連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

流宣日本図の地理情報

図1:日本海山潮陸図元禄4(1691)年刊 96.2cm×172.2cm (本館蔵)

流宣(りゅうせん)日本図とは、浮世絵師の石川流宣によって作られた日本図の通称である。具体的には、貞享4(1687)年初版の本朝図鑑綱目(ほんちょうずかんこうもく)や元禄4(1691)年初版の日本海山潮陸図(図1)を指す。これらはいずれも初版にとどまらず、その後も何度か重版されている。とりわけ、後者は18世紀末頃までの約1世紀のあいだに30版近くの版を重ねており、近世中期を通じて社会に広く流布していた。 図をみると、たしかに本州・四国・九州などの海岸線は独特の凹凸をもち、またその形態は当時の地理的知識に照らしても決して正確とはいえない。そのことは、図2のような当時すでに刊行されていた日本図と比べればよくわかる。しかし、正確な形を描こうとすることだけが地図ではない。われわれが暮らす生活世界のさまざまな地理情報を提供することもまた、地図の重要な役割である。この点からみると、流宣日本図にはそれまでの日本図とは比べものにならないほど多くの地理情報が盛り込まれている。ここに、浮世絵師による描写と彩色の美麗さとならんで、この図が広く社会に受け容れられた理由があった。

図2:寛文元年刊日本図寛文元(1661)年 36.0cm×35.0cm (本館蔵)

図3:凡例(元禄4年版日本海山潮陸図より) 図4:大城として描かれた高知(元禄4年版日本海山潮陸図より)

では、そこにはどのような地理情報が盛り込まれているのであろうか。図に掲載された凡例(はんれい)(図3)をみると、大小2種の四角形と丸形とによって、大城・小城・屋敷城(屋敷構えの簡略な城)とに描き分けられ、それぞれに城主名と石高(こくだか)が記載されていることがわかる。とくに、大城を示す四角形のなかには城内の景観まで描かれている(図4)。このようにみると、この図の特徴の一つとして、こうした情報を網羅する武鑑(ぶかん)的な要素があったことを指摘することができる。

ところで、江戸幕府はたびたび大名の国替(くにがえ)を行った。流宣日本図は、その変化に対応して最新の情報を維持しようとしている。たとえば、下総国の佐倉をみると、元禄7(1694)年版では「戸田山城守(やましろのかみ) 六万五千石」(図5)とあるが、元禄14(1701)年版では「稲葉□[丹]後守 十万三千石」(図6)となっている。元禄14年6月の国替の結果が取り入れられているのだ。また、播磨国の赤穂(あこう)をみると、元禄14年版では「五万石余 浅野内□□[匠頭]」(図7)とあるが、元禄16年版では「三万三千石 永井伊賀守(いがのかみ)」(図8)となっている。いうまでもなく、元禄14年の江戸城中刃傷(にんじょう)事件による改易(かいえき)を反映したものである。流宣日本図がおよそ数年に一度の頻度で重版されたのも、こうした頻繁な異動を可能なかぎり補うためでもあったのだ。

図5:元禄7年版日本海山潮陸図の佐倉

図6:元禄14年版日本海山潮陸図の佐倉

図7:元禄14年版日本海山潮陸図の赤穂

図8:元禄16年版日本海山潮陸図の赤穂

また、交通関係の地理情報も詳しい。海上をみると、各地の湊を結ぶ航路とその距離が記載されている。東北地方太平洋側への航路記載はないものの、海上交通に関して一定の詳しさをもっているといえよう。一方、陸上交通については、いっそう詳しい。たとえば、東海道の宿駅には宿間の距離や駄賃(だちん)などが、中山道・北陸道・木曽路などには宿間の距離が記載されている。こうした陸上交通への関心を反映してか、「越すに越されぬ」大炊(井)川が、日本中のどの河川よりも幅広く描かれていて興味深い(図9)。

さらに、各地の名所旧跡の記載も豊富である。それらをいちいち列挙することはできないが、たとえば筑波山(図10)・高野山(図11)・厳島(いつくしま)神社(図12)などは、その景観まで描写されており、みるものの関心を誘う。図の下端中央の長大な一覧表とそれに続く右下の一覧表とによって、各国の郡名とともに一宮を列記しているのも、このことに関係していよう。

図9:大炊(井)川(元禄4年版日本海山潮陸図より)

図10:筑波山(元禄4年版日本海山潮陸図より)

図11:高野山(元禄4年版日本海山潮陸図より)

図12:厳島神社(元禄4年版日本海山潮陸図より)

こうした地理情報は国内ばかりではない。図の左上に掲げられた一覧表(図13)には、中国から東南アジアにいたる諸都市や諸地域、さらには紅毛までの、長崎からの海上里程が記載されている。

一方、地図には、左上に釜山海の地名をともなって朝鮮国が、左下には琉球邦が描かれ、それぞれへの里程も記される。海をみると「大明」と書された幟(のぼり)をあげた中国船(図14)も浮かんでいる。さらに、日本の南と北には「羅列国(られつこく)(本来は「羅刹国(らせつこく)」のはずだが流宣日本図ではこう表記される)」や「韓唐(かんとう)」(これも本来は「雁道(がんどう)」である)などもみえる。これらは中世以来の架空の土地であるが、こうした土地をも描き込んでいるところに、海のかたなへの想像力を読みとることもできるだろう。

図13:天竺震旦国島通法(元禄4年版日本海山潮陸図より)

図14:中国船(元禄4年版日本海山潮陸図より)

青山宏夫(本館研究部)