このページの目次
第384回「夷酋列像とその歴史的背景」第383回「大久保利通資料に関するあれこれ」第382回「琉球列島と長崎の祝祭と信仰-海を越えた民俗文化-」第381回「古墳とはなにか-大地に刻まれた心と社会-」第380回「プロイセン東アジア遠征と幕末日本」第379回「20世紀のドイツと東アジア」第378回「中世武家社会のネットワークの諸様相」第377回「あこがれのハワイ・たそがれのハワイ」第376回「ホンモノより価値のあるニセモノたち」第375回「古墳の出土品と社会の変化」第374回「絵具と彩色技法」第373回「地図史における17世紀」

第384回「夷酋列像とその歴史的背景」

開催要項

日程 2015年12月12日
講師 三浦 泰之 (北海道博物館)

※都合により講師・タイトルが変更になりましたのでご了承ください。

開催趣旨

寛政元年(1789)年5月、東蝦夷地の最奥、クナシリ・メナシ地方(現在の北海道根室地方から国後島にかけての地域)で、当時、この地域で漁業を営んでいた和人商人・飛騨屋の横暴に耐えかねたアイヌ民族が立ち上がり、和人71人を殺害するという事件が起こりました。いわゆる「クナシリ・メナシの戦い」です。松前藩は、首謀者37人を処刑し、この戦いを収めました。

その後、寛政2年(1790)年10月、藩主・松前道広の命を受け、家臣・蠣崎広年(波響)は「夷酋列像」を描き上げました。松前藩が戦いを収めるにあたり、松前藩に協力したとされるアイヌ首長12人の肖像画です。翌年、波響によって京都に持ち込まれた「夷酋列像」は公家や知識人たちの間で大きな評判を呼び、時の天皇の目にも触れ、やがて、諸藩の大名などによって数々の模写も制作されました。

この「夷酋列像」が持つ歴史的な意味について、松前藩による蝦夷地支配の実態や、クナシリ・メナシの戦いが起こるに至った経緯、蝦夷地を含む北東アジア地域の社会的・文化的な状況などを踏まえて、読み解きます。

第383回「大久保利通資料に関するあれこれ」

開催要項

日程 2015年11月14日
講師 樋口 雄彦 (当館歴史研究系)

開催趣旨

今年新たに当館に収蔵された大久保利通関係資料の中から、企画展示「大久保利通とその時代」では展示しない資料について、あえて取り上げたいと思います。具体的には、幕末には大久保とは政治的立場を異にした、いわば「敵役」だった徳川方の幕臣たちについて、彼が残した資料の中から垣間見られる姿を紹介します。たとえば、勝海舟と薩摩藩との関係、徳川慶喜との対決、戊辰戦争時の徳川家処分をめぐる問題、明治初年の静岡藩と鹿児島藩の交流、内務省への旧幕臣の登用といったことがらです。その多くが、大久保の生涯と事蹟を伝える上では「脇道」のような内容であり、今回の展示には出せませんでした。ただ、大久保利通その人について関心がある方には期待外れかもしれませんが、視点をずらすことによって見えてくるものもあるはずです。

第382回「琉球列島と長崎の祝祭と信仰-海を越えた民俗文化-」

開催要項

日程 2015年10月10日
講師 松尾 恒一 (当館民俗研究系)

開催趣旨

日本列島と中国大陸等の交流は、稲作の日本への伝来から考えれば、1万年前以上、日本の歴史を法制度や、建築技術、宗教・信仰、文学・美術等の文化の上で明確に方向づけた隋・唐代より考えても1300年以上の歴史を有します。日本は、ヨーロッパの大航海時代、ヨーロッパの脅威を避けるために1600年以降、江戸時代は、外国との国交を断絶する鎖国の政策をとりますが、列島の西南長崎の港においては、中国(明・清)・オランダ船との交流を継続しました。一方、この時代、独立国であった琉球も中国との交易を行いましたが、長崎・琉球ともに、龍舟競渡等の年中行事の伝来、清明節等の祖霊祭祀等、明・清代の信仰、祭祀等の濃厚な影響を受け、民俗文化として定着します。1800年代後半には、日本は開国しますが、長崎や、新たな外国との交易の拠点となった神戸・横浜の港町は、近代の華僑華人の商業・生活の拠点となり、関帝廟・媽祖廟等を建立し、厚い信仰の営みが続いています。本講演では、女性宗教者による農耕・航海安全を祈願する祭祀が行われている琉球地域と、仏教・神道が信仰の上では優勢な日本本土において明・清とも交流を持った長崎とを比較しつつ、中国との交流によって伝えられ、定着した日本の文化や、現在に続く華僑華人の生活と信仰について考えます。

第381回「古墳とはなにか-大地に刻まれた心と社会-」

開催要項

日程 2015年9月12日
講師 松木 武彦 (当館考古研究系)

開催趣旨

紀元後2-3世紀、ローマ・漢というユーラシアの古代大帝国が衰退から滅亡への道をたどるかたわら、それぞれの周辺において、中世の幕開けを告げる民族国家群が台頭してきます。東アジアにおいては、これらの民族国家群(高句麗・百済・新羅・伽耶・倭)は、王のための大墳墓を築き合うことによってたがいに産声を上げ、競争と交流を繰り広げながら律令をもつ国家へと成長していきます!

