽師が用いた呪符も展示。古代から近代のはじめに至る陰陽師の足あとをたどる。
  • 平安時代に活躍した陰陽師、安倍晴明の「ものがたり」を通して実像に迫る。
  • 天体の位置を観測して暦を作るための器械「渾天儀(こんてんぎ)」や、天保暦からグレゴリオ暦に変わる、最後の旧暦資料「明治六年癸酉頒暦(きゆうはんれき)」から暦に託されたさまざまな知識や工夫を読み解く。

展示の構成

※章の構成と出品作品は変更になる場合があります。

※会期中、展示替えを行います。

プロローグ 陰陽師をさぐる
 第1部 陰陽師のあしあと
  ―1 陰陽師、あらわる―古代の陰陽道
  ―2 陰陽師、ひろがる―中世の陰陽道
  ―3 陰陽師、たばねる―近世の陰陽道
  ―4 陰陽師の仕事
  ―5 陰陽道と民俗
 第2部 安倍晴明のものがたり
  ―1 安倍晴明とその子孫
  ―2 安倍晴明のライバルたち
  ―3 転生する安倍晴明
 第3部 暦とその文化
  ―1 暦をくばる
  ―2 暦をかえる
  ―3 暦をそろえる
 エピローグ 陰陽師が残したもの

展示替えリストはこちら

セイメイくん1

セイメイくん2

セイメイくん3

第1部 陰陽師のあしあと ~あらわれ、ひろがり、たばねられていくその姿

―1 陰陽師、あらわる―古代の陰陽道

古代日本のなかで中国から伝わった陰陽五行説をはじめとするさまざまな知識や技術をもとにして、陰陽道が誕生しました。それらは陰陽寮で管理され、暦や天文に関する書物や道具とともに研究されました。古代国家の技術として陰陽道が成立し、陰陽師はそれに携わる役職をさしました。

やがて、陰陽道は方位や時間に関する吉凶を占うとともに、生活のいろいろな場面でその知識が利用されるようになっていきます。国家の公的な制度から貴族たちの私的な領域にまで、陰陽道が影響を与えるようになり、陰陽師は生活の節目において人びとに頼られる存在となりました。

「易経」

「易経」

江戸時代~明治
国立歴史民俗博物館蔵

古代の中国から伝わった陰陽五行説や易、道教などの知識をもとに、日本の律令体制のなかで陰陽道は形成されていった。陰陽師たちは、そうした中国伝来の知識を、日本の生活とつき合わせて暦を作り、占いやまじないを行った。奈良の陰陽師で暦師でもあった吉川家には易の専門書も伝えられていた。


―2 陰陽師、ひろがる―中世の陰陽道

貴族ばかりではなく、武士たちも幕府を作り政治を行うなかで陰陽道を取り入れ、陰陽師の判断が政治に影響を与える場面が増えていきます。天皇や将軍をとりまく儀礼を陰陽師がつかさどり、その知識や判断は重要視されました。さらに陰陽道は朝廷に仕える陰陽師以外の人びとにも広がり、仏教や神祇信仰とも重なりあって発展していきます。戦国時代になると陰陽道は日本列島各地にも伝えられ、暦や天文以外にも、占いやまじないをはじめとする知識を持つ陰陽師が活躍するようになりました。

応長二年仮名暦

「応長二年仮名暦」

応長元年(1311)
国立歴史民俗博物館蔵

応長二年(1312)の暦を仮名で記したもの。干支や日々の吉凶が、かな書きで分かりやすく記されている。その日の出来事を書き込んで、日記のようにも使われていた。裏には経典とその研究が記されていることから寺院で用いられていたのかもしれない。

占術・暦注雑書

「占術・暦注雑書」

16世紀初頭~前半
国立歴史民俗博物館蔵

陰陽師が占いや暦に関するさまざまな知識をいろいろな機会に書き留めておいたもの。陰陽道ではこうした書物を「雑書」と呼ぶことが多い。この資料は室町時代の守護大名にかかわる文書の裏を用いて記されていることが判明した。紙が貴重であったために再利用されたのである。

