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第372回「里山とは?-千葉県房総丘陵にみる自然利用の歴史-」第371回「文字文化から見た古代の日本と朝鮮」第370回「浮世絵と富士」第369回「近年行ったデジタル展示について」第368回「弥生ってなに?!」第367回「暦と伝承」第366回「帝都の軍隊」第365回「消費文化のなかの節供行事」第364回「関東大震災の記憶-震災後から90周年まで-」第363回「出土文字史料を追う-古代国家の実像を求めて-」第362回「中世史料批判学の諸問題」第361回「怪談・妖怪コレクションから」

第372回「里山とは?-千葉県房総丘陵にみる自然利用の歴史-」

開催要項

日程 2014年12月13日
講師 西谷 大 (当館考古研究系)

開催趣旨

国立歴史民俗博物館と千葉県立中央博物館では平成23年度から、房総丘陵で人と自然の関係をさぐる調査をおこなっています。小櫃川流域の用水路には、トンネルをつないで山の中を走っているものが数多くあります。

このトンネルは幅およそ二尺(60センチ)、高さ五尺(150センチ)であるところから「二五穴(にごあな)」と呼ばれ、用水路が地上にでている部分はほとんどありません。このような用水路は蔵玉折木沢用水(1853年完成、約5キロ)、亀山湖から平山までは平山用水(1836年完成、約10キロ)が、大戸までは大戸用水(1855年完成、約7キロ)などが現在でも利用されています。全国的にみても、このようなトンネル状の水路を使って灌漑する水田はおそらくこの地域だけです。

日本の水田の風景は、どこも同じようにみえますが、よく調べると地域で暮らす人びとの歴史と知恵が詰まっています。今回は、二五穴を通じて里山とはいったい何なのかを考えてみたいと思います。

第371回「文字文化から見た古代の日本と朝鮮」

開催要項

日程 2014年11月8日
講師 小倉 慈司 (当館歴史研究系)

開催趣旨

開催中の国際企画展示「文字がつなぐ―古代の日本列島と朝鮮半島―」では、古代日本列島と朝鮮半島の文字文化交流を大きな柱として取り上げました。その理由としては、この十年間ほど、歴博が積極的に取り組んできた研究テーマであるというだけでなく、近年の日本の古代史研究のなかで最も研究が進展した分野でもあるということが挙げられます。日本国内だけでなく、韓国での発掘成果や研究成果を踏まえることにより、従来考えられていた以上に豊かな古代史像が描き出せるようになりました。

そこで今回は、展示をより深く理解していただけるよう、どのような研究・調査によって成果が導き出されてきたのか、研究史等も含めて御紹介していきたいと思います。また、展示解説や図録では説明しきれなかったトピックス的な話も交えつつ、古代の文字文化がその後の日本社会に与えた影響についても考えていきたいと思っています。

第370回「浮世絵と富士」

開催要項

日程 2014年10月11日
講師 大久保 純一 (当館情報資料研究系)

開催趣旨

昨年、富士山が世界文化遺産に登録されるとのニュースで国内が沸き立ったことはまだ記憶に新しいところです。富士山は文学や美術・工芸などのさまざまな分野で重要なモティーフとして古代から繰り返し取り上げられてきましたが、とくに有名なものは錦絵シリーズの「冨嶽三十六景」や絵本『富嶽百景』といった葛飾北斎の作品だと思います。これらの北斎作品は富士図の視覚的イメージを国内外に広めることに大きな役割を果たしていますが、浮世絵には北斎以外にも歌川広重や歌川国芳など、富士山を題材にとりあげた絵師が少なくありません。 この講演では、浮世絵の歴史の中におけるおもな富士図の展開を概観するとともに、富士山がなぜ浮世絵の画題として大きな位置を占めているのかを、おもに浮世絵を生み出した江戸という町と富士山との密接な関わりをもとに読み解いてみたいと思います。

第369回「近年行ったデジタル展示について」

開催要項

日程 2014年9月13日
講師 鈴木 卓治 (当館情報資料研究系)

開催趣旨

大学で情報工学(コンピュータ)を勉強し、1994年の着任以来、情報工学の技術を用いて歴博の研究・展示・教育にいかに貢献するかを目指して仕事をしてきました.歴博の第3、第6、ならびに第4展示室に置かれている情報コンテンツの開発に携わり、また、企画展示における情報コンテンツの開発と提供にも関わっています。今回は、ここ数年に開発した情報コンテンツのいくつかについてご紹介させていただければと思います。●音を展示する…企画展示「楽器は語る」、●デジタル展示実験「日本刀の3DCG再現」、●スマートフォンによる情報提供…企画展示「楽器は語る」「中世の古文書」「弥生ってなに?!」、などを予定しています。

第368回「弥生ってなに?!」

開催要項

日程 2014年8月9日
講師 藤尾 慎一郎 (当館考古研究系)