この世界史的な動きの中で、倭の前方後円墳はどのように位置づけられるのでしょうか。またそれは、国づくりに着手した当時の人々の目にどのように移り、社会の中にどのように位置づけられていたのでしょうか。従来の考古学に、近年発展してきた比較考古学・認知考古学の視点も総合してとらえる、新しい古墳論のご紹介です。

第380回「プロイセン東アジア遠征と幕末日本」

開催要項

日程 2015年8月8日
講師 福岡 万里子 (当館歴史研究系)

開催趣旨

今から150数年前にさかのぼる幕末期の日本に、ドイツの使節団がやって来て、徳川幕府と修好通商条約を結んでいたことを、ご存じでしょうか。それは1860年代初頭のことで、日本は万延・文久年間にありました。使節団は、ヨーロッパ中央部にあったドイツ語圏諸国のうち、北部の大国「プロイセン」が派遣したものでした。なぜ彼らは日本に来たのでしょうか。当時の日本は政治・外交的にどんな状況にあって、使節団はいかなる経緯で、時の徳川政権と条約を結ぶに至ったのでしょうか。

本講演ではこういった問いに答えつつ、「プロイセン東アジア遠征と幕末日本」というテーマから、150年前の日本とドイツ、及び東アジアと世界をめぐる歴史的状況を振り返ってみます。

第379回「20世紀のドイツと東アジア」

開催要項

日程 2015年7月11日
講師 田嶋 信雄 (成城大学法学部)

開催趣旨

近現代の日本とドイツは、いわゆる「三国干渉」や第一次世界大戦における一時的な敵対関係はあったものの、相互に敬意を払いつつ、長く安定した友好関係を築いてきたと考えられています。たしかに、日本とドイツの関係だけを見ると、両国関係は、日独防共協定や日独伊三国同盟などに示される政治同盟関係や、あるいはそれ以上に、文化面・学術面・経済面での豊かな交流に彩られてきたといえるでしょう。第二次世界大戦後の日本=(西)独関係についても、ともに廃墟から立ち直って驚異的な経済発展をなし遂げ、デモクラシーという価値を共有する安定した二国間の関係というイメージが定着しています。

しかし、日独関係に中国というファクターを加えて「ドイツと東アジア」という視点を設定すると、いままでとはかなり異なった像が見えてきます。そこには極めて起伏に富んだ歴史がありました。本講演では、とくに外交関係に焦点を当てつつ、「20世紀のドイツと東アジア」について考えてみたいと思います。

第378回「中世武家社会のネットワークの諸様相」

開催要項

日程 2015年6月13日
講師 田中 大喜 (当館歴史研究系)

開催趣旨

1980年代から、中世武士の職業戦士としての側面を追究した研究が進展し、かつては想定外だった中世武士と生産・交通・流通・都市との関係が、実は密接なものだったことが明らかになりました。これにより中世武士は、都と地方の拠点とを活発に往来し、双方を基盤とした人的ネットワークを築いていたことも明らかにされ、彼らの所領経営や戦争(内乱)の動向も、こうした武士社会の広域的な人の移動とネットワークを前提として理解されるようになりました。

今回の講演では、三浦氏の一族で、越後国奥山荘(新潟県胎内市)を本領とした越後和田氏を主な事例として、上記の近年明らかにされた中世武士の「実像」に迫ります。鎌倉幕府の御家人でもあった越後和田氏が奥山荘と鎌倉に築いた人的ネットワークの様相と、それを基盤とした所領経営のあり方・都市鎌倉での生活の様子、そして全国各地を転戦した南北朝内乱の実態とそれが越後和田氏一族に与えた影響について、史料に即して具体的に考えてみたいと思います。

第377回「あこがれのハワイ・たそがれのハワイ―太平洋戦争をとりまく諸相―」

開催要項

日程 2015年5月9日
講師 原山 浩介 (当館歴史研究系)

開催趣旨

ハワイは、言わずと知れた観光地です。しかし、歴史をさかのぼると、明治以降、日本からハワイへ、多くの人びとが移住しました。プランテーションでの労働に従事し、あるいは街で商店を営み、そして日本語新聞も刊行されるようになるなど、多くの人びとがハワイに定住するようになりました。

