連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

「石川県白山麓山村生活用具」について

一 白山麓の地域的な背景

石川県の白山麓一帯は、かつて出作りによる焼畑農耕が広く行われていた地域として知られている(写真1)。出作りとは、本宅とは別の場所に住居を構えて、焼畑農耕による自給自足と養蚕や炭焼きなどの商品経済活動を組み合わせて生活することである。

また、焼畑農耕といえば、森林を焼いて肥料とし、その土地で数年間ヒエ、アワ、ソバ、ダイズ、アズキなどを耕作した後、十五~二〇年ほど休耕して地力を回復させる自給自足の生活様式に注目が集まりがちであるが、実際には蚕糸や木炭などを生産・販売する経済活動を営むための生活手段であった。ところが、製糸業の盛衰やエネルギー革命から多大な影響を受け、昭和三〇~四〇年代にかけて急激に衰退した。

さらに、山間部におけるダム開発は、いくつもの集落を水没させた。他に鉱業や林業の衰退もあって、山間集落は過疎化や廃村が深刻な問題となった。こうした大きな変化に対し、かつての生活文化を記録として残すため、白山麓では行政主導の民俗緊急調査や資料収集が進められていった。

有君之御方御下向御行列之図

写真1 当館第4展示室
「石川県白山麓焼き畑出作り小屋環境模型」

京都 三条大橋

写真2 伊藤常次郎顕彰碑(加賀市中央公園)

二 資料収集の経緯

行政による白山麓民俗調査の初期の成果報告としては、『白山麓:民俗資料緊急調査報告書』(石川県立郷土資料館、一九七三)が代表的である。この成果は、大日川(だいにちがわ)ダム建設のため、離村が相次いでいた新丸(しんまる)村(現・小松市)を対象として一九七一・七二年度に実施された調査の結果報告であり、一九七四(昭和四九)年一月二〇日の『北国(ほっこく)新聞』朝刊で百二十数点の民具を収集したことと合わせて紹介された。そして、この記事を読んだ加賀市在住の故・伊藤常次郎(つねじろう)氏が、石川県立郷土資料館(現・石川県立歴史博物館)に自ら収集した民具を見学に来られてはどうかと誘ったことが、大量の白山麓資料がすでに収集されていることを世の中に知らしめるきっかけとなった【天野、二〇一二、一頁】。

この伊藤常次郎氏とは、一九二二(大正十一)年に石川県能美(のみ)郡新丸村小原(おはら)(現・小松市小原町)で生まれた自称民俗資料収集家で、加賀市中央公園には彼の顕彰碑が建てられているほどの有名人である(写真2)。若い頃から小松市の金物店で丁稚奉公した後、満州の開拓に関わり、そこで大工の技術を身につけた。そして、中国で兵役に従事して、終戦によって帰国すると、結婚して静岡県磐田(いわた)市に入植し、大工のかたわら農業を営んでいた。ところが、彼は一九五二(昭和二七)年に着工し、一九六八(昭和四三)年に完成した大日川ダムによって故郷の小原が水没することをきっかけとして、昭和二十年代から民具の収集を開始した。はじめは、小原で焼畑を営んでいた父母や兄から焼畑農耕具や食具、衣服などをもらって集めていたが、一九六二(昭和三七)年に尾小屋(おごや)町(現・小松市)の尾小屋鉱山が閉山し、さらには一九七〇(昭和四十五)年に手取川(てどりかわ)総合開発計画が策定されて、尾口(おくち)村と白峰(しろみね)村(ともに現・白山市)の合わせて三百三十戸が水没することになると、トラックやジープで過疎化の進む各集落をまわり、鉱山用具や焼畑農耕具、養蚕用具、炭焼用具、生活用具類を購入するようになった。

そのような資料収集を進めるうちに、伊藤氏は一九六八(昭和四三)年に大工を辞めて、磐田市から小松市へ戻った。帰郷後は、知り合いから土地を借り、長兄からやり方を教わって焼畑による自給自足を始め、山菜や木炭を販売して生活を営んでいたという。彼の山村生活は新聞記者の目にとまり、その一年間を追ったルポが『常次郎氏の春夏秋冬』というタイトルで朝日新聞社から発行されている。

