連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

南蛮人来朝図屏風

「南蛮人来朝図屏風」
紙本金地著色
六曲一双 右隻
151.4×321.5cm
重要美術品

「南蛮人来朝図屏風」
紙本金地著色
六曲一双 左隻
151.4×321.5cm
重要美術品

桃山時代から江戸時代にかけて、我が国に来航したポルトガル人の風俗を主題にした屏風絵が数多く制作された。南蛮船の入津する光景が主要モティーフであることから、「南蛮人渡来図」「南蛮船入港図」などとも呼ばれるそれらは、今日では一般的に、'南蛮屏風'の名で総称される。絵画史上の分類は、近世初期風俗画に含まれるが、いうまでもなく、このジャンルの画題としては、日本人風俗だけではなく、西欧人風俗も描き出している点が特徴的である。現在までに確認されている作例は約70点。近世前期に量産された洛中洛外図屏風の現存作例は約60点といわれるから、人気の点では近世初期風俗画の中でもそれに匹敵するものといえるだろう。

南蛮屏風は通例、3つの類型に分類されるが、向かって左隻に日本の港に停泊する南蛮船とそれからの荷揚げの風景、右隻にはキリスト教の僧侶たちのいる南蛮寺とそれに向かって歩むカピタン・モール(マカオ総督を兼ねた船長)たちの一行、さらに彼らに好奇の眼を向ける日本人たちという図様で構成される第一類型のものが、全体のおよそ半数を占めている。第二類型はこの第一類型の両隻の図様を右隻にまとめ、左隻に異国の港とそこを出航する南蛮船の光景を描く。第三類型は右隻が第二類型と同じで、左隻は異国の館とそのテラスにおける南蛮人たちの姿で構成される。

当館所蔵の「南蛮人来朝図屏風」は第一類型に分類されるが、来航する南蛮船が2隻であることがきわめて珍しい。近世初期風俗画の主題の多くが、本格的な画技を有する狩野派の絵師たちによってつくりだされたのと同様に、南蛮屏風の各類型の創始にも、狩野光信(かのうみつのぶ)、内膳(ないぜん)、山楽(さんらく)といった一級の絵師たちの関与が示唆されている。当館の屏風も作者こそ不明だが、安定感のある構図と格調高い筆致や上質の絵の具などから、本格的な漢画を学んだ相当の腕前を持つ絵師の作と思われるが、近年、長谷川等伯門人の等学の作とする見解も出されている ( 山根有三 「長谷川派の南蛮屏風について」 『國華』1258号、2000年)。

南蛮屏風を見るおもしろさのひとつに、当時の日本人の西欧理解が垣間見えることがあげられる。本図にも見られるような長身で鼻の大きい西欧人イメージは現代にもつながるものであるが、先に'異国の港''異国の館'と記し、西欧と書かなかったのは、南蛮風俗や建築の描写には、多分に中国的な要素が混じりこんでいるからである。本図でも、船上のカピタンが水墨画の屏風を背に座す光景には漢画人物の定型が踏襲されているし、港の突端の館で船を眺める異国婦人の風俗も、きわめて中国的なものである。

ところで、前述のように南蛮屏風が人気を得た理由は、宝船のような'招福'の縁起物とみなされていたからだと考えられている。旧所蔵者には堺や日本海側の回船問屋などの商家が多いことも、それを物語っている。本図もまた、日本海海運の拠点であった越前国三国港近くの旧家のもとにあったと伝えられる。鎖国により南蛮貿易が終息した後でも、南蛮屏風の制作が減少はすれど、完全には途絶えることがなかったのも、この主題がキリスト教とは関係なく、あくまでも縁起物として認識されていたからであろう。

(本館情報資料研究部・大久保純一)