共同利用型共同研究

館蔵資料型共同研究

港湾政策をめぐる制度設計の行政史:『石川凖吉関連文書』に着目して

研究期間:2019年度

研究代表者 山田 健 (北海道大学)
館内担当教員 原山 浩介 (本館研究部)

研究目的

 本研究の目的は、港湾政策をめぐる制度設計の解明にある。戦後日本では、港湾政策は運輸省港湾局によって所管された。港湾局が運輸省の一部局であったことは、旧内務省の大半の土木行政組織が建設省へ編入されたことに鑑みれば、決して自然ではない。そのため、技術官僚は港湾局の移管要請運動を展開し、行政管理庁は断続的に機構改革を検討した。しかし、実際には港湾局は運輸省の一部局として存続し、建設省に合流するには至らなかった。なぜ、港湾局ないし同局の所管する港湾政策は、独自の位置付けを維持するに至ったのだろうか。

先行研究は、上記の港湾局・港湾政策をめぐる問いを十分に解明していない。その背景には、港湾局の設置に関わる資料が十分に存在しないことがある。とりわけ、港湾局高官が、回顧録や追想録などで港湾局設置の背景を詳らかにしていない点は、港湾局・港湾政策の制度設計の分析にとっての大きな障壁となっている。

そこで、本研究は別の当事者の視点から、港湾政策の制度設計に接近する。具体的には、行政管理庁高官という立場で制度設計に関わった石川凖吉に着目し、その所蔵資料群を用いて分析する。これまでの港湾政策研究において、石川凖吉に関する資料、ひいては行政管理庁に関する資料が用いられることはなかった。本研究は行政管理庁・石川凖吉という独自の視点から当該現象を捉える点で、特徴的な研究と言えるであろう。

研究成果の要約

戦後日本では、港湾政策は運輸省港湾局によって所管された。港湾局が運輸省の一部局であったことは、旧内務省の大半の土木行政組織が建設省へ編入されたことに鑑みれば、決して自然ではない。そのため、技術官僚は港湾局の移管要請運動を展開し、行政管理庁は断続的に機構改革を検討した。しかし、実際には港湾局は運輸省の一部局として存続し、建設省に合流するには至らなかった。

なぜ、港湾局ないし同局の所管する港湾政策は、独自の位置付けを維持するに至ったのか。本研究は、この問いに対して、行政管理庁の視点からの接近を試みた。具体的には、行政管理庁高官という立場で制度設計に関わった石川凖吉に着目し、その所蔵資料群の調査にあたった。その結果、1950年代の中央省庁の制度設計において、行政管理庁が運輸省港湾局による港湾政策の所管を一定程度評価していたことが明らかになった。また、行政管理庁がその観点のもとで運輸省港湾局の在り方を定期的に確認し、継続的に統制していた様子も明らかになった。これらの知見を手がかりに追加的な資料批判・分析を重ねることで、港湾政策をめぐる制度設計の全体像が解明されると考えられる。

なお、本研究で「石川凖吉関連文書」を利用する中で、同文書所収の行政監察に関する文書群が有用であることを認識するに至った。行政監察とは、行政組織の動向を監視し、問題点の指摘やその解決のための情報提供を行うことである。そのため、行政監察をめぐる資料は、当時の行政が直面していた問題や、その問題に対する行政活動の質を映し出す。本研究で調査した資料では、狩野川台風や伊勢湾台風など相次いだ大災害、森永ヒ素ミルク事件、朝日訴訟といった問題に関する情報が散見された。この種の情報は、行政の現場に根ざした視点からの社会問題の照射を可能にする点で有用である。このような「石川凖吉関連文書」の価値を見出した点は、本研究の副次的な成果と言えよう。