白山麓資料の所蔵先と文化財指定の状況

表1 白山麓資料の所蔵先と文化財指定の状況
資料:文化庁ホームページ

三 白山麓資料の文化財化

さて、伊藤氏からの誘いを受けて、彼の自宅を訪問した石川県立郷土資料館の天野武(あまのたけし)氏(後に文化庁へ転出)は、すでに約三万点におよんでいたという白山麓の資料をみて、それらを公開するようにと勧めてきた(朝日新聞金沢支局、一九八六)。そして、伊藤氏は天野氏から民具の整理・分類方法を教わり、詳細な調査カードを作成して加賀市と小松市に資料を寄贈し、文化財指定の申請をおこなった。その結果、彼の収集した資料が一九七七(昭和五二)年以降に国の重要有形民俗文化財へと指定されることになった(表1)。

その最初は、加賀市教育委員会が所有している「白山麓の山村生活用具及び民家」である(写真3)。翌年の一九七八(昭和五三)年には、白峰村が移築保存した尾田(おだ)家の出作り小屋(白峰の出作り民家〈山の小屋〉と生活用具)と石川県が白山麓民俗資料緊急調査で収集した「白峰の出作り生活の用具」が同じく国の重要有形民俗文化財に指定される。さらに、一九八一(昭和五六)年には文化庁が伊藤氏から「石川県白山麓山村生活用具」を一括購入し、それを当館に移管した。伊藤氏から受贈した小松市の「白山麓西谷(にしだに)の人生儀礼用具及び民家」が国の重要有形民俗文化財に指定されるのは、二年後の一九八三(昭和五八)年である。

重要有形民俗文化財の山村民家

3 重要有形民俗文化財の山村民家
(加賀市中央公園)

四 資料の特徴

伊藤氏から寄贈された加賀市と小松市所蔵資料の重要文化財指定に挟まれて、文化庁が購入し、当館に移管した「石川県白山麓山村生活用具」がそれに指定されなかった理由はわかっていない。ただし、加賀市所蔵資料の方が、点数が多くて網羅的であり、かつ状態がよい。当館の資料は、使用者によって使い込まれており、道具の使い方や直し方を調査するのに適しているが、多くが加賀市の資料と重複していたために、同市寄贈への対象にならなかったものの一部と推測される。

実際にも、両機関に伊藤氏が記入した同じ様式の調査カードが収められているので、資料の種類や使用者名、収集地、収集時期などを比較してみたところ、それらは似通っていた。とくに雑穀を乾燥させるためのジロアマボシ(写真4)や葬送用のカン(写真5)などは、大型で入手の困難な資料であるが、どちらにも収蔵されている。他にも養蚕道具(写真6)や焼畑農耕具(写真7)なども重複している資料が多い。

ジロアマボシ(F-12-702)

写真4 ジロアマボシ(F-12-702)

カン(F-12-1317)

写真5 カン(F-12-1317)

マブシ(F-12-860)

写真6 マブシ(F-12-860)

ホガチウス(F-12-712)

写真7 ホガチウス(F-12-712)

一方、小松市の資料については、小松市立博物館の「小松市文化財収蔵品検索システム(註1)でその内容を詳しく知ることができるが、文化財指定の遅かった同市の資料には、伊藤氏や彼の兄が製作した未使用の資料が少なくない。一九八〇年前後から、伊藤氏は消滅した儀礼を復活させる試みを何度も繰り返しており、その過程で収集できなかった資料を兄や仲間とともに製作している。このような復元された儀礼用具が、小松市には数多く収蔵されているようである。

なお、伊藤氏は加賀市に資料を寄贈した後、同市の嘱託職員として白山麓資料の解説や体験学習などを担当しながら、小松市や白山市で資料の収集や調査を続けていたが、二〇〇四(平成十六)年に亡くなった。このため、今となっては白山麓資料について直接話を聞くことはできないが、残された大量の資料と調査カードは、白山麓における明治時代から一九八〇年代までの山村生活の様子を壮大に物語るものとなっている。

註1 http://www.kcm.gr.jp/search/db/index.html

引用文献

朝日新聞金沢支局『常次郎氏の春夏秋冬』、朝日新聞社、一九八六年

天野武「伊藤常次郎氏について―顕彰碑除幕式〈平成十九年五月五日〉における講話内容概要―」、加能民俗一五五、二〇一二年。

青木 隆浩 (本館研究部・民俗学/地理学)