共同研究:南北朝時代から室町時代前期における廣橋家の漢籍環境の研究
共同利用型共同研究
南北朝時代から室町時代前期における廣橋家の漢籍環境の研究
研究代表者 | 髙田 宗平(中央大学/日本古代中世漢籍受容史・漢学史、漢籍書誌学) |
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館内担当教員 | 小倉 慈司(本館研究部/日本古代史、史料学) |
研究目的
本研究は、館蔵廣橋家旧蔵記録文書典籍類(H-63。以下、廣橋本と略称)のうち、主に改元資料を対象とする。前近代まで廣橋本を集積・襲蔵してきた廣橋家は藤原氏北家日野流の支流で、頼資を家祖とする。家格は名家で、弁官・蔵人等を経て納言に至るのを通例とし、中流公家として朝廷の実務を担った。同家は儒学・有職故実・文筆を家職として、代々当主が日記を残し、年号勘申者を輩出した。また室町中期から後期、江戸期には武家伝奏に補された。廣橋本には『経光卿記』『兼仲卿記』『兼宣公記』『綱光公記』等の家記が含まれており、これらは鎌倉期から室町期の基本史料の一つであることが広く認識されている。その他、廣橋本には日記以外の朝廷の年中行事、改元、叙位・除目等の朝廷の行事や政務に関する文書・記録も含まれている。近時、本館から『広橋家旧蔵記録文書典籍類目録』(以下、広橋本目録と略称)が刊行され、史料群としての廣橋本の全体像がわかるようになり、漸く本格的研究の基盤ができたと言える。その一方、廣橋本の改元資料を対象とした研究は、本館の基盤研究・共同研究「廣橋家旧蔵文書を中心とする年号勘文資料の整理と研究」(平成27年度~29年度)が組織され(申請者は参加)、研究書では小倉慈司『事典 日本の年号』(吉川弘文館、2019年)において史料として用いられているものの、未だ進んでいるとは言い難い。本研究は、上記共同研究の成果を発展的に継承し、広橋本目録や『事典 日本の年号』の成果を参考にしながら、廣橋本『年号字 新撰』(H-63-218)を研究資料の中核に据え、年号勘申者を輩出した廣橋家の南北朝期から室町前期における漢籍環境について検討することを目的とする。本研究の遂行は、更に明経博士家清原氏の学問や禅林の文学活動の解明が中心の日本中世漢学研究に新たな視点を提示することにも繫がる。
研究成果の要約
本研究課題は、『年号字 新撰』(H-63-218)を厳密に分析することを通じて、年号を勘申した家柄である廣橋家の南北朝時代から室町時代前期における漢籍環境の一端として、廣橋仲光(1342~1406)の漢籍環境を解明することである。
本研究課題の成果の概要は、次の通りである。 まず、厳密な原本調査を実施し、この調査に基づいて、詳細な書誌事項を記し、更に可能な限り原本に依拠し翻字した。『年号字 新撰』は、「明徳五年改元之時少〻又抄出書加了/権大納言藤原(花押)」の墨書から、明徳五年(1394)の応永度の際に、廣橋仲光が諸漢籍から抄出し加筆したものであり、廣橋仲光の自筆本と推定される。更に、「先公御代幷下官抄出之字等書集也」の墨書から、年号案が「先公」すなわち忠光の父兼綱(1315~1381)と「下官」すなわち仲光が漢籍から抄出したものが含まれていることが示されていることがわかる。『年号字 新撰』の書名同定には、書誌学的見地から見れば、表紙の外題ではなく、首題(内題)である「年号新字」を採用するのも一案であると思われる。
次に、散佚した『修文殿御覧』佚文の存在を提示した。『年号字 新撰』には「文康」の出典として「脩文殿御覧曰、世中稱廋文康為豊年穀王、雅恭為荒年穀。」と記され、「御覧」から「稱廋」に右傍に「巻第百六品藻下」と記される。この記載の通りであれば、『修文殿御覧』巻第百六・品藻下の佚文となろう。当該『修文殿御覧』佚文の特筆すべき点は、巻数・篇名が記されていることにあり、今後、『修文殿御覧』の復原及び編成等を検討する上で主要な手がかりとなろう。
更に、『年号字 新撰』所引漢籍は、唐鈔本に由来する本文を遺存することがある一方で、誤写が存することを明らかにした。
廣橋仲光の漢籍環境について、仲光の周辺には『修文殿御覧』を披覧し得る環境にあり、あるいはこれを所蔵していた可能性があること、唐鈔本に由来する本文を遺存する漢籍を披覧し得る環境にあり、あるいはこれを所蔵していた可能性があることを明らかにした。