歴博

この題字「」の二文字は、奈良時代の正倉院文書のなかの「出雲国計会帳」から集字したものである。筆者は出雲国司第四等官「小野臣淑奈麻呂」である。「出雲国計会帳」は出雲国が733(天平5)年8月1日から翌年7月末日までに授受した文書の目録が記されている。

」は、大帳使が進上した「主当調庸国郡司名」の項、「」は、節度使が下した符のなかの「馬射士」から、それぞれ集字した。集字にあたっては、宮内庁正倉院事務所の許可をいただき、当館の重点事業の一つである正倉院文書複製品を用いた。

ところで、「」「」ともに、通常の字体「歴」「博」と異なる。しかし、これは古代中国の漢代からの一般的な字体であり、古代日本においてもしばしば用いられている。例えば,、奈良時代、光明皇后書「杜家立成」にみられる。

(国立歴史民俗博物館・平川 南)

歴博

「歴」「博」の字形
伏見沖敬編『書道大字典』より