そうした多くの日本人移民とその子孫たちにとって、ハワイでの生活は必ずしも順風満帆なものではありませんでした。特に、真珠湾攻撃と、その後の日米戦のなかで、日本人・日系人はいわば「敵国人」としての扱いを受けることになりました。そして戦争が終わり、ハワイの社会構造が変容していくなかで、労働運動が盛り上がる、そのさなかで、日系人活動家が逮捕される「赤狩り」も起こりました。

今回は、ハワイという地域から、そしてハワイにいた日本人・日系人という視点から、太平洋戦争を見つめ直そうと思います。太平洋戦争のイメージ、ハワイのイメージ、そして戦争の持つ意味を、捉え直してみたいと思います。

第376回「ホンモノより価値のあるニセモノたち」

開催要項

日程 2015年4月11日
講師 西谷 大 (当館考古研究系)

開催趣旨

私たちの日常生活では、お金をもうけるためだけの「食品偽装」「ニセブランド」など、他人を騙す「ニセモノ」の話題に事欠きません。

今回の企画展示「大ニセモノ博覧会-贋造と模倣の文化史-」では、いわゆる「ニセモノ」を扱います。しかし「ニセモノ」と「ホンモノ」とは、実は非常に微妙な関係の上に成り立っています。時には、ホンモノより価値のあるニセモノも存在するのです。

なお、今回の企画展示では、「ホンモノ」に対する「ニセモノ」を単に展示するのではありません。「ニセモノ」と「ホンモノ」との複雑な関係性が、時代や社会的背景によって、どのような原理で振幅してきたのかを明らかにしたいと思っています。

講演では、こうした企画展示に関するさまざまな背景やトピックを中心にお話させていただきます。

第375回「古墳の出土品と社会の変化」

開催要項

日程 2015年3月14日
講師 上野 祥史 (当館考古研究系)

開催趣旨

古墳には、墳丘の形や大きさ、埴輪といった外表施設、埋葬施設や副葬品など、さまざまな要素があります。古墳の姿はその複合体であり、時々においてその様子は異なります。前方後円墳の築造が継続した約300年を通じて、古墳はその姿を変えてゆくのです。副葬品に注目すれば、青銅鏡や石製腕飾から、鉄製甲冑へ、そして金色の輝きをもつ馬具や装飾付大刀へと、「価値をもつもの」は移り変わっていきます。連続と変化が重なりながら時が流れた古墳墳時代をながめ、どこに大きな画期があるのか、その画期はどのようにして生み出されたのか、について考えることにしたいと思います。古墳時代は、「もの」の授受を通じて社会的関係を表現した時代でしたが、「もの」を選択する背景や、「もの」を配布する際の意図に注目することで、古墳時代の特質を器物から描いてみたいと思います。

第374回「絵具と彩色技法」

開催要項

日程 2015年2月14日
講師 島津 美子 (当館情報資料研究系)

開催趣旨

18世紀中頃から19世紀にかけてイギリスをはじめ欧州諸国で発達した工場制機械工業は、絵画の分野においては合成絵具という新しい材料や、大量生産されたキャンバスや洋紙をもたらします。これらの新材料は、日本にも江戸時代から少しずつ流入しています。近年の研究から、18世紀初めに合成法が発見されたプルシアンブルー(日本ではベロ藍と呼ばれる)は、1830年代には日本でも大量に輸入、使用されていることが明らかにされています。幕末明治期には、ベロ藍以外にもさまざまな合成材料が輸入され、錦絵のような大衆向けの商品に多用されます。本講演では、当館所蔵の錦絵に認められる色調と用いられた絵具の種類を紹介するとともに、当時の新材料やさまざまな色を作り出す技法についてお話しいたします。

第373回「地図史における17世紀」

開催要項

日程 2015年1月10日
講師 青山 宏夫 (当館歴史研究系)

開催趣旨

日本における地図作製の歴史は、近世すなわち16世紀末以降、とりわけ17世紀に大きく変化します。世界図については、それまでの仏教系世界図に加えて、直接または中国経由で伝わってきた西洋起源の世界図をもとにして作られた世界図が登場します。また、日本図については、伝統的な行基図に代わって、記載内容や作製方法などを異にする新たな日本図が作られるようになります。さらに、近世になると、下総国、武蔵国、越後国などのような国を単位とした絵図が、江戸幕府のような国家権力によって作られるようになります。しかも、これらの地図は、民間において単独で印刷されるようになり、大量生産による大衆化が進みます。講演では、これらについて事例をあげて解説しつつ、地図が描く地域と景観にも言及しながら、地図史における17世紀の意義について考えます。