―3 陰陽師、たばねる―近世の陰陽道

近世に入ると陰陽師たちは、安倍晴明の子孫である土御門家を本所として組織化され、統制されるようになります。占いをする人びとを陰陽道の名のもとに編成することが試みられました。天皇や将軍、大名などの権威を支える役割をはたす一方で、陰陽師は占いや祭りを行い、呪符や神札を配ることで生活の安寧を祈りました。そうしたなかで多様に変化した陰陽道の知識や感覚は、やがて陰陽師を離れても伝えられ、また書物のかたちとなって広がっていくようになります。

天曹地府祭之図

天曹地府祭之図

安永10年(1781)
国立歴史民俗博物館蔵
※後期(11月7日~12月10日)は同名の別資料を展示

奈良暦師吉川家資料。江戸時代に天皇の即位や将軍の宣下(せんげ)の際に陰陽師が執行した天曹地府祭(てんそうちふさい)の概略図。その祭場を具体的に記録し、次回以降に備えたもの。

―4 陰陽師の仕事

陰陽師たちは時代のうつりかわりとともに、その身分や役割も変化しました。一方で時代をこえて陰陽師たちが担った仕事も数多くあります。暦の製作の他にも方角や日時をめぐる吉凶の判断や災いをさけるための工夫、陰陽道独自の祭りのやり方などは、社会のなかに組み込まれ、また、ふだんの生活のなかで、無視できない重みを持っていました。それらは陰陽道が、日本文化の重要な要素であることを示しています。

鎮宅祭次第

「鎮宅祭次第」

江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵

陰陽師が用いた呪符。奈良暦師吉川家資料。八将神(はっしょうしん)、歳徳神(としとくじん)、金神(こんじん)、豹尾神(ひょうびしん)といった陰陽道の神々の名を記した呪符。また雪隠(トイレ)に用いる人形や呪符も書かれている。

―5 陰陽道と民俗

貴族や武家の生活のなかで発展した陰陽道は、やがて庶民にも広がっていきます。かまどの神をはじめとする日常の祭りはさまざまな場面で行われ、特に疫病とそれをつかさどる神霊の祭祀は重視されました。江戸時代になると、陰陽道を起源とするまじないや占いが書物となり、多くの人びとに利用されるようになっていきました。

大雑書(寛永八年版)

「大雑書(寛永八年版)」

寛永8年(1631)
国立歴史民俗博物館蔵

現存最古の「大雑書(おおざっしょ)」(寛永8年版)。 「大雑書」は「簠簋(ほき)」をはじめとするさまざまな暦や占いの知識を集成し、わかりやすく読み下したもので、近世を通じてくり返し出版され、さまざまな要素を取り込み、生活日用百科となった。陰陽道の知識が書物に記載されるようになり、広く迎えられたことを示す。

陰陽道からみた土用のいわれ

土用というと、現代では夏の丑の日の時期にウナギを食べる日として知られていますが、四季それぞれ土用があり、本来は土にふれることを避ける日でした。

その起源は古代の説話集『注好選(ちゅうこうせん)』をはじめとして説話のかたちで伝えられています。それは次のような物語です。宇宙を創造した盤古(ばんこ)大王は亡くなる際に、四人の王子に春夏秋冬の四つの季節を分け与えました。ところが後から生まれた五人めの王子も取り分が欲しいと要求します。五人の兄弟は互いに譲らず、時間の支配をめぐって激しく戦うのですが、最後に陰陽師の分身である文選博士(もんぜんはかせ)が仲裁案を示します。それは四人の兄たちの支配する四季からそれぞれ十八日を土用として、五番目の王子に分け与えるというものでした。そのため、気性の荒い五番目の王子が支配する土用の間は、土にふれず、仕事を休むことになったというのです。

