明治時代から昭和まで、日本の人びとは、いくつもの戦争を経験しました。明治時代の日清・日露(にちろ)戦争や、昭和の中国やアメリカ、イギリスなどとの戦争などです。ここでは、その戦争の時代のことや、戦争の時代が終わり、そこから立ち直って生活が豊かになっていくようすを展示しています。
歴博と城址公園には、佐倉連隊(さくられんたい)という軍隊がありました。おもに千葉県から集められた兵隊が戦争に行く訓練を受けた場所です。そこで兵士たちはどんな生活を送っていたのでしょうか。
兵士たちはたくさんの人に見送られて戦争に行きました。残された女性(じょせい)や老人・子どもたちも戦争に関係ない人はいなくなりました。どんな協力をしたのでしょうか。戦争に行った兵隊のみではなく、残った住民たちも空襲(くうしゅう)などで多くの人々がケガをしたりなくなったりしました。展示を見て当時の人びとの気持ちを考えてください。
訓練を受けていた兵士たちがくらしていた部屋を復元しています。ベッドや食事もあります。
戦争の最後のころには、衣服や食料などが足りなくなりました。国から配られる切符がないと品物を買うことができなくなりました。
人びとの生活用品や食料は品不足で手に入りづらくなりました。人びとは闇市というところで必要な物を手に入れました。
戦争が終わって10年くらいたったころから、日本は急速に経済(けいざい)が発展(はってん)しました。大都市のまわりには工業地帯がつくられ、地方からたくさんの人たちが働きにきました。電気洗濯機(せんたくき)や電気冷蔵庫(れいぞうこ)などの電化製品が全国に広がり、便利な生活はこのころの人びとのあこがれとなりました。
熊本県水俣市にあった化学工場が海に廃水(はいすい)をながし、たくさんの人が病気にかかりました。会社に抗議(こうぎ)に行った人の着ていた服と「怨(うらみ)」と書かれたのぼり旗です。
1962年に建てられた団地の部屋のようすです。このころの人びとのあこがれの家でした。今のみなさんの家とくらべてみてください。
今から60年前の給食です。コッペパン、クジラのたつたあげ、脱脂粉乳(だっしふんにゅう)というメニューです。