連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

更新世のニホンオオカミ化石 ―直良信夫コレクション―


葛生宮田石灰産の後期更新世のオオカミ化石
(A-636-1-1-19-1)


左の化石を展開したところ
 

1  直良信夫と歴博の直良コレクション

直良信夫(なおらのぶお)(1902~1985)は考古学・古生物学・古植物学・動物生態学などの分野で数多くの業績を残した人物である(写真1)。1925年に兵庫県明石市の自宅に「直良石器時代文化研究所」を設立し、独学で考古学の研究に励んだ。1932年に東京都江古田(えごた)に移住し、早稲田大学理工学部で哺乳類化石の整理に従事し、東アジア産哺乳類化石の研究者として成長するとともに、縄文時代の生業の復元を研究テーマとした。現在は幻となった「明石(あかし)原人」骨や「葛生(くずう)人」骨の発見、古植物学の三木茂(みきしげる)と報告し、日本列島にも更新世末の寒冷気候が存在した事実を初めて証明する資料となった「江古田植物化石群」の発見など、学界に一石を投じた研究も少なくない。

直良が採集した考古資料、古生物標本、植物化石は相当量に達し、収集した化石にはホロタイプ(新種命名の基準となった模式標本)もある。しかし、1945年の東京大空襲で大部分は焼失してしまった。戦後に収集した動・植物化石の一部は戦前の収集品と合わせて早稲田大学を定年退職する際に同大学に寄贈し、栃木県葛生産の化石標本のうち良好なものは葛生町公民館に貸与された。残りの資料が本館が所蔵しているコレクションである。

少年時代に兵庫県の明石に在住し中学生の頃から直良信夫の著書を読んで考古学を学び、直良信夫と親しかった春成秀爾(はるなりひでじ)(本館名誉教授)(写真2)は、直良の没後、長男の博人(ひろと)氏からの要請を受けて1986年に直良信夫コレクションを本館の収蔵品とし、2002年に『直良信夫コレクション目録』(国立歴史民俗博物館資料目録[7])を刊行した(写真3)。


写真1 直良信夫(1958年1月)


写真2 直良信夫(左)と春成秀爾(右)(1978年10月)


写真3 直良信夫コレクション目録

写真4 埼玉県釜伏峠で石造りの狼を調べる直良信夫

2  直良信夫のニホンオオカミ化石コレクション

直良信夫はこれまでに考古学・動物生態学・古植物学の専門分野での著書30冊と論文多数を著している。更新世のオオカミ化石から最近のオオカミ遺体(骨資料)、オオカミの生態や人間との関係、信仰などをまとめた『日本産狼の研究』はその一つである(写真4)。

歴博の直良信夫コレクションには葛生(くずう)産ニホンオオカミの標本がある。栃木県佐野市葛生(旧:栃木県安蘇(あそ)郡葛生町)は、直良信夫が1932年に初めて踏査して以来足繁く通った場所である。同じ地域で中期更新世(約78~15万年前)、後期更新世(約15万~約1.1万年前)、完新世(約1.1万年前以降)の異なる3つの時期に生息していたオオカミの骨を比較できる例は珍しく、現在においても第一級の資料である。


写真6 葛生吉沢石灰産の中期更新世のオオカミ化石
(A-636-1-1-18-1)

 
吉沢石灰工業大叶(おおがのう)第2号採石場産のニホンオオカミ上顎(じょうがく)・下顎骨(かがくこつ)の化石である。下顎の長さ9.8cmで、化石化が進んでいることから下部葛生層産と判断された中期更新世の資料である。

写真7 葛生吉沢石灰産の後期更新世のオオカミ化石
(A-636-1-1-18-4)
 
吉沢石灰工業大叶工場第8号採石場産のニホンオオカミ化石で、環椎(かんつい)、大腿骨(だいたいこつ)、頸骨(けいこつ)などが合計8点ある。

冒頭写真 葛生宮田石灰産の後期更新世のオオカミ化石
(A-636-1-1-19-1)
宮田石灰工業会沢採石場産のニホンオオカミ頭骨化石で、頭蓋骨(とうがいこつ)、左右下顎骨が揃うほぼ完形の資料である。左下顎の長さは17.9cmである。上部葛生層産で、後期更新世の資料である。

写真8 葛生宮田石灰産の古墳時代とされたオオカミ骨
(A-636-1-2-41-2)
同じく宮田石灰工業会沢採石場の黒土層から産出したニホンオオカミ骨で頭蓋骨、下顎骨、尺骨(しゃっこつ)などが18点ある。この黒土層からは鉄製の鋤(すき)と思われる資料が出土したとのことから、直良は古墳時代の資料と判断した。

写真9 直良コレクションのオオカミ化石を
観察する甲能直樹・甲能純子
 

3  展示リニューアルに向けた年代測定

歴博では平成30年度開室を目標に第1展示室のリニューアルを計画しており、筆者は旧石器時代・縄文時代草創期(約3万7千~1万1千年前の間)を担当している。この時期は地質学的には後期更新世であり、最終氷期に相当する。直良のオオカミ化石は当時の動物相を示す貴重な実物資料であるが、現在となっては出土層序にも不明な点が多く、それらの正確な年代を確かめる必要があった。

かつて日本列島に生息していたニホンオオカミは、近代生物学が確立する以前の明治年間に絶滅してしまったため、日本列島の「現生哺乳類」としては例外的に多くのことが未解明である。ニホンオオカミの系統については、近年の分子系統学的研究によればタイリクオオカミの中の一亜種を形成すると考えられている。一方、形態学的にはタイリクオオカミとは異なった特徴をもつことから、日本列島における遺存固有種とする考えとタイリクオオカミが小型化した島嶼(とうしょ)型亜種とする考えとが対立している。

国立科学博物館の甲能純子(こうのあやこ)博士と甲能直樹(こうのなおき)博士は日本産オオカミに関する更新世化石標本から現生の標本の基礎情報を網羅的に収集整理し、特に良好な歯牙(しが)標本に注目して、経時的変化を明らかにする研究を行うとともに、放射性炭素年代測定による時期決定を進めている。そこで今回、両氏に協力を依頼し、直良コレクションのニホンオオカミ化石の放射性炭素年代測定を実施することにした。

測定の結果、A−636−1−1−18−4(写真7)とA−636−1−1−19−1(冒頭写真)の試料は約3万6千~3万3千年前頃の化石であることがわかった。これは日本列島の後期旧石器時代の始まりに相当する年代であり、リニューアル展示にまさに適したオオカミ化石であることがわかった。なお、A−636−1−2−41−2(写真8)の古墳時代と推定されていたニホンオオカミ骨は縄文時代に属する資料であることも判明した。これらの成果は近日中に古生物学の学会誌にて正式に公表する予定である。

〔参考文献〕
明石市立文化博物館 2002 『「明石原人」の発見者 直良信夫生誕100年展』明石市立文化博物館.
春成秀爾編 2002 『直良信夫コレクション目録』国立歴史民俗博物館資料目録[7],国立歴史民俗博物館.
直良信夫 1965 『日本産狼の研究』校倉書房.

工藤 雄一郎(本館研究部/先史考古学)