時間の吉凶とそれをつかさどる陰陽師の役割が巧みに説話に溶かし込まれて伝えられてきたのです。

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第2部 安倍晴明のものがたり ~実像から虚像まで

安倍晴明は平安時代に実在した陰陽師です。陰陽道は安倍氏と賀茂氏によって継承されていましたが、やがて安倍家の先祖のうち、晴明の事績がクローズアップされ、いろいろな説話となり、陰陽師のシンボル的な存在となりました。

晴明の他にも多くの陰陽師がいて、古代以来、活発に活動してきました。陰陽寮に出仕しながら、貴族や武家の私的な祭儀にかかわり、儀礼や祭祀に力を発揮しました。晴明と肩を並べる陰陽師、晴明を模範として活躍した陰陽師は少なくありません。晴明と彼らをまとめてとらえることで、陰陽師に期待されたものが何であったかを考えることができます。

また安倍晴明の母親は狐であったとか、烏の声を聞き、その意味を知ることができたといった伝承も生まれました。こうした伝承は説話や芸能として豊かに展開しただけではなく、現代においては小説やマンガ、映画などの題材として親しまれるようになりました。

セイメイくん5

陰陽師

東北院職人歌合「陰陽師」

室町時代 国立歴史民俗博物館蔵
※後期(11月7日~12月10日)は複製を展示

中世にさまざまな職業の人びとが和歌を競い詠んだ、という趣向のもとに描かれた職人歌合。「陰陽師」は「医師」と組み合わされており、祭壇に祈りを捧げる姿が描かれている。当時の陰陽師のイメージが絵画で表現されているとみられる。陰陽師が詠んだとされる和歌は

再拝やたかまの原にすむ月に あまの八重雲かゝらすもかな

金烏玉兎集

「金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)(簠簋(ほき))」

天正12年(1584)写
国立歴史民俗博物館蔵
※後期(11月7日~12月10日)は複製を展示

中世に成立した陰陽道の知識を集成した書物。五巻一冊、安倍晴明に仮託されている。天正十二年(1584)の書写。冒頭に陰陽道や暦が牛頭天王(ごずてんのう)、盤牛王(ばんごおう)といった神々の物語と結びつけて説かれている。また文殊菩薩(もんじゅぼさつ)から伯道上人(はくどうしょうにん)を経て安倍晴明に伝えられたとも説く。

陰陽師と式神・外道

陰陽師と式神・外道 復元模型

国立歴史民俗博物館蔵

「泣不動縁起」の一場面を立体化したもの。祭壇にむかって祭文を読み上げる陰陽師とそのまわりには式神、外道たちが坐っている。

第3部 暦とその文化 ~時間の可視化とその意味

陰陽師のもっとも大切な仕事のひとつとして暦の製作と配布があります。古代・中世社会においては朝廷を中心に暦が作られ、陰陽師がその担い手でした。近世になると暦の製作に幕府も関与するようになり、その精度を維持することは重要な課題とされました。

ここでは近世の奈良における暦師・陰陽師であった吉川家を中心にその活動を具体的に描いてみます。また渋川春海を中心に新たに作られた貞享暦をはじめとする近世の暦とその背景を探ることで暦に求められたことは何であったのか、を考えてみましょう。さらに暦には目に見えない時間をどのように表現するか、という命題を抱えています。そのための工夫や趣向についても取り上げてみましょう。

そして、今から150年前、明治6年の太陽暦採用は日本列島上の「時間」にとって大きな変革でした。それは暦法が変わっただけではなく、生活のリズムとそのよりどころの大きな改変でした。そこに生じたドラマに目を凝らし、「近代日本」を「時間」の視点でとらえることで、わたしたちにとっての「時間」とは何かを見つめ直したいと思います。そして現代のカレンダーをこうした歴史をふまえてとらえ、文化としての暦を考えてみます。

渾天儀

渾天儀(こんてんぎ) 

江戸時代 国立歴史民俗博物館蔵

秋岡武次郎古地図コレクションより。もともとは天体の位置を観測して暦を作るための器械だが、近世には太陽と月の動きを説明するために用いられた。天体の見かけ上の動きを立体的に示すようになっている。中心には地球が置かれ、その周囲には天の赤道や黄道、月の軌道を示す白道などの輪が取り付けられている。

