連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

第4展示室 新構築に向けて だるま

平成二五年三月一九日に公開予定の総合展示第4展示室「列島の民俗文化」の「幸運を招く」のコーナーに展示するだるまを収集するために北は山形県鶴岡市(つるおかし)の七日町観音堂(なのかまちかんのんどう)だるま市から、南は広島県三原市の三原神明市(しんめいいち)まで各地のだるま市をめぐり歩いてきた(写真1)。縁起物としてのだるまは社寺の参道にならぶ店舗や生産業者の店舗に一年を通して売られる他に、主に東日本、特に関東では年末年始にだるま市が立つところが多い。人々はだるま市で前年のだるまを納めるとともに、新しい一年の願いを託す新たなだるまを買い求めるのである。

だるまによる祈願のあり方に目入れがある。目の書き入れ方は、最初に一つだけ入れておき願いが叶ったらもう一方の目を書き入れるという方法が一般的だろう。白目のまま祀っておき、良いことがあったら目を一つ書き入れ、さらに良いことがあるともう一つの目を書き込むという方法もあった。いずれにせよ願いが叶うと目を入れる、見方を変えれば、願いを叶えてくれなければ目を入れないというのは、民俗学的に言えばてるてる坊主のおまじないなどにも見られる強請祈願の一種である。

写真1 三原神明市(広島県三原市) 写真2 開眼されただるま(左・深大寺 右・達磨寺)

群馬県高崎市の達磨寺や東京都調布の深大寺(じんだいじ)のように、だるま市が立つ寺社では僧侶が開眼をしてくれるところもある。深大寺での開眼はユニークであり、まずものごとの始まりを意味する梵字の「阿」を書き、一年後に終わりを意味する「吽」の字を書いて寺に納めるということが行われている(写真2、写真3)。

 だるまが縁起物としてよろこばれる理由には、目入れによる祈願のほかに、「起き上がる」という特性をもっているためでもある。縁起物としてつくられる張子のだるまは、下部におもりを入れて倒しても起き上がるようになっている。もともとは禅宗の開祖であるはずの達磨大師が、おもちゃの起上り小法師とくみ合わさり縁起物としてのだるまになったのは江戸時代のことだ。起き上がるという特性を得たことにより、だるまの役割はひろがった。養蚕農家では、蚕が脱皮する様子を「起きる」ということから、だるまをよろこんで飾った。また一般的にいって、人生はずっと上り調子ですすむことはなく、時には失敗や不運・不幸が訪れ、しばしば苦境に陥り挫折を味わうものである。そのため人々はたとえ倒れても必ず起き上がるだるまを尊んだのである。

写真3 深大寺における開眼の様子 写真4 だるまのコレクションなどを背にして腕を組む和服姿の木戸忠太郎(右)と幸一(左)

近代になるとだるまは、縁起物としての本来の意味の他に、郷土玩具趣味や江戸趣味による収集の対象ともなった。希代のだるまコレクターの一人に木戸忠太郎(きどちゅうたろう)がいる。木戸忠太郎は幕末の志士で明治維新の立役者である木戸孝允(きどたかよし)の養子であり、京都の自邸に達磨堂を設けて自らのコレクションを陳列していた(写真4)。本館が所蔵している『起上小法師画集』は、コレクションのうち二百点あまりを、玩具絵(おもちゃえ)画家として有名な川崎巨泉(かわさききょせん)に描いてもらい版画にして発行したものである(写真5、写真6)。大正の頃から鉄道による地方旅行が盛んになると各地の郷土玩具をコレクションする趣味が盛んになる。木戸忠太郎のだるまコレクションも、郷土玩具蒐集趣味に位置づけられるだろう。

 木戸忠太郎のコレクションのうち、縁起物や玩具など立体物のだるま三万点以上は、今も達磨堂に今も納められている。そして江戸時代から明治にかけての紙のコレクションは木戸家から国立歴史民俗博物館に寄贈された「旧侯爵木戸家資料」の一部を構成し本館に収蔵されている。掛け軸や凧のひな形のようなだるまが中心になっているものから、玩具絵の一角にだるまが描かれているものや影絵の題材の一つとしてその作り方を図示したもの、さらには衣装の模様にだるまが描かれているものまで、だるまにちなむものならば何でも集められている。

写真5 『起上小法師画集』表紙 写真6 『起上小法師画集』見開き
写真7 だるまの疱瘡絵 写真8 福島のだるま

民俗に関する資料としてここで紹介するのは疱瘡絵(ほうそうえ)である。江戸時代の終わりに種痘(しゅとう)が日本に入ってくる以前、疱瘡は子どものうち誰もが患う病気であった。子どもが疱瘡になったときに見舞いとして贈られたのが疱瘡絵である(写真7)。歌川芳鶴(うたがわよしつる)(号は一声斎(いっせいさい))によるだるまと風車の疱瘡絵には「かるすぎて 寝た事のない だるまよりじっとして居ぬ この風車」という歌が添えられている。この歌に、疱瘡が重くならず軽くすんでだるまのようにすぐに起き上がってほしいという親の思いを読みとくことができる。

起き上がるだるまに願いを託す民俗をもう一つ、木戸忠太郎の『達磨と其諸相』から紹介したい。一九二三年に関東大震災の際にはだるまが復興のシンボルになった。家屋の倒壊と火災により人々が避難し仮暮らしをしていた日比谷公園で一二月二四日から盛大に行われた復興際では、大きな張子のだるまが「復興神」として祀られ、小さなだるまが景品として授与された。また翌年、三越呉服店がだるまの夫婦を「復興雛」と称して販売したところ、たちまちのうちに売り切れてしまったという。

同じようなだるまの姿を、福島県郡山市にあるデコ屋敷でも見かけた。デコ屋敷とは三春だるまをはじめとする工芸品をつくる家が集まった、近世の三春藩領時代からの歴史を持つ集落である。東日本大震災後の二〇一一年十一月にデコ屋敷を訪れた際、ある店舗の店先に「復興」と描かれた大きなだるまが設置してあった。だるまは震災から立ち上がる人々の願いを託されるシンボルともなるのである。

新しい民俗展示では、三春だるまや白河だるまといった福島のだるま(写真8)をはじめとして、全国各地のさまざまなだるまを展示する。各種のだるまには、地域性や現代性が現れ出ている。そしてその背後には、幸せを願う人々の心が存在するのである。

参考文献

  • 木戸忠太郎『達磨と其諸相』丙午出版社・文求堂書店、一九三二年
  • 木戸忠太郎『小達磨集(増補版)』村田書店、一九七七年
  • 国立歴史民俗博物館編『国立歴史民俗博物館資料目録[一〇] 旧侯爵木戸家資料目録』国立歴史民俗博物館、二〇一一年
  • 田中宣一「選挙とダルマ―現代に生きる強請祈願」『成城文藝』第一 一七号、一九八六年

丸山 泰明 (本館研究部・民俗学)