開催趣旨

紀元前10世紀に九州北部で水田稲作が始まってから、3世紀に近畿で前方後円墳が作られるまでの約1200年間つづいたのが弥生時代です。この時代の日本列島には弥生文化だけでなく、本州東部の縄文文化、北海道の続縄文文化、奄美・沖縄の貝塚文化など複数の文化が広がっていました。縄文時代にも多様な文化はありましたが、弥生時代は社会の進む方向を異にする多様な文化が日本列島に花開いた最初の時代だったのです。

本格的な水田稲作を行う弥生文化も地域や時期によって実に多様な表情をみせますが、ずっと私たちは弥生文化の多様性と考えてきました。でも水田稲作を行う人びとのなかにも、社会の進む方向を異にする、弥生文化とは別の文化と考えてもよいのではないかと思われる文化のあることがわかってきました。

今日の講演では、水田で米を作りながらも縄文人が使っていた土偶の祭りを行い、300年ぐらい米を作り続けたあと稲作を止め、もとの採集狩猟生活に戻ってしまう人びと。水田稲作を始めるまでに500年近くアワ・キビ農耕を行う人びとなど、研究者によって評価が分かれる農耕文化をとりあげ、弥生文化とはなにかという問題について考えてみたいと思います。

第367回「暦と伝承」

開催要項

日程 2014年7月12日
講師 小池 淳一 (当館民俗研究系)

開催趣旨

暦とは時間に対する文化的な意味づけです。時間は目に見えにくいもので、時計や暦のかたちに置き換えることでようやくとらえることができます。しかし、誰もが時間の流れとは無縁ではいられません。特に民俗文化の領域で暦の問題は、自然観察とその蓄積から得られた知識を農業をはじめとするさまざまななりわいに活かしていくものとしてとらえられます。草木の開花や鳥・虫の発する声が生活の節目と対応し、時間の流れを意識させるものとして重視されてきました。一般にこれを自然暦といい、俗信に類するものとして民俗学のなかでは扱われてきました。まず、こうした各地の自然観察と暦との関連をここではとりあげて考えてみたいと思います。

一方で、文字をあやつる支配層の文化においては暦は高度な技術を中国から受け入れることであり、そこには時間を管理するという、目に見えにくい、しかし重要な問題が横たわっていました。年号や暦注は時間の意味を持たせ、より良い未来を生みだそうとする意識の表れととらえることも可能です。ここでは年号や「お化け暦」をはじめとする多様な暦本、さらに大安や三隣亡といった暦注に着目して、暦と民俗文化、伝承のなかに息づく時間意識や生活感覚について考えてみたいと思います。

第366回「帝都の軍隊」

開催要項

日程 2014年6月14日
講師 荒川 章二 (当館歴史研究系)

開催趣旨

明治政権は、明治4(1871)年2月、宮城(皇居)の守備を任務とする御親兵を設置、同じ年8月、東京、大阪など4カ所に鎭台を設置します。御親兵は、翌5年3月、近衛兵と改称します。こうして日本の近代国家の軍隊が発足するのですが、この経緯に見られるように、当時の陸軍兵力の過半を集中したのが、首都東京でした。東京の兵力は1万人に満たなかったと思われますが、東京は近代国家の首都として新たな歴史を刻み始めると同時に、かつて総城下町として士族を集中した近世軍事都市江戸は、近代最初の軍都として、再出発することになりました。

明治6年1月、徴兵令が発布され、徴兵制がスタートし、同時に6鎭台制(鎭台は後の師団に相当)になります。近衛兵は、全国の鎭台諸兵から「強壮にして行状正しき者」を選兵して組織する特別な制度となります。通常の陸軍兵役が5年のところ、5年間服役する制度でした。そして、6鎭台制施行後数年を経た明治10年頃の部隊兵員の分布を見ても、全国の陸軍兵の約3分の1が、東京に集中していました。これだけの軍隊の集積は、他の地域では当時あり得なかった大規模な兵力単位での対抗演習(後の師団対抗演習に匹敵)を可能にしました。東京は他の鎮台設置都市とは格の違う特別な軍都であり、その兵力の練兵場としていち早く日比谷操練場が置かれ、広大な演習地として、明治6年に習志野訓練場が設置されました。今回の講演は、こうした首都の軍隊の特別な位置付け、性格に注目してお話をします。

第365回「消費文化のなかの節供行事」

開催要項

日程 2014年5月10日
講師 山田 慎也 (当館民俗研究系)

開催趣旨

現在、節供は三月には女の子の、五月には男の子の行事として、子どものイメージが強いものですが、一方で地域おこしとして各地で雛人形や鯉のぼりのイベントも盛んであり、観光資源としても見いだされるようになっています。

節供とは、もともと供え物をして祭りをする折り目の日という意味であり、のちに「節句」と書くようになりました。その起源は古く中国とするものが多く、宮中や武家、民間などの行事がさまざまに変化して季節の行事として浸透してきました。特に五節供といわれる正月七日の人日、三月三日の上巳、五月五日の端午、七月七日の七夕、九月九日の重陽は、古くから重視され、江戸時代にも式日と定められ、庶民にとっても大切な節目でした。しかし1873(明治6)年に五節供は公式には廃止されました。

