共同研究:昭和戦前期「生活改善」運動と葬儀の簡素化に関する理念と実態

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館蔵資料利用型

昭和戦前期「生活改善」運動と葬儀の簡素化に関する理念と実態

研究代表者 大場 あや(大正大学大学院)
館内担当教員 山田 慎也(本館研究部 民俗研究系)

研究目的

本研究の目的は、昭和初期~戦中期における生活改善運動などの「冠婚葬祭の簡素化」を掲げた官製運動が、地域社会においてどのように展開されたのか、行政と地域の2つの視点から明らかにすることである。

近年、民俗学・歴史学の分野から、戦後の新生活運動の制度史および地域における展開を扱った研究成果が提出された。新生活運動は、周知の通り、衣食住の改善や社会儀礼の簡素化の実践を通して物心両面から生活の改善・向上を目指す運動である。先行研究では、明治末期の地方改良運動(内務省)、大正期の生活改善運動(文部省)、昭和初期の農山漁村経済更生運動(農林省)などを新生活運動の前史として位置づけ、推進主体は異なりながらも倹約や無駄の排除、虚礼の廃止といった理念・発想は基本的に戦後も受け継がれたことを指摘している。また、実際に取り組まれた内容は「冠婚葬祭の簡素化」が最も多く、全国的に重視された項目であることも指摘されている。

このように、類似した運動が広く見られたにもかかわらず、葬制研究においては、新生活運動をはじめ生活改善を掲げた運動(以下、「生活改善」運動)が葬送習俗に与えた影響について十分な検討がなされていない状況である。こうした問題意識から、研究代表者はこれまで戦後の新生活運動における葬儀の簡素化を促す言説に着目し、山形県を中心に、群馬県、栃木県、新潟県、北海道における運動の地域的展開を明らかにしてきた。

本研究では、昭和戦前期の「生活改善」運動における冠婚葬祭、とくに葬儀の改善に着目する。戦前期には、行政は何を改善すべきと考え、地域では何が実行に移されたのかを一次資料から明らかにし、戦後には何が引き継がれ、あるいは捨象されていったのか、その連続と変化を考察する。

研究成果の要約

本研究では、明治末期から昭和戦前期にかけて進められた「生活改善」を掲げた官製運動が、地域社会においてどのように展開されたのか、「冠婚葬祭の簡素化」に注目して検討を行った。戦前期には何が改善すべきと考えられ、地域ではどのような実践がなされたのかを一次資料から明らかにすることで、戦後の生活改善・新生活運動との比較を射程に入れている。

まず、館蔵資料の『部落会 町内会 指導者必携』(昭和16年、石川県発行)を中心的に分析した。同資料は、大政翼賛体制下、「戦時生活刷新」のため県下各地域の指導者に向けて出された手引書である。次に、石川県における地域資料の蒐集・分析を行った。同県における明治末期~大正期における地方改良運動・民力涵養運動(ともに内務省主導)、生活改善運動(文部省主導)、昭和初期の農山漁村経済更生運動(農林省主導)の実践報告・指導者参考資料等を見ると、「冠婚葬祭の簡素化」は各町村の消費経済部門等において必ずと言ってよいほど取り上げられ、重要な位置を占めてきたことが分かる。具体的には、振舞・返礼の廃止・範囲縮小、香典返しの廃止・寄付、共同葬具・棺・火葬場・墓地の利用、婚礼・葬祭費用の基準設定、式服・用具の簡素化などである。そしてこれらの事項は、基本的に戦中期まで一貫して引き継がれていた。

とくに注目されるのは、同県では、共同葬具や共同棺などの共同設備の利用が遅くとも大正期より県内各地で見られることである。この「共同化」の流れは同県の戦後の運動においても中軸をなしている。先行研究では、冠婚葬祭の簡素化は「成果があがらなかった項目」とされてきたが、こうした「共同化」の事例を掘り下げ、通史的に検討していくことで、「成果」の再検討、さらには婚礼・葬送の変容史、戦後の冠婚葬祭互助会の展開史への接続が可能となると考える。同県における戦後の運動展開と「共同化」が進められた背景については、今後の課題としたい。

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