共同研究:古墳時代・三国時代の日朝関係における交渉経路と寄港地に関する日韓共同研究
基盤研究
課題設定型共同研究
古墳時代・三国時代の日朝関係における交渉経路と寄港地に関する日韓共同研究
氏名(所属/専門分野/分担課題) | |
研究代表者 | 高田 貫太 (本館研究部/日朝関係史/西日本地域の航路と寄港地(研究統括)) |
研究組織 |
(韓国側) (日本側) |
研究目的
本共同研究は、古墳時代における日朝関係史像を、当時の交渉経路や寄港地(交渉拠点)の実態という観点から再構築することを目的とする。
これまでの研究によって、古墳時代(≒朝鮮半島の三国時代)は、倭の社会が朝鮮半島から先進文化を盛んに受容した時代と評価されている。また、朝鮮半島の諸勢力(百済、新羅、加耶、栄山江流域)も当時の緊迫した政治情勢の中で、時には厳しい対立をふくみつつも、基本的には倭との友好的な関係を模索したことが明らかとなりつつある。特に近年の研究の進展によって「任那支配論」や「朝鮮出兵論」を震源とした倭の軍事的活動が日朝関係の基本とする見方を相対化し、王権、地域社会、集団のより基層的で多元的な交互交渉の様態が想定されるようになっている。申請者もこの研究動向を積極的に評価する一人である。
ただ、これまでの研究では倭、百済、新羅、加耶など政治勢力(王権)を単位として、その間の交渉様態を分析する形式が大部分であり、王権に属しながら対渉活動を実際に担った地域社会や集団の連繫性に主眼を置く研究はいまだ数少ない。また、実際の航路についても、例えば加耶と倭の交渉の場合、抽象的に釜山・金海―壱岐・対馬―北部九州―瀬戸内―近畿というような概括的な提示がなされているにすぎない。
すなわち当時の多様で錯綜した日朝関係史を、より具体的かつ実証的に描いていくためには、実際にどのような航路や寄港地を用いて行われていたのか、その航路や寄港地がどのような形で管理・運営されていたのか、それが時空間的にどのように変動したのか、という課題について、考古資料に即した検討を深めていくことが不可欠である。ここに本共同研究の目的と意義がある。
このような立場から、本共同研究では具体的な課題を大きく2つ設定する。ひとつめは、朝鮮半島中南部と西日本地域を対象とし、朝鮮半島西・南海岸、瀬戸内海沿岸、日本海沿岸をつたう交渉経路とその経路に沿って点在した(と推定される)寄港地の具体的な復元である。そのために、沿岸地域や島嶼部、河口に位置し(臨海性が高く)、朝鮮半島系資料(倭系資料)が確認される集落遺跡や古墳の基礎的整理(遺跡の性格、時期、分布)を行い、その動態を分析する。日本考古学の側には資料の蓄積は十分にあり、韓国においても、臨海性の高い遺跡の調査、研究が急速に進展している。
この基礎的な分析を土台として、当時の日朝関係の動向の中で、交渉経路や寄港地がどのように王権や地域社会に管理・運営されていたのか、という課題について検討する。これまでの研究によって、おおむね6世紀前半頃には、倭、百済、新羅の各王権によってそれぞれの圏域の対外交渉権が掌握されたと推定されている。その動きをより具体的に把握するためにも、交渉経路や寄港地の管理・運営の主体やその変動を考察する。
以上の研究を通して、王権間の力学関係に重きが置かれてきた古墳時代の日朝関係史像を再構築していく。