明治六年暦

「明治六年暦(旧暦)」

明治5年(1872) 国立歴史民俗博物館

最後の旧暦。奈良暦師吉川家資料。明治政府は、当時用いられていた天保暦を廃し、グレゴリオ暦を採用することとし、明治5年12月3日を明治6年1月1日とした。明治6年の暦は既に天保暦(いわゆる旧暦)によって作成されていたが、使われることがなかった。そうした歴史の変動を示す暦の冒頭部分。

セイメイくん6

展示プロジェクト委員

展示代表

陰陽師とは何者かの画像19

小池 淳一

KOIKE Jun'ichi

教授
研究部民俗研究系
博士(文学)(総合研究大学院大学)

専門分野:民俗学(民俗信仰,口承文芸,民俗学史),伝承史
主要研究課題:民俗における文字文化の研究,陰陽道の展開過程の研究,地域史における民俗の研究など
所属学会:日本民俗学会,日本宗教学会(理事),日本昔話学会,日本口承文芸学会,日本文化人類学会,地方史研究協議会,日本史研究会,日本民具学会,儀礼文化学会,青森県民俗の会,福島県民俗学会ほか

学歴:東京学芸大学教育学部(1987年卒業)
筑波大学大学院博士課程歴史人類学研究科(一貫制)(1992年単位取得退学)

著書に『陰陽道の歴史民俗学的研究』(角川学芸出版、2011年)、『季節のなかの神々―歳時民俗考―』(春秋社、2015年)などがある。

展示プロジェクト委員 ※五十音順

館外

赤澤 春彦(摂南大学国際学部)
梅田 千尋(京都女子大学文学部)
遠藤 珠紀(東京大学史料編纂所)
小田 真裕(船橋市郷土資料館)
小田島 梨乃(東京大学大学院博士課程)
垣東 敏博(暦会館/若狭路文化研究所)
川波 久志(福井県立若狭歴史博物館)
近藤 絢音(神奈川県立公文書館)
下村 育世(日本学術振興会特別研究員)
林 淳(愛知学院大学文学部)
細井 浩志(活水女子大学国際文化学部)
松山 由布子(中京大学教養教育研究院)
水谷 友紀(京都府立大学)
山本 琢(京都府立京都学・歴彩館)

館内

後藤 真(国立歴史民俗博物館准教授)
鈴木 卓治(国立歴史民俗博物館教授)
田中 大喜(国立歴史民俗博物館准教授)
福岡 万里子(国立歴史民俗博物館准教授)
松田 睦彦(国立歴史民俗博物館准教授)

関連する催し物

ギャラリートーク

展示期間中、展示プロジェクト委員によるギャラリートークを開催します。

日程 時間 担当者
2023年10月29日(日) 11:00~ 小池 淳一(当館民俗研究系)
2023年11月4日(土) 11:00~ 小田 真裕(船橋市郷土資料館学芸員)
2023年11月18日(土) 11:00~ 遠藤 珠紀(東京大学史料編纂所古文書古記録部門准教授)
2023年11月19日(日) 13:30~ 赤澤 春彦(摂南大学国際学部教授)
2023年11月25日(土) 14:00~ 梅田 千尋(京都女子大学文学部教授)
2023年12月2日(土) 11:00~ 小田 真裕(船橋市郷土資料館学芸員)
2023年12月3日(日) 11:00~ 下村育世(日本学術振興会特別研究員)

※開始時間までに企画展示室A入口にお集りください。

※入館料が必要となります。

※日時は予告なく変更する場合がありますのでご了承ください。

子ども向けギャラリートーク

2023年10月14日(土) 14:00~ 企画展示室A・B
担当者:小池淳一
対象(目安):中学生以上
開始時間までに企画展示室A入口に集合してください。

図録及び販売物についてのお問い合わせ財団法人 歴史民俗博物館振興会
電話:043-486-8011(9時30分から17時00分まで)/ E-mail: shop@rekishin.or.jp