共同研究:高松宮家伝来禁裏本『日本紀略』の書誌学的研究

歴博共同研究

共同利用型共同研究

高松宮家伝来禁裏本『日本紀略』の書誌学的研究

研究代表者 三輪 仁美(元 宮内庁書陵部)
館内担当教員 小倉 慈司(本館研究部 歴史研究系)

研究目的

本研究は、高松宮家伝来禁裏本『日本紀略』(H-600-1668 特6 函20)の史料的性格の考察を目的とする。『日本紀略』は、神代から後一条天皇に至るまでを編年体で記した史書である。本書の前半部分(神代〜光孝天皇)は六国史からの抄録であるが、現行の六国史に見えない記事を知ることができる。後半部分(宇多天皇〜後一条天皇)は「宇多天皇御記」や「外記日記」等の記録類に拠り編述され、古代史研究において基礎史料として活用されている。しかし、記録類や諸写本に見られる書名は一定ではなく、本書の編纂過程、成立年代、編者については不明な点が多い。また近年の研究では、新訂増補国史大系において前半部分の底本、後半部分の対校本とされている宮内庁書陵部所蔵久邇宮家旧蔵本は、ほぼ完本ではあるものの、必ずしも善本とは いえないことや、東山御文庫勅封御物の二十冊本は久邇宮家旧蔵本よりも書写年代が遡る善写本であることが指摘されている。全巻を完備した『日本紀略』の古写本は現時点で発見されておらず、近世写本に拠りテキストを提示せざるを得ないが、写本の系統や性格については十分に検討がなされているとはいえない状況にある。館蔵の高松宮家伝来禁裏本『日本紀略』は、後西天皇の蔵書であったことが確実視される良質な写本であり、現存の勅封御物との関係や、写本系統への位置づけを行う必要がある。本研究は、高松宮家伝来禁裏本『日本紀略』の書誌的特徴を検討するものである。史料的性格を考察することで、『日本紀略』の写本系統の全体像の素描を試みることができ、『日本紀略』に関して新たな知見をもたらすことが可能となる。

研究成果の要約

本研究は、高松宮家伝来禁裏本『日本紀略』(H-600-1668 特6 函20)の書誌的特徴の考察を目的とする。

まず本書の伝来の経緯に関して、本書は後西上皇から霊元天皇へと進上された書物の一つであり、霊元天皇(当時は法皇)の崩御(享保17年)から間もない頃に有栖川宮家に運ばれた可能性を想定した。当時の宮家の当主は霊元天皇の皇子職仁親王であり、霊元天皇との密接な関係を背景として宮家に移譲された。それが後に有栖川宮家の祭祀を継承した高松宮家に伝来したと考える。

次に本書の書写に関して、本書に見える元和7年(1621)奥書は宮内庁書陵部所蔵中院通村書写本と同一のものであること、字配りや誤字・脱字等の入り方がほぼ一致することから、両写本が近接した関係にあると推測する。ただし、中院本に見える錯簡が本書では正しく配列されており、本書は中院本を整理して書き直した写本(あるいは、それをさらに転写した写本)であろう。本書には「金澤文庫」印影の模写や弘長2年(1262)の年紀を持つ本奥書があり、本書の祖本に金澤文庫本の存在が想定できる。なお、弘長2年奥書は醍醐天皇紀から後一条天皇紀までを有する写本の多くに確認でき、これらは同一の祖本から派生したと言えるであろう。写本系統が判明する写本の中では、中院本が最も古いと見られるが、本書は中院本の錯簡が正されており、中院本から時間的にそれほど隔たりが大きくない時期に書写されたと思われる善本である。

現在新訂増補国史大系により知られる『日本紀略』は神代から後一条天皇までを編年体で記した史書であるが、管見の限りでは、「日本紀(記)略」という外題を有するもの、神代から後一条天皇および陽成天皇紀から宇多天皇紀を有するものは極めて少ない。書名や写本の伝わり方、書承関係を検討することは、現行『日本紀略』の成立を明らかにする上で一つの有効な手立てとなり得るであろう。

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