共同研究:『越前島津家文書』の分析と関連史料の収集を通した室町幕府奉公衆の編成過程と活動実態の研究
共同利用型共同研究
『越前島津家文書』の分析と関連史料の収集を通した室町幕府奉公衆の編成過程と活動実態の研究
研究代表者 | 矢嶋 翔(中央大学大学院) |
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館内担当教員 | 田中 大喜(本館研究部 歴史研究系) |
研究目的
【本研究の概要】 本研究は、南北朝の内乱期に室町幕府将軍に直属した御家人(当参奉公人)の軍事・政治的実態の検討を通して、室町幕府奉公衆の編成過程を追究するものである。奉公衆は将軍権力を支える直接の基盤であり、当参奉公人はその奉公衆の前身として、南北朝の内乱期に足利将軍家に近侍し、政治・文化・軍事など各方面で活躍した存在である。当参奉公人から奉公衆への整備・編成を追究することは足利将軍権力の形成過程を理解する上で重要なテーマである。
【奉公衆研究の課題点】 奉公衆の研究は、室町・戦国期に奉公衆を構成した各家の分析が主流である。これは奉 公衆の構成を記した「番帳」と呼ばれる奉公衆の名簿が幕府の最盛期から崩壊期までの間に多く残っているためである。この番帳を基礎にして、これまで室町・戦国期の奉公衆家の復元作業が盛んに行われてきた。だが、番帳から各奉公衆家の系譜を整理する研究方法だけでは、奉公衆の全体把握および時代的な連続面の追究に限界がある。特に南北朝の内乱を経て奉公衆が編成されていく過程の研究については、現在にいたるまであまり行われていない。そのため、個々の武家文書の検討を通して、奉公衆の編成とその展開を含めた総体的な評価していく必要が ある。本研究は、国立歴史民俗博物館が所蔵する「越前島津家文書」およびそれに関連する文書(山科家古文書と 広橋家本「田代文書」)の調査・研究を通して、南北朝の内乱期の当参奉公人の実態および奉公衆への編成過程を 検討していく。
【「越前島津家文書」について】 今回の研究では、「越前島津家文書」の原本調査を複数回にわたって実施する。「越前島津家文書」は播磨国下揖保荘を本拠とする播磨島津家に関する武家文書である。播磨島津家は南北朝の内乱期には当参奉公人、室町期には奉公衆として活動していた。播磨島津家の家伝史料である「越前島津家文書」は系図を含めた計六十点ほどの古文書が巻子本に装幀された状態で現存する。「越前島津家文書」は奉公衆の一実態を示す史料であることから、これまで多くの研究者に注目されてきた。
【「越前島津家文書」の研究の現状と課題】 現存する「越前島津家文書」の多くを占めるのは、南北朝期の島津忠兼の動向を示す軍忠状である[水藤89]。忠兼の軍事展開については丸山晴久氏が詳細な検討を加えている[丸山 70]。ただし、丸山氏の成果は、公表からかなりの年月が経っており、この間に「越前島津家文書」研究も大きく前進 した。特に、近年、前田徹氏は赤松円心の花押と関係文書の筆跡検討を行い、『越前島津家文書』内の四通の軍忠 状がリアルタイムで作成されたものではなく、島津家が抱えていた訴訟に合わせて日付を遡って作成され直されたものであることを明らかにしている[前田20]。この見解に従えば、「越前島津家文書」全体の内容自体の信憑性にも 問題が生じ、上述の丸山氏の成果も再検討する余地がある。ただし、前田氏が行った調査は赤松円心の証判が据えられた文書のみであるから、改めて、「越前島津家文書」全体の内容・筆跡・花押の形態、果ては文書に使用されている料紙にいたるまで再検討しなければならない。こういった問題意識から、「越前島津家文書」の原本(特に軍忠 状や軍勢催促状、恩賞宛行状、一揆契約状、下揖保荘相伝系図などを中心とした)調査を実施する。
【「越前島津家文書」の調査方法と意義】 播磨島津家の所領(旧領・恩賞地)分布図や、南北朝期の軍事活動を示す地図の作成、原本調査を通して得た情報や関連史料の分析による知見などを基にして、室町幕府奉公衆播磨島 津家に関する史料・文献の総合目録を作成する。また、播磨島津家に関連する史料の収集や他の当参奉公人・奉 公衆との比較分析も実施する。上記の成果は『越前島津家文書』の活用方法の深化に大きく貢献するだけでなく、 今後の当参奉公人、ひいては室町幕府奉公衆に関する研究資源を日本中世史学会に広く提供するものと考える。
【参考文献】…五十音順、副題・初出は省略。以下の表記もこれに準ずる。水藤 真[1989]:「越前島津家文書の系図と文書」(『企画展示 中世の武家文書』国立歴史民俗博物館) 前田 徹[2020]:「赤松円心の花押と関係文書の筆跡」(『中世後期播磨の国人と赤松氏』清文堂出版) 丸山晴久[1970]:「島津忠兼について(上)」(『金沢文庫研究』第16号第1巻
研究成果の要約
本研究は国立歴史民俗博物館所『越前島津家文書』を利用し、室町幕府奉公衆播磨島津氏の鎌倉期~室町期における政治・軍事活動の把握と本領支配の実態解明を試み、そこから室町幕府の奉公衆の編成過程について考察することを目的とする。
本研究ではまず『越前島津家文書』に収まる古文書・系図の原本調査を実施し、料紙・筆跡・花押等にいたる細かな分析を行った。そして、この原本調査で得た成果を基に播磨島津家の所領(旧領・恩賞地)分布図や南北朝期の軍事活動を示す地図などを作成した。合わせて関連史料の収集も行い、播磨島津氏の在京活動や本領下揖保庄に関する情報を年表化した。さらに上記の成果を基にして、室町幕府奉公衆播磨島津氏に関する史料・文献の総合目録の作成を試みた。これらの成果を公表できれば、今後の『越前島津家文書』の活用方法の深化に貢献するほか、奉公衆研究の資源を広く提供することができると考える。
また『越前島津家文書』を読み込むうちに、播磨島津氏が鎌倉期~南北朝期に抱えていた本領の支配問題に関心を持つようになった。特に室町幕府成立期に本領が闕所地として味方に分配されてしまう事態が発生し、島津忠兼が暦応年間に幕府に訴えている点に注目した。この訴訟以降、播磨島津氏の幕府特に将軍家への近侍が活発になることから、この訴訟は播磨島津氏の当参奉公人化の画期として注目できると考えるにいたった。また、この訴訟では日付を遡る形で建武年間の軍中状が作成され直されていることが先学によって指摘されているが、こういった事例は山内首藤通継の関係文書からも確認がとれた。そのため、南北朝の内乱が地域武士団の本領支配に及ぼした影響や幕府訴訟の手続きに関する考察を深める必要から、関連史料の調査計画を一部変更し、山口県文書館が所蔵する『山内家文書』(『山内首藤家文書』)の原本調査を実施した。