節供は地域の民俗としてもつづいていきましたが、むしろ都市を中心に大きく変容していきます。デパートが雛人形や五月飾りを積極的に売り出したり、また生活改善運動の中で雛祭りが改めて教育的な視点から認識されるなど、節供の位置づけは変化しながらも、戦後を通してむしろ子どもの行事として浸透していきました。こうして大衆化していった節供は、現在では各地の雛祭りが観光資源としても注目されるようになり、節供行事がいっそう消費経済のなかで取り上げられるようになっています。このような近代以降の節供の有り様と生活の変化について消費文化の観点から考えていきたいと思います。

第364回「関東大震災の記憶-震災後から90周年まで-」

開催要項

日程 2014年4月12日
講師 高野 宏康 (小樽商科大学)

開催趣旨

関東大震災が起こってから現在まで、約90年が経過しました。その間、関東大震災の記憶は、犠牲者の追悼行事や、震災体験談、絵画、モニュメント等、さまざまなかたちで伝えられてきましたが、時期によって震災の記憶の表現のされ方や関東大震災への関心のあり方は大きく変化しています。

本講演では、震災時に火災旋風により約3万8千人が犠牲になった被服廠跡に、公的な性格を持った「震災記念堂」および「復興記念館」が建設される過程、そして90周年を迎えた現在に至るまでの変遷について、建設事業を担った東京震災記念事業協会の資料と、寄贈された多数の震災資料にもとづいて検証します。また、公的な震災記念施設からは見えにくい、地域社会で語りつがれてきた震災時の「人災」の記憶の掘り起こしの過程に着目し、震災の記憶を重層的に検討することで、関東大震災の現代的な意義について考えます。

第363回「出土文字史料を追う-古代国家の実像を求めて-」

開催要項

日程 2014年3月8日
講師 平川 南 (当館館長)

開催趣旨

私は、発掘現場から出土する文字の記された土器・瓦、そして木簡・漆紙文書などから、考古学と歴史学をつなぐ出土文字資料研究を行ってきました。

出土文字資料の分析を通じて、伝世された文献史料および多様な歴史資料を新たな視点からアプローチすることによって、重要な事実を摘出できることも学びました。

これからの古代日本の歴史研究は、現代的視点と世界史的視野のもとに、歴史・考古・民俗・文学などの幅広い資料と自然環境とのかかわりの中でみていかなければなりません。

その際、私はこれまでと変わらず資料を観ることと、可能な限りの仮説を提示することにこだわりながら、今後も古代国家の実像を求めていきたいと思います。

第362回「中世史料批判学の諸問題」

開催要項

日程 2014年2月8日
講師 井原 今朝男 (当館歴史研究系)

開催趣旨

21世紀の人文社会科学構築のため、史料学の分野でも、旧来のパラダイムの転換が求められています。その第一の理由は、史料を古文書・日記に二大分類して歴史学の補助学問としてきた枠組みに入らない聖教類・絵画資料・金石文など多様な史料群が、明治百年自治体史編纂事業や、歴博20万点の資料群の中でも大量に発見されています

第二に、旧来の古文書学・古記録学は、資料を一通の古文書やひとりの記者の日記に分割して、古文書や日記の様式(符・下文・御教書・書状等)・形態(日次記・暦記・部類記・別記等)から機能を復原・解読する分析方法をとってきました。そのため、これらに入らないものや混在した史料群について研究対象にされずに放置されてきました。 第三に、古文書同士が張り継がれ連券となった資料群や、古文書と日記が一緒になったものなどが、史料群としての果たした機能や役割が解明されてきませんでした。一点の史料の役割とは異なる史料群としての機能を文書集合の史料学として再構築したいと思います。

ありのままの現状保存の歴史史料群の中から群としての正確な歴史情報をどのように引き出すか、新しい史料批判学の構築のため、小さな歩みをはじめたいと思います。

第361回「怪談・妖怪コレクションから」

開催要項

日程 2014年1月11日
講師 常光 徹 (当館民俗研究系)

開催趣旨

2001年の夏に開催した企画展示「異界万華鏡―あの世・妖怪・占い―」を機に、「怪談・妖怪コレクション」を立ち上げました。妖怪・幽霊・怪談・死絵を中心に収集を図り、現在1千点近いコレクションに成長しました。今回は本コレクションのなかから、予言をする妖怪(予言獣)と河童を取りあげます。江戸時代後期に、流行病を予言しその除災の方法を告げるという奇妙な妖怪が登場して錦絵などに描かれました。件(クダン)のような予言獣は明治以降もしばしば出没し巷の話題になりました。予言をする妖怪の歴史的な背景と意味をさぐります。アニメ、マンガ、町おこしに活躍する河童は謎に満ちた妖怪です。河童像の移り変わりと河童をめぐる民俗を紹介します。