このページの目次
第312回「生業からみた旧石器から縄文」第311回「縄文・弥生時代を炭素14でみる」第310回「縄文土器のなぞを探る」第309回「中国の棚田-雲南省の辺境に生きる人々-」第308回「アジアの建築と都市」第307回「東アジアからみた日本建築史」第306回「中世の借金事情」第305回「呪術を使った職能者たち」第304回「伊勢市の版木に見る錦絵の彫と摺」第303回「錦絵の流通」第302回「中世考古学が語る町・村・山の職人たち」第301回「日本の民家-東と西-」

第312回「生業からみた旧石器から縄文」

開催要項

日程 2009年12月12日
講師 西本豊弘(考古研究系)

開催趣旨

日本の旧石器時代は少なくとも約4万年前から始まったと考えられます。その当時の旧石器時代人は、ナウマンゾウ・マンモス・バイソン・オオツノジカ・ヘラジカなどの大型動物を狩猟しており、それらの動物の日本列島での絶滅に関係した可能性があります。また植物質食糧も多く利用していたと推測されますが、その実態はわかりません。一方、縄文時代草創期は今から約1万5千年前から始まったと思われますが、旧石器時代から縄文早期への変化と生業の変化の関連はよくわかりません。これらの問題について、最近の新しいデータを紹介するとともに、問題点を考えてみたいと思います。

第311回「縄文・弥生時代を炭素14でみる」

開催要項

日程 2009年11月14日
講師 坂本 稔(情報資料研究系)

開催趣旨

炭素14年代法は、文字の残らない先史時代の年代を知るための有力な方法です。日本考古学と炭素14年代法の関わりは古く、実用化当初の1950年代から測定が続けられています。ところが、得られた年代が従来の年代観と合わないことが、時に大きな議論に発展したことがありました。弥生時代の開始年代に関する議論は記憶に新しいところですが、縄文時代の開始年代についても、炭素14年代法の測定結果を巡って議論が繰り返されてきました。考古学による研究成果は尊重されなければなりませんが、ボタンの掛け違いは炭素14年代法が正しく理解されていないことにも一因があるように思われます。本講演では炭素14年代法の原理を概説した上で、縄文時代、弥生時代の開始年代にまつわる議論を改めて整理したいと思います。

第310回「縄文土器のなぞを探る」

開催要項

日程 2009年10月10日
講師 小林謙一(中央大学)

開催趣旨

縄文土器に付着した炭化物による炭素14年代測定法を中心とした自然科学的手法によって、縄文時代を解明しようとする試みについて説明します。氷河期に遡った世界で最も古い縄文土器、1万3千年も続いた縄文時代、もっとも縄文文化が栄えた縄文中期の土器型式の変化の時間幅や竪穴住居の寿命、弥生土器と長期にわたって共存した縄文土器についてなど、年代測定研究が提起した、縄文時代への新しい知見を紹介します。縄文土器のはじまりのなぞ、縄文土器の使われ方のなぞ、縄文土器の最後に関わるなぞ、の3つの話題にしたいと思います。

第309回「中国の棚田-雲南省の辺境に生きる人々-」

開催要項

日程 2009年9月12日
講師 西谷 大(考古研究系)

開催趣旨

中国の雲南省を中心とした地域では、古くから水田耕作がおこなわれ11世紀には史書に棚田の記述があります。また14世紀初めから定期市の存在したことが史書から確認されています。定期市は盆地住民と山地民の経済活動を結ぶ場として機能していた点はこれまでも指摘されています。盆地の水田耕作は平常的な余剰を生み、タイ系の民族政権の中心地などに建設された城郭都市の維持を可能にしましたが、山地民は、棚田での稲作もおこなうのですが、焼畑耕作が中心のため移動生活を頻繁に繰り返し、余剰を蓄積することは極めて難しい状態でした。山地で生活を維持するために、山地民は物資の豊富な盆地と交易を営む必要がありました。歴史史料には、どのような商品が取り引きされていたかについての記述はありますが、定期市を成立させる条件は何であったのか、定期市がそもそもなぜ立つのかについてはこれまで不明な点が多々ありました。そこで今回の講演では、中国雲南省南部のヴェトナムと国境を接する金平県での実地調査をもとにしながら、定期市が成立する条件やその特質について紹介しながら、この地域で棚田での稲作が生業のなかでどのような意味をもっているかを述べてみたいと思います。

「タビ<旅>」を中心とした島のくらしは、私たちに働くということ、家族のかたち、故郷との関係などについて、多くの示唆を与えてくれるでしょう。

第308回「アジアの建築と都市」

開催要項

日程 2009年8月8日
講師 布野修司(滋賀県立大学)

