連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

聆涛閣(れいとうかく)集古帖

肖像部 聖徳太子之御影

碑銘部 宇治橋断碑
(うじばしだんぴ)

印章部 山城国印

『聆涛閣(れいとうかく)集古帖』は、摂津国菟原(うばら)郡住吉(すみよし)村呉田(くれた)(現在の兵庫県神戸市の東部)の豪商吉田家により編纂された古物類聚の模写図録である。
吉田家は、南北朝時代に後醍醐天皇の近臣であった内大臣吉田定房の後裔(こうえい)を称する灘の大きな酒造家であった。この旧家では、慈照寺銀閣大修繕の施主となるほどの豊かな財力と、京都の藤貞幹(『好古日録』を編纂した考証学者)、奈良の穂井田忠友(正倉院文書の整理紹介を行った国学者)ら当代一流の学者、および和歌や国学で知られた日野大納言資枝(すけき)など京都の公家らとの交友関係を利用して、この図録を完成させた。近世の安永・天明頃から明治初年に至る約百年間にわたり、道可(どっか)・拙翁(せつおう)・渚翁(しょおう)と号する三代の当主は、いずれも考古の学を愛し、学者・貴族と交わり、その人脈により多くの古文書・古物を収集した。自家の書庫を「波の聞こえる書庫」の意味で「聆涛閣(れいとうかく)」と称した。

宇治橋碑 復原複製(参考資料)

宝亀七年備前国津高郡収税解
(参考資料)

肖像部 鎌足公尊像

収集した古文書は「聆涛閣帖」と「足利帖(あしかがちょう)」と称される古文書集2帖と模写図録「集古帖」46帖5函に分類される。とりわけ前者の「聆涛閣帖」には奈良時代から平安鎌倉時代に至る古文書・古写経45点が納められていたが、すべて1点ごとに分割売却され、分散した。そのうちには、「伊勢国計会帳(いせのくにけいかいちょう)」などの奈良時代文書、「大国郷売券(おおくにごうばいけん)」と呼ばれる近江国愛智(えち)郡大国郷の土地売買証文などの平安時代初期の文書も多数含まれていた。幸いにして、これらのうち宝亀7(776)年の「備前国津高郡収税解(びぜんのくにつだかぐんしゅうぜいげ)」は現在、館蔵の史料となっている。

墓誌部 小野毛人墓誌

馬具部 大和出土馬具拓本

文房部 東大寺新羅墨

戯器部 摩訶大将棋図

「集古帖」46帖5函のうち46帖は、天地・尺量・升量・扁額(へんがく)2帖・文房・肖像・書4帖・碑銘2帖・墓誌・鐘銘(しょうめい)・雑銘2帖・甲冑軍営(かっちゅうぐんえい)・弓矢・刀剣2帖・鋒・馬具・楽器・印章5帖・鏡・織紋・乗輿(じょうよ)2帖・玉・食器・食品・葬具・調度2帖・嚢匣(のうこう)・瓦2帖・鈴鐸(れいたく)・戯器(ぎき)・仏具・雑の32項から構成されている。縦33.5センチ、横25.8センチに及ぶ大判の折り本に古器物・古文書の精巧な模本・拓本や古印の模刻などを添付し、簡単な解説を記すという体裁になっている。正倉院文書を含む正倉院御物や禁裏の調度品など、通常では入手できない貴重な資料群が、実物実写の原本原拓本で収集されている点に当図録の最大の価値がある。同時期に編集された松平定信の『集古十種』と比較しても、収集の点数や対象ははるかに『集古帖』が多く、『集古十種』は複写や模写が多いことと比較してもその価値は高い。

葬具部 筑紫国造磐井墓 石人・石馬

天地部 東大寺水成瀬絵図

葬具部 筑紫国造磐井墓 石人・石馬

葬具部 筑紫国造磐井墓 石人・石馬

書部 天平感宝元年閏五月二十日聖武天皇施入勅願文
てんぴょうかんぽうがんねん うるう 五月二十日 しょうむてんのうせにゅうちょくがんもん

地図内裏・扁額・肖像・鐘銘・旌旗陣営(せいきじんえい)の5函については、帖仕立てがむずかしい大型の図版が函に分類されていたと想定され、本来は古地図・肖像画などが函ごとに分類されていたものと考えられる。現在、函は残っていないが46帖以外に40点に及ぶ大型の古地図・肖像画が附属しており、本来はこれらの5函のいずれかに分類されていた可能性が高い。なお、これらの模写図録を種本として第三代渚翁の時代には、家蔵の名品を集めた大型極彩色刷の刊本図録「聆涛閣帖」3冊を刊行している。第1冊は1841(天保12)年、第2冊は1855(安政2)年、第3冊は1864(元治元)年の刊行である。ちなみに、この図録に掲載の考古遺物については清野謙次『日本考古学・人類学史』上巻に紹介されている。

文房部 大仏開眼筆・唐紙

隠岐国駅鈴 複製(参考資料)

鈴鐸部 隠岐国駅鈴図
おきのくにえきれいず

近世後期の文人たちが古器物や古文書を収集・研究の対象として、古代を考証する学問動向が顕著になったことについては、近年とみに注目され始めているが、この史料によって研究が進むものと期待される。

古刀剣部 筑紫出土銅戈拓本

文房部 東大寺題箋軸銘

文房部 東大寺題箋軸銘

仁藤敦史(本館研究部)