共同研究:関東縄紋時代中期後葉の土器群の年代的位置づけ

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関東縄紋時代中期後葉の土器群の年代的位置づけ

研究代表者 西本 志保子(中央大学)
館内担当教員 坂本 稔(本館研究部)

研究目的

南関東における、縄紋時代中期後葉の連弧文土器の年代的位置づけを明確にするために連弧文土器と共伴する加曽利E式と曽利式土器を含めて炭素14年代測定をおこない、南関東縄紋中期後葉の土器群の序列を探る。

連弧文土器は、竪穴住居跡内で曽利式土器、加曽利E式土器と共伴し出土することが通常であり、単独で出土することはない。連弧文土器を南関東の中期後葉の土器群の中で、どのような位置づけをするのか考察を進めていくためには、これらの土器がどのような時間的前後関係にあるのかを明確にしなければならない。それぞれの土器の年代的前後関係については、層位や同型式の土器の共伴関係から研究されており土器型式として相対的な年代の共通理解がある。しかし、実年代の研究としては小林謙一の研究が頼りである。小林によれば、連弧文土器の存続期間は2850-2650calBC内に納まることになっている。その研究を踏まえ、さらに連弧文土器の変遷と曽利式土器、加曽利E式土器との時間的な前後関係について明らかにするために、これらの土器の炭素14年代測定を行いたいと考えている。

同時に、炭素・窒素安定同位体分析もおこない、縄紋中期の南関東において煮炊きした調理物の内容を調べて当時の食環境についても考察をするつもりである。

研究成果の要約

本研究では、縄紋時代中期の土器群に年代的位置づけを与えることを目的としている。神奈川県相模原市勝坂遺跡出土土器を中心に炭化物を採取し、年代測定可能だと判断された12点の炭化物の処理作業をおこない、9点の炭素14年代測定を依頼し測定結果を得た。

福島市和台遺跡の2点の年代測定結果は、予想された年代とは離れた値を示していたが住居跡床直上の炭化物については、後世の攪乱であると推察できた。また土器付着試料については、炭素・窒素同位体比分析の結果と合わせて検討すると、遺跡の傍を阿武隈川の支流が流れており、サケを利用した可能性が考えられる。サケの遡上による海洋リザーバー効果によって年代が古くなったと推察した。

勝坂遺跡を中心とした南関東の縄紋時代中期後葉の土器群、加曽利E1~E4式,加曽利E2式期に共伴する曽利Ⅲ式の較正年代について、小林謙一が提示する中期後葉の土器の実年代(小林2017)と対照して、妥当な年代測定結果がでていることを確認した。

勝坂遺跡は、昭和初期に大山柏によって「縄文農耕論」が論じられた遺跡である。勝坂遺跡出土土器の圧痕レプリカの研究成果として、ツルマメの利用が指摘されている。炭素・窒素同位体比分析からも、C3植物や堅果類が利用されていると考えられ、東京都の同時期の遺跡でも同様の傾向がみられた。

今回は9点の炭素14年代測定結果であるが、事例を積み重ねていくこと、測定結果をきちんと分析して、想定外の数値がでたときは、その原因を考察していくことが重要であろう。その結果、土器編年に、より精度の高い実年代を与えることが可能になると思われる。

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