開催趣旨

夜明けのタージ・マハル、このすっかり白大理石で覆われた建築はこの世のものとも思えなかった。幽閉されたシャージャハーンが日暮らし眺めて過ごしたというアーグラ城からの眺めもなんとも言えない。アンコール・ワットの頂に腰掛けて見た、落ちていく夕陽はすばらしかった。巨大な立体曼荼羅、ボロブドゥール、行く度に、仏陀の生涯とその教えを物語るというレリーフを右肩周りで見て歩く。レリーフに描かれた建物は見逃さずに何百枚と写真に収めたけれど、土間式の建築は未だにみつからない。

イスファハーンのエマーム(王の)・モスク、この精緻な幾何学に驚く。そして金曜モスクの数々の小ドーム、その創意工夫に感動を覚える。イスタンブールのアヤ・ソフィア、単純で素朴だけど力強い空間だ。増築に増築を重ねたイスラーム建築の傑作コルドバのメスキータは、モスクをキリスト教の大聖堂に転用した例だ。ヒンドゥー建築をモスクに転用した例がデリーのクトゥブ・モスクである。モスクもイスラームがインドネシアまでやってくると木造となる。北京の天壇、これはやはり宇宙建築というべきではないか。景山から眺める紫禁城(故宮)屋根の連なり、これはまさに「群宇の美」というべきだ。四合院という同じ形式の繰り返しが、変化に富んだ景観をつくりだす。万里の長城、これはもう地球規模の建築だ。

世界遺産級の建築ばかりではない。小さな建築にも珠玉のようなものがある。ヴェトナムはハノイの一柱寺、一本の柱の上にお堂が乗っている。慶州の石窟庵、仏像の額に埋め込まれた水晶玉に冬至の太陽がぴったり当たる。マハーバリプラムの小さなヒンドゥ寺院、5つのラタ、これはおそらく雛形(モデル)であろう。アジアには、まだまだ未知の、数多くのすばらしい建築が発見されるのを待っている、そんな気がしてならない。

そして、実際、アジアには土地土地で育まれた結晶のような住居集落が残っている。また、人々が営々と築き上げてきた数多くの魅力的な町がある。ロンボク島のチャクラヌガラやラージャスタンのジャイプルのようなグリッド・パターンのヒンドゥー都市、そしてカトマンズ盆地のパタン、ティミ、バクタプルをはじめとする数々の都市集落は忘れられない。イスラーム都市の袋小路はどこでも活気に溢れているけれど、テヘランのバーザール、アーメダバードやオールド・デリーの袋小路が印象深い。西欧人たちがつくりあげた都市も、すでにアジアの都市の伝統に繰り込まれている。

建築は人の営みとともにある。生きることと住むこと、そして建てることは密接に関わり合っている。そうした個々の建築行為が積み重なって、町ができている。アジアの建築と都市を見て回るための、そして自分たちの町や建築のあり方を振り返るための、いくつかの手がかりをお伝えできるとしたら幸いである。

第307回「東アジアからみた日本建築史」

開催要項

日程 2009年7月18日
講師 玉井哲雄(情報資料研究系)

開催趣旨

世界最古の木造建築法隆寺からはじまり、薬師寺、東大寺と続く寺院建築、伊勢神宮や出雲大社、春日大社で知られる神社建築、そして、縄文・弥生の竪穴住居・高床住居からはじまって寝殿造、書院造、民家と続く住宅建築、これらは日本列島における日本建築史の流れとして理解することができます。しかし、この日本建築史を東アジアという少し広い世界で比較してみるとどのようになるのでしょうか? 中国や韓国に、日本と同じように寺院建築・神社建築があるのでしょうか? 住宅建築はそれぞれの地域でどのように違っているのでしょうか? 中国大陸や朝鮮半島の建築と日本の建築を具体的に比較しながら、日本建築史を考えてみたいと思います。

第306回「中世の借金事情」

開催要項

日程 2009年6月13日
講師 井原今朝男(歴史研究系)

開催趣旨

昨年来のリーマンショック・サブプライムによる国際金融危機は、近代債権論そのものの矛盾が爆発したものとみることができます。借りた物は利子をつけて返すのがあたりまえ、返済しなければ質物が流れて清算され、そうでなければ利子が無限に増殖するのがあたりまえ、という現代の社会常識そのものがおかしいのです。古代中世には近代債権論の世界とは異なる原理が生きていました。利子は元金の二倍以上は法外の利子として違勅罪になりました。借用書には時効まで存在していました。債務者と債権者の権利が共存し、債務と返済が循環する経済原理を見つけ出したいと思います。

第305回「呪術を使った職能者たち」

開催要項

日程 2009年5月9日
講師 松尾恒一(民俗研究系)

