共同利用型共同研究

館蔵資料型共同研究

御屋根方「棟梁鈴木家資料」所収図面群の特性について

研究期間:2019年度

研究代表者 小粥(おがい) 祐子(まさこ) (東京都公文書館)
館内担当教員 大久保 純一(本館研究部)

研究目的

本研究の目的は、貴館所蔵「棟梁鈴木家資料」に収められた図面群(約72点)の構成から鈴木家が工事を担当した建物とそれぞれの図面に記述された内容の特性を明らかにすることである。

「棟梁鈴木家資料」は幕末から明治初期に、幕府と明治政府の公共建築の工事を現場で仕切った幕府小普請方支配御屋根方棟梁・鈴木家が所持していたものである(藤田英昭「二丸惣絵図」『東京大学史料編纂所画像センター通信』No.83(2018.10))。幕府の建築工事は作事方と小普請方の2役所によって行われた。その際に用いられた図面は作事方の頂点にいた大棟梁・甲良家のものが多く伝来し、広く知られている。しかし、甲良家の図面群は、主に、積算など工事準備のために使われた計画図と竣工後の記録として清書された竣工図である。これに対し、本図面群は、屋根方という建物の特定部分を受け持った大工が所持していた図面で非常に貴重である。本研究により、幕府の屋根方大工が所持した図面の構成とその内容について明らかにすることは、作事方大棟梁甲良家伝来図面に偏っていた既往の建築図面研究に一石を投じることができる。

さらに、本図面群には、明治新政府になって設けられた日本初の西洋的迎賓施設「延遼館」の図面が1枚ある。「延遼館」は、旧幕府が建てた海軍施設「石室」を転用し、複数の迎賓に合わせ、その都度、改修を行い使われた。事前調査の結果、当該図面は1回目の改修時のものであると推測することができた。つまり、棟梁鈴木家は幕府だけでなく新政府の建築工事にも関わったことが考えられるが、このことは日本建築史研究では未踏の分野である。また、当該図面を分析することは、幕末期に複数の港を開港して以降、日本建築が急速に西洋化していく過程を明らかにする上で非常に重要であると考える。

なお、申請者は、これまで江戸城内に建てられた御殿の図面を分析し(特に、東京都立中央図書館特別文庫蔵「豊田家文書」、千代田区教育委員会蔵「江戸城図面」については所蔵機関受け入れ時の図面整理から関わった)、3DCGなどによって復元する研究を行ってきた(小粥祐子・平井聖『よみがえる江戸城』NHK出版社、2014ほか)。このことから幕府の建物工事に使われた建築図面の分析については経験知がある。

研究成果の要約

本研究は、「棟梁鈴木家資料」に収められた図面47枚について、建物毎に整理し、年代比定と用途について検討することにより、幕府・御屋根方棟梁「鈴木家」が担当した建物を明らかにすることを目的とした。
江戸時代、幕府による建築工事は、作事方と小普請方の2役所によって行われたとされるのが一般的である。しかし、本資料の主であった鈴木は、徳川幕府の大名や役人などを記した『武鑑』によると「御屋根方棟梁」と記されていて、どの役所に属していたかは明かではなく、また、どのような工事に関わっていたのか、その実態は不明であった。

本研究の結果、図面群は「江戸時代」と「明治時代」の建物からなることが明らかとなった。江戸時代の図面は、幕府に関する建物とその他の建物とがあり、幕府の建物は江戸城内に建てられた本丸御殿・西丸御殿・二丸御殿の大奥の平面図と将軍の霊廟に建てられた石塔の図面であることが分かった。明治時代の図面は、明治新政府外国事務局管轄下の浜御殿や築地の外国人居留地周辺に関する図面であることが分った。さらに、各図面の用途について調査した結果、建築工事に関するものだけでなく、土木工事に関する図面もみられた。

以上の研究結果から、棟梁鈴木家は、その職名である御屋根方の仕事に留まらず、江戸時代から明治時代へと時代を跨ぎ、建築・土木工事に幅広く関わっていた可能性があることを推測することができた。

「棟梁鈴木家資料」には江戸時代末期の文書類も含まれており、文書については、工藤航平氏により研究が進められている。今後は、工藤氏による文書類の研究成果を参照し、関連史料を渉猟しながら、棟梁鈴木家の職掌と図面の具体的な用途について明らかにしていきたい。