連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

絵双六

テレビゲーム全盛の今日ではほとんど姿を消してしまった感もあるが、筆者がまだ小学生くらいの頃は、サイコロを振り、出た目の数にしたがって「振り出し」から駒をすすめて「上がり」を目指す絵双六(えすごろく)は、少年雑誌の正月号の付録につきものだったように記憶している。江戸時代、絵双六は錦絵や草双紙とともに、大衆的な出板をする地本(じほん)問屋の主要商品のひとつであった。1832(天保3)年7月1日付の馬琴の手紙には、年末から年始にかけて人気歌舞伎役者が相次いで世をさり、その似顔錦絵(死絵(しにえ))が大流行したために、普段なら大晦日から年始にかけて売れるはずの草双紙や道中双六がまったく売れなかったと書かれている。絵双六は、江戸時代も正月に欠かせない遊びだったのである。

[写真1] 岩井紫若のお乳人重の井と三代目岩井粂三郎のじねんじよの三吉 
本館蔵
1842(天保13)年4月の河原崎座「恋女房染分手綱」に取材。「恋女房染分手綱」は「丹波与作待夜の小室節」をもとにしたもので、道中双六の場面も受け継いでいる。

[写真2] 東海道五十三駅双禄 
歌川芳藤画 本館蔵
東海道の道中双六の多くは、日本橋を振り出しに、京都を上がりとする廻り双六である。

絵双六の歴史は、仏教で説く十界の世界観にもとづき構成した浄土双六が室町期に成立し、江戸時代に入り庶民層に普及、やがて道中双六や出世双六が生み出されたとされている。1707(宝永4)年末上演(『近松全集』巻五による)の近松門左衛門の浄瑠璃『丹波与作待夜(たんばよさくまつよ)の小室節(こむろぶし)』には、大名の姫君に馬子の三吉が道中双六を楽しませる有名な一節がある。「はいしゐ道中すご六。南無諸仏分身と。かいた六字を六角の。さい(骰子)はさくら木……」の詞句からは、浄土双六が母体となって他の主題のものが派生したことがうかがわれる。

[写真3] 御年玉細見双六 
江戸末期 本館蔵
正月の遊戯にふさわしい事物でまとめられている。

[写真4] 御大名出世双六
江戸後期 本館蔵
枠外に「禁売買」とあるのは幕府当局を慮ってで、実際は販売されていたのではないか。上がりが「御大老」であって「将軍」ではないのも、そのあたりの配慮だろう。

江戸後期になり錦絵に代表される木版多色摺の技術が確立すると、絵双六は華やかさを加えるとともに、人気浮世絵師が筆を執って絵画性豊かなさまざまな主題のものが大量に生み出された。

比較的早くに道中双六が生まれたのは、駒をすすめるというゲームの性格が、東海道などの旅を主題とすることに適していたからだが、江戸後期の庶民の旅への関心の高まりとともに、制作点数も増えていったと考えられる。

[写真5] 新版御府内流行名物案内双六 
歌川芳艶画 1850年頃 本館蔵
日本橋を振出しに、山王祭りを上がりとする飛び双六。

[写真6] 春興手習出精双六
歌川広重画 1840年代 本館蔵
マスに書かれているのは、当時の習字の教科書である往来物の書名。上がりは学問の神様を祀る天満宮。

人生の栄達を主題とした出世双六は、修行を経て「仏」へ到達するという浄土双六の性格を受け継ぐものだが、新春というめでたい時期の遊びだけにとくに好まれたのであろう。武家の出世をテーマにした「御大名出世双六」などその最たる物で、同種のものがほかにもつくられており、立身出世を願う武家社会で好まれたものと思われる。

また、絵双六は全体が数多くのマスに区切られており、一種、「絵尽くし」の観を呈している。江戸時代前・中期には、あるカテゴリーの事物を描き集めた「……尽くし」の形態をとる絵本が数多くつくられ、また幕末から明治初期にかけては、画面を小区画に分けて、それぞれの中に同一カテゴリーの事物を描き込んだ錦絵が数多くつくられたが、そうしたものとの関わりも考えてよさそうである。それらは情報提供や啓蒙といった機能を持っていたが、絵双六もまた同様の役割を果たしていたことが指摘されている。先述の『丹波与作待夜の小室節』の続きには、東海道の宿駅の名とそれぞれの風俗や名物を呼びながら骰を振る様子が語られているが、ゲームを楽しみながら自然と五十三次を覚えてしまうという効能もあったはずである。料理茶屋など江戸の有名な食べ物屋を主題にした「新版御府内流行名物(ごふないりゅうこうめいぶつ)案内双六」なども、名物案内的な性格を持つものといってよい。「春興手習出精(しゅんきょうてならいしゅっせい)双六」は、寺子屋で学ぶ子供の往来物をテーマにしたもので、多分に教育的配慮が感じられる。

[写真7] 四季たのしみ双六 
1840年代 本館蔵
江戸の四季の行事や風物を主題とした飛び双六。

[写真8] 新版妖怪飛巡双六 
江戸末期 本館蔵
鳥山石燕の妖怪画譜『画図百鬼夜行』に題材を得た飛び廻り双六。名古屋の版元から出ている。

江戸末期には、百物語のブームなどを背景に妖怪を主題としたものなども数多くつくられており、「豪傑水滸伝双六」も江戸末期の水滸伝ブームを反映したものである。

このように、絵双六はそれぞれの時期の人々の関心の在処や世の中の流行を映し出す鏡でもあったといえるだろう。

なお、読者の方が遊んだことのある双六のほとんどは、振ったサイコロの目だけ順番に先に駒を進ませる「廻り双六」であろうが、江戸時代に出板されたものには、マスに記された数字が指定するマスへと駒を飛ばす「飛び双六」も多くつくられ、両方の形式が合わさった「飛び廻り双六」や、振出しで駒の進む方面を分けた上でゲームを進める「振分双六」もあった。

[写真9] 豪傑水滸伝双六 
歌川国芳画 1850年頃 本館蔵
武者絵の名手で、水滸伝の英雄画で人気を得た国芳の筆になる。

[写真10] 孝不孝振分双六 
江戸末期 本館蔵
最初に骰を振って、孝か不孝かを選ぶ振分双六。孝行側の「御褒美」に絵双六が描かれている。

今年の12月21日(火)から年明けの1月30日(日)にかけて、館蔵の絵双六の一部を用いて特集展示「双六の小宇宙」を開催する予定なので、ご覧いただければ幸いである。

大久保 純一 (本館研究部・近世絵画史)