開催趣旨

高知県の東部、徳島県との県境の山村物部地域(現、香美市 物部町)は、水田稲作には適さない地でしたが、杣(そま)(きこり)・猟師・大工・鍛冶・炭焼き等、山、樹木を資源として、さまざまな職能者が活躍しました。山深い地にあって、それらの職の多くは危険をともなうもので、職の遂行や安全を祈願して山の神への祈りが盛んに行われました。山の中は、多くの動植物が棲息しますが、またこれらの動植物は山の神の眷属と信仰され、動植物あるいは山中の精霊に対する祈りも入念に行われました。山中で活動した職能者たちは、職の遂行の過程でさまざまな祭儀を行いましたが、興味深いのは、それらの祭儀がときに、職敵(しょくがたき)等、他人を呪詛したりする呪法へと展開したことです。当地は、“いざなぎ流”と呼ばれる、病人祈祷や呪法を行った民間宗教者が活躍した地域としても知られますが、いざなぎ流にも触れつつ、当地で活動した諸職能者の呪術的な祈りの作法について考えてみたいと思います。

第304回「伊勢市の版木に見る錦絵の彫と摺」

開催要項

日程 2009年4月11日
講師 岩切友里子(国際浮世絵学会)

開催趣旨

伊勢市は、幕末のごく短期間、弘化2年から嘉永元年(1845~48)頃に、歌川国芳を中心として、三代歌川豊国、歌川広重の錦絵の出版した版元です。嘉永2年以降、伊勢市は錦絵の出版活動を停止しており、その後、使用した板木を流用せずに一括して保管していたものが現代に残されたものと見られます。錦絵の色板は通常、使い回されて消滅されてしまうもので、色板を含む板木のセットが残されていたことは実に稀有のことであり、その出現は、まさに150余年前の江戸のタイム・カプセルが開けられたといってもよいでしょう。板木に、絵の具の色名、摺の指示などが書き込まれており、絵師、彫師、摺師の協働作業であった錦絵の制作現場を窺うことができます。出来上がった錦絵との比較などにより、当時の錦絵制作の実際を考えてみたいと思います。

第303回「錦絵の流通」

開催要項

日程 2009年3月11日
講師 大久保純一(情報資料研究系)

開催趣旨

江戸の庶民芸術として知られる浮世絵の中でもっとも馴染みのある錦絵が、どのような事情でつくられ、そしてどう売られていたかを、画像と文献史料を併用して考察します。江戸末期の代表的な地本問屋である魚屋栄吉の店舗を描いた画像をもとに、錦絵のジャンルによる売れかたの違いを確認し、それをもとに、錦絵の具体的な作例を出版史の中に位置づけるこころみをおこないます。また、『藤岡屋日記』や曲亭馬琴の書翰などを通して、江戸末期の錦絵がどういった出来事や世相を背景にうみだされ、そして一枚いくらで、どのくらいの量が流通していのかを、具体的な作例をとおして考察します。安価で、そして短期間に大量に摺られた錦絵が、江戸末期の情報メディアとして大きな働きをはたすことになった実態が垣間見えてくるでしょう。

第302回「中世考古学が語る町・村・山の職人たち」

開催要項

日程 2009年2月14日
講師 小野正敏(考古研究系)

開催趣旨

中世は、都市の時代、商品(流通)の時代とも位置づけられます。日本列島の各地に新たな政権都市ができ、また海上交通や街道の整備により港町や宿(しゅく)と呼ばれる流通の結節点となる町が形成されました。こうした都市民の需要がこの時代を動かす原動力のひとつだったと言えます。都市はブラックホールのように、周辺から人、食料、燃料、生活財などを飲み込んで生きていきますが、一方で、都市内の職人や商人は地域へのさまざまな商品の供給も担っていました。また、海や山にコンビナートのように生産拠点を作り、焼物や鉄、鋳物、木工などを集中的に生産する職人集団もいました。今回は、近年の考古学の成果から、こうした都市や町、村、山の多様な職人たちの姿と技術について紹介します。

第301回「日本の民家-東と西-」

開催要項

日程 2009年1月10日
講師 玉井哲雄(情報資料研究系)

開催趣旨

〈民家〉という言葉は、一般的な「庶民住宅」という意味とは別に、江戸時代に建てられた、または江戸時代以来の伝統的な様式で建てられた住宅という意味で用いられます。大きな茅葺き屋根が目立つ農家がその代表的なもので、最近では「民家博物館」や「郷土資料館」などに移築復元されているものでしか見ることが難しくなってきました。しかし少し前まで全国各地にごく当たり前のように建っていたのです。ここで取り上げたいのは日本列島各地に見られる〈民家〉の多彩な特徴ある形です。南部(岩手県)の曲家、白川郷(岐阜県)の合掌造、大和盆地(奈良県)の大和棟、佐賀県のくど構え、南西諸島の分棟型などがよく知られており、屋根の形に最もよくその特徴が表れています。このような地域的特徴は、いつ頃から、どのような経緯で成立し、それぞれの地域でどのような意味を持っていたのでしょうか。日本列島における東と西という大きな地域性を軸にして、全国各地の民家の実例を見ながら考えてみたいと思います。