連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

描かれた死後の姿 <死絵>

浮世絵の中の役者絵の一ジャンルに「死絵」というものがある。これに出会ったときの強烈な印象はいまでも忘れられない。なにしろ、亡くなった役者を描いたものではあるが、幽霊画でもないのに、よりによって死装束を着けた姿を描いており、それは現代からみればなんとも異様に思えたからであった。

死絵とは、歌舞伎役者などが亡くなったときに訃報と追善を兼ねて作られた錦絵であり、江戸中期から明治後期にわたり盛んに出版されたのであった。

四代目中村歌右衛門死絵

五代目瀬川菊之丞死絵

例えば、現在、人気のある俳優などが亡くなったときには、生前の活躍していたときの名場面などの写真が使われるが、この絵の特徴は、役者が死装束をつけたり、あの世にいることがわかるように、三途の川の河原や蓮華、極楽の建物など死や他界を象徴するモティーフを積極的に描き込んでいることであった。そして命日と戒名、埋葬された寺院や辞世や追悼の句などが添えられていることで、死絵ということを明確にしている。だが、死絵は、ひいきの人々に役者の死を伝達する目的があることから、急いで発行されたようで、戒名や寺院、時には命日までが間違っていることも多々あった。むしろ、適当に戒名などをつけて、死絵としての体裁を整えているのであった。

こうした死絵の典型が、浅黄色といわれる水色の着物を着た姿である。この浅黄の着物は当時の死装束であり、さらに裃を着けることが多い。また女形の場合には裃姿だけでなく、浅葱色の着物に黒い袈裟を掛けているものもある。

九代目市川団十郎死絵

五代目市村竹之丞死絵

四代目中村歌右衛門死絵

さらに、多くの場合手に持っているものが数珠とシキミである。シキミは常緑で芳香があり、葉の開き方が蓮の花にも似ていることから香花とか花の木ともいわれ、四季を通して葬儀や仏事に使用された。こうしたいでたちに死に関わるものを持たせることで、死者となったことを強調しているのである。

ほとんどの死絵がこのように死装束をつけているので、美術史ではあまり人気がなく、「あの水浅葱の死装束の安直な作品の氾濫が、死絵などという言葉を生み、(死絵の)イメージダウンに繋がってしまったに違いないのだが、(略)」(林美一「死絵考― その上―死絵の発生期とその展開―」)というように、そのほとんどはこの姿である。だがむしろ民俗学的にみれば、こうした死の表象のありかたが当時の死や葬送のイメージを照射することができるだけでなく、死者の表現の方法を検討する材料ともなるのであった。

それを細かくみていけば、周囲にさまざまな小物を配することで工夫がなされ、例えば、香炉、蓮華をシキミを活けた手桶、辞世の短冊、経巻、経机など仏事に関する小物が巧みに配されている。また、荘子の胡蝶の夢の故事から、蝶を描いて人生のはかなさを象徴しているものもある。

八代目市川団十郎死絵

五代目市村竹之丞死絵

五代目市川海老蔵死絵

初代中村飛鶴死絵

死装束姿以外の死絵も通常の役者絵とは異なり、死を連想されるさまざまな工夫が凝らされている。特に、釈迦が亡くなった時の様子を描いた涅槃図(ねはんず)をモティーフとしたものは、いろいろな役者に登場してくる。涅槃図では、釈迦が亡くなったことを悲しみ嘆く弟子達や動物たちが描かれているが、それをふまえてやはり嘆き悲しむ役者達や贔屓の人びと、時には動物なども登場するのである。一方でこうしたモティーフの死絵が登場するということは、それだけ涅槃図が当時の人びとにとってなじみのある絵画であったこともわかるのであった。

また、死出の旅路をモティーフにした死絵も少なくない。すでに先に亡くなった役者達が出迎えに来たり、到着を待っていたりする様子があるだけでなく、そこが他界であることから、地獄や極楽、三途の川などの道標が立っていたり、三途の河原の様子が描き込まれていたりしている。例えば、四代目中村歌右衛門の死絵は、かごに乗ってきた歌右衛門を、上下姿の五代目市村竹之丞と三代目尾上菊五郎らが河原で出迎えているという構図である。わきには「極楽より翫雀仏を出むかひの図」とあり、出迎えの両者も三年以内に亡くなった役者で、傍らの道しるべには「三津川、是より極楽みち」とあり、この河原が三途の川であることが示されている。

二代目中村翫雀

八代目市川団十郎死絵

三代豊国死絵

五代目瀬川菊之丞死絵

こうした死絵も、明治期になり写真の普及と共に、その形態も変わっていき、またしだいにブロマイドが一般化していくと、出版されなくなっていく。写真の登場は死絵も肖像写真的な要素を取り入れ始め、より写実的な側面を持つようになってきた。それでも、死絵としての自由な構成の余地も残っており、初代中村飛鶴の死絵では、写実的な顔を持った飛鶴が、自らの位牌を手にして前につきだしている構図であり、近世期にはない迫力と自らの位牌を持ってしまうという意外さを見いだすことができる。

こうした死後の姿をとおして、死んでいった役者を死者として認識していくという視線は、一方で現在生前の姿を写した写真を遺影として使用する近代以降の認識の自明性を相対化することができるものであり、死者表象のあり方を検討する上で死絵の存在は重要である。

三代目中村寿三郎

五代目尾上菊五郎死絵

もちろん死絵は演劇史の研究においても、その役者のとらえ方やそれを取り巻く環境、演目との関係などを照射する重要な資料ともなり、その資料的価値は大きいものと考えられるが、多様な側面からこれを取り上げ検討していく必要があろう。

山田慎也(本館研究部・民俗学)