基盤研究

先端博物館構築研究

近現代展示における歴史叙述の検証と再構築

研究期間:平成22年度~平成24年度

研究代表者 原山 浩介 (本館・研究部)
研究組織 原田 敬一 (佛教大学)
山本 和重 (東海大学)
吉田 裕 (一橋大学大学院)
中野 聡 (一橋大学大学院)
屋嘉比 収 (沖縄大学)
大串 潤児 (信州大学)
荒川 章二 (静岡大学)
崎山 政毅 (立命館大学)
冨山 一郎 (大阪大学大学院)
矢口 祐人 (東京大学大学院)
趙 景達 (千葉大学)
宋 連玉 (青山学院大学)
慎 蒼宇 (都留文科大学)
小川原 宏幸 (同志社大学)
宮本 正明(学識経験者)
水野 直樹 (京都大学)
高村 竜平 (秋田大学)
鳥山 淳 (沖縄国際大学)
高岡 裕之 (関西学院大学)
板垣 竜太 (同志社大学)
久留島 浩 (本館・研究部)
安田 常雄 (本館・特別客員教授)
高野 宏康 (本館・機関研究員)

研究目的

本共同研究は、近現代史に関わる歴史展示に関わる諸課題を検討し、展示の背景になっている歴史叙述に関わる問題点の抽出、および歴史叙述及び歴史展示の将来像を構想しようとするものである。近現代史、なかでも時間的・内容的に現代との関わりが深い歴史の表象をめぐっては、いくつかの課題がある。それは端的にいえば、歴史叙述のが、その時代を生きた者、あるいは歴史性を背後に生起する社会問題と深く関わりながら生きている者が生存しているなかで、歴史が生々しく語られていることを前提として成立していたことによる。こうした近現代史の性格は、しかし、それら語り部となるべき人びとの消滅と、それに伴うある歴史に関わる伝承の途絶により、変容を迫られることになる。

この局面は、展示において先鋭的に表面化する。展示は、書籍や教科書といった媒体と比べて、専門性を背景にした研究ベースの歴史叙述と、一般の来館者などの受け手が、よりダイレクトに対峙するものとなる。具体的に本館の展示に即していえば、既存の第5展示室、ならびに平成22年3月に開室する第6展示室と関わって、主に「戦争」と「日朝関係史・在日朝鮮人史」に既に以下のような問題が露呈しつつある。したがって本共同研究では、当座はこれらふたつの課題を軸に議論を進め、現代史叙述の見直しの第一歩とする。

「戦争」をめぐっては、本館第6展示室における展示が、これまでの歴博における戦争研究の到達点であるのみならず、学界における研究や他館における展示の現段階を少なからず反映したものとなる見通しである。これは、敗戦を契機に醸成された、戦争体験とその伝承に基づく、現代日本の政治ならびに思想状況に特有な戦争観を基底に据えている。しかしながら、戦争体験者が少なくなり、また日常の場における伝承が途絶えていくなかで、この戦争観を支える世代的なベースを喪失していくことが予想されるだけでなく、学校教育や博物館の展示場などにおいては既に言説と来館者の乖離が始まっている。またその一方で、世界では第二次世界大戦までとは異なる性格を持つ戦争が起こっており、しかも日本社会はそれら戦争の背後にある構造から決して自由ではなく、そうした今日的な視角から戦争というものそのものを見直す必要が生じている。

こうした事情に鑑みたとき、戦争をめぐって博物館展示は変革を迫られていると同時に、平和ということを戦争との関わりからどのように伝えていくのかという点においても、これまでとは異なる手法や文脈化が求められているといえる。その兆候は、例えば、博物館では、既に「悲惨さ」に関わる展示手法をめぐる来館者の受け止め方の違い(世代間ギャップ)として現れ始めており、また過去の日本の戦争について学ぶことが今日の世界の戦争に関わる理解と結びつきにくいという現象として表面化しつつある。

したがって本研究では「戦争」をめぐり、第二次世界大戦以降の世界における戦争のあり方とその変容を視野に入れ、かつ、日本社会が戦後においてそれら戦争を支える構造にどのように組み込まれていたのかを明らかにしつつ、戦争体験に依拠した既存の歴史叙述が醸成する戦争のイメージがそこからどれだけ乖離しているのかを見いだし、将来的に歴史叙述の中で、あるいは博物館における平和教育として、「戦争」をどのように表現していくことが可能なのかを模索することを主目的とする。なお、この課題は研究期間内に一定の結論を出し得ない重大さを持っているため、本共同研究においては、今後の歴史叙述ならびに展示の見直しを議論していく上で共有するべき論点を見出していくこととする。

なお、本共同研究では、歴博の展示に対する来館者等の反応が、現状把握のための重要なデータとなる。さらに、第6展示室の展示内容に連動させる形で議論をスタートさせ、展示内容の見直しが迫られる際にはその対応も含めて検討する形で共同研究を進めていくこととする。

次に「日朝関係史」「在日朝鮮人史」に関しては、これまでの日本史の叙述においては、必ずしも十分に説明されてこなかったことが、歴史展示のあり方にも強く影響を及ぼしている。すなわち、朝鮮人が日本に来るまでの諸要因が整理されないまま示され、その結果、例えば関東大震災における朝鮮人虐殺といった突出した出来事に過剰に象徴させることで、「差別」の局面を示すという手法を採らざるを得なくなっている。こうした展示は、「差別」の日常的な諸相を来館者に看過させる結果になるばかりか、近代以降の日朝関係や在日朝鮮人に関わる歴史を矮小化することにもつながっている。

この事態は、戦後における在日朝鮮人史についても同様である。1945年以降の歴史叙述においては、地政学的な状況を反映する形で、突如として「朝鮮」が日本の外部に置かれることとなり、日本にとどまった朝鮮人については、これを規定する諸事情が戦前以上に説明不足となる。

こうした諸課題がもたらされている要因として、日本史におけるこれまでの関心の持ち方が、日本人の歴史への関心と、それ以外の他者への関心という形で分断され、双方に目配りした叙述が十分に検討されてこなかったこと、その結果、在日朝鮮人史は、日本史と朝鮮史の双方から疎外された状態になってきたことが挙げられる。加えて、とりわけ在日朝鮮人史およびそれと関わる近代の日朝関係史が、在日朝鮮人の権利獲得運動のなかで形成された一連の言説と混淆する形で歴史研究者を含む知識人により把握される例が少なくなく、このことが実証性の甘さと歴史像の単純化をもたらしている。

以上の状況に鑑み、「日朝関係史」「在日朝鮮人史」に関しては、この分野の歴史叙述をめぐって実証的な検証を行うとともに、日本において歴史としての文脈化がどのように可能かを検討する。また同時に、近年になって変化の兆しが見える、韓国における研究動向ならびに近現代史展示の動向を把握し、それらとの連動の可能性を探る。さらにこれらを踏まえて、最終的に日本において歴史展示を行う際にどのような手法が有効かを検討する。