連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

怪談・妖怪コレクション

本コレクションは、2001年の夏に開催した企画展示「異界万華鏡-あの世・妖怪・占い-」を契機に、その後、継続的に資料の収集を行っている。ここでは、収蔵品のなかから江戸時代に描かれた妖怪に関する資料をいくつか紹介したい。

異様な姿と不思議な力をもつ超自然的な存在である妖怪は、不安や恐怖をかりたて、ときには災厄を引き起こす畏怖の対象としてさまざまな属性が創造されてきた。それは、人知を超えた不可解な現象に遭遇したときの、人びとの知識と想像力が生みだした姿でもある。妖怪は主に民間伝承の世界で語り継がれてきたが、18世紀後半からは博物学(本草学)の影響もあって、都市を中心にさかんに描かれるようになった。図像化された妖怪は、各種のメディアによって流通し娯楽の対象ともなった。

写真1 「百鬼夜行絵巻」 江戸時代 本館蔵

写真2 「百器夜行絵巻」 江戸時代 本館蔵

写真3 「化物絵巻」江戸時代 本館蔵

妖怪絵巻

さまざまな姿をした異形のモノたちが列をなして徘徊する百鬼夜行絵巻は広く知られている。江戸時代の中期以降、狩野派の絵師によって数多く制作されているが、なかでも、土佐光信の筆になると伝えられる京都・大徳寺真珠庵所蔵の絵巻(真珠庵本)は有名で、室町時代の作と推定されている。写真1は、真珠庵本系の「百鬼夜行絵巻」である。描かれている妖怪の多くは、古くなった器物が化けたもので、いわゆる、年を経た器物に魂が宿って妖怪化した付喪神(つくもがみ)とよばれるものである。「百器夜行絵巻」(写真2)も百鬼夜行絵巻の一種であるが〈百器〉の名が示すように多彩な器物の妖怪が描かれており、真珠庵本系にはみられない妖怪がいくつも登場する。

かずかずの妖怪が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する百鬼夜行絵巻は躍動感がある。それに対して「化物絵巻」(写真3)は一つひとつの妖怪の姿を個別に描きそれぞれに名前を記した作品で、一見すると妖怪図鑑ふうの趣がある。黒煙(くろけぶり)、大化(おっか)、山男など二五種の妖怪が描かれているが、いくつかは鳥山石燕(とりやませきえん)の『画図百鬼夜行』に収録された妖怪と共通している。

「大石兵六物語絵巻(おおいしひょうろくものがたりえまき)」は、兵六という若侍の狐退治の物語である。舞台は鹿児島。兵六が人を化かすという狐退治にでかける。これを知った狐どもはさまざまな妖怪に化けて兵六を脅かす(写真4)。そのつど兵六は退散するが、そのうち小狐を二匹捕らえる。ところがそこに父親が現れて放してやるように戒める。じつはこの父親は狐の化けたもので、兵六は馬糞団子を食べさせられたり、坊主にされるなど散々な目に遭うが、最後にはどうにか二匹の狐を捕らえて仲間のもとに帰る(写真5)。鹿児島県下には兵六踊りという芸能が伝承されており、大石兵六は民俗とも関わりの深い人物である。

写真4 「大石兵六物語絵巻」江戸時代 本館蔵

写真5 「大石兵六物語絵巻」江戸時代 本館蔵

河童の世界

河童は川や沼などの水界を住処とする妖怪の一種。子どもの背格好で、背中に甲羅、頭には水の入ったくぼみ(皿)があり、どことなく愛嬌があるというのが、現在の一般的なイメージといってよいが、こうしたイメージが定着したのは比較的新しいと考えられる。江戸時代に豊後日田地方で河童と遭遇したという人たちの体験談を記録した『河童聞合』に描かれている河童は、人とも猿とも見分けのつかない異様な姿である。近世の文献などに登場する多彩な姿の背景には、猿、亀、鼈(すっぽん)、獺(かわうそ)などの要素が投影しているといわれる。

「河童・川太郎図」(写真6)は、河童の図六点とその由来などについて解説したもの。『河童聞合』などに見える図(写真7)と共通する。近世の知識人や本草家のあいだに出回っていた河童の図を模写したものと思われる。「水虎(かっぱ)相伝妙薬まじない」(写真8)は江戸後期の摺物(すりもの)。「水虎十弐品之図」からとった九点の河童が描かれている。「のどにほねのたちたる時の薬」「とげ抜きの妙薬」「かつけのまじない」など各種の薬の効能を説いたもので、薬売りが宣伝を兼ねて持ち歩いたともいわれる。

写真6 「河童・川太郎図」 本館蔵

写真7 「寛永年中豊後国肥田ニテ取ル図」 本館蔵

写真8 「水虎相伝妙薬まじない」 近世後期 本館蔵

河童は錦絵のなかにもしばしば登場する。「江戸名所道戯尽(えどめいしょどうげづくし)・二 両国の夕立」(写真9)には、両国橋の下に落ちた雷神を引き込もうとする河童が雷神の放った屁にたまらず鼻をつまむ場面。「龍宮魚勝戦(りゅうぐううおかっせん)」(写真10)は、乙姫率いる龍宮城の魚たちと河童や蛙など川の住人との大合戦。異類合戦に託して戊辰戦争を風刺したものである。「和漢百物語・白藤源太」(写真11)は、上総出身で江戸で活躍したとされる力士白藤源太が縁台にすわって河童の相撲を見物する図。「商内道具集之内(あきないどうぐしゅうのうち)・桐油御合羽品々(とうゆおかっぱしなじな)」(写真12)は、合羽を商う店に河童がいるというユーモラスな絵柄である。

写真9 「竜宮魚合戦」 本館蔵

写真10 「江戸名所道戯尽・二 両国の夕立」 本館蔵

写真11 月岡芳年「和漢百物語・白藤源太」 慶應元年 本館蔵

写真12 「商内道具集之内・桐油御合羽品々」 本館蔵

「河童の模型」(写真13)は、高木春山(しゅんざん)の『本草図説』に描かれた河童をもとに制作した像。享和元(1801)年六月に水府(すいふ)東浜で網にかかったもので、高さ三尺五寸(約107センチ)、重さ一二貫(約45キロ)だったと記されている。この河童について、大田南畝の『一話一言』には、赤子が泣くような声をだし、尻の穴は三つあって屁は耐え難い匂いがすると紹介されている。

最後に、河童ではないが、雷鳴のときに天から落ちてくる妖怪がいるので紹介しよう。写真14の「雷奇獣」は、寛政八年(1796)六月一五日の夜大雷のとき、肥後国熊本領竹原というところに落ちてきたという。形は狼のようで、毛の長さは三寸五分(約10.7cm))ぐらい、その色は黒いと記されている。

写真13 「河童の模型」 本館蔵

写真14 「雷奇獣」 本館蔵

常光徹(本館研究部・民俗学)

参考文献

香川雅信『江戸の妖怪革命』河出書房新社、2005年
田中貴子『百鬼夜行の見える都市』新曜社、1994年
中村禎里『河童の日本史』日本エディタースクール出版部、1996年
湯本豪一『江戸の妖怪絵巻』光文社新書、2003年