連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

銅鐸の世界

右:河内平野で造り各地に配布されたと推定される流水文銅鐸 伝滋賀県琵琶湖底出土 高さ45.0cm
左:寸分の狂いのない精緻な作りの6区袈裟襷文銅鐸 兵庫県神戸市生駒出土 高さ52.8cm

右から:
3900年前 中国陶寺(レプリカ) 高さ2.6cm
3700年前 中国二里頭(レプリカ) 高さ8.4cm
3500年前 中国殷墟 高さ9.1cm
2400年前 韓国扶余合松里(レプリカ) 高さ15.9cm
2400年前 出土地不明(レプリカ) 高さ22.3cm

銅鐸は弥生時代の祭りのカネである。その役割は、音と光を発して祭りの場に神を招くことであった。高価な原料を海外から得て、高度な技術を使って鋳造した銅鐸は、弥生時代の工芸品のなかで至上の価値をもつ祭器であった。銅鐸はこれまでに約470個見つかっている。銅鐸の本来の数は2000個を超えていたと推定してよいだろう。
銅鐸は最近では島根県加茂町岩倉で39個もの発見があったように、土中から発掘される一方、過去に見つかっていたものが出所不明の古美術品として世に出ることもある。本館では実物資料の購入とあわせ研究の基準となる銅鐸を選び、レプリカの製作もすすめてきた。ここでは本館蔵のいくつかを紹介する。

銅鈴から銅鐸へ

中国では、銅鈴は3900年前(龍山文化末)に純銅製品が現れ、3700年前(夏代、二里頭文化)から青銅製品が普及する。世界最古の青銅鈴は高さ8cmほどの小型品で、人の腰につけて使っていた。3500年前(殷代)には、人のほか、犬・馬の頸や馬車に銅鈴をつける。朝鮮半島には前6世紀ごろ銅鈴が伝来する。司祭者が身体に着け、神懸かりの状態になるのを助けていたようである。前4世紀ごろ海を渡った銅鈴は、近畿地方で高さが20cmをこす大型品に変わった。そして、鈕にも身にも文様を施した。

銅鐸は古くは石製の鋳型で造った。石製鋳型は硬くて丈夫であるので、一つの鋳型から何個も造ることができた。近畿地方でも摂津と河内に銅鐸生産の中心があり、そこから各地の集団に競って配布したようである。
銅鐸は新しくなると、土製鋳型で造るようになった。粘土が湿気をもち軟らかいうちに形や文様を彫るので、より精巧な銅鐸を造ることが可能になった。高さが50センチをこすような大型の銅鐸は、土製鋳型の採用によって容易になった。
中国では、鈕で吊り下げ、身の内部に舌を下げて鳴らす日本の銅鐸のようなカネを鈴とよび、柄をもって身の内部に舌をつけて鳴らすカネを鐸とよんでいるので、日本の銅鐸も本当は銅鈴と呼ぶのが正しい。中国の銅鈴は、人、人を先導する犬、人を乗せた戦車を引く馬、容器につけ、金属の音と光の力で邪悪を斥け神を招いて人を護る任務をもっていた。

右:伝琵琶湖底銅鐸と同じ鋳型で作った銅鐸(レプリカ) 愛知県広石出土 高さ46.0cm
中:伝琵琶湖底銅鐸の祖型にあたる流水文銅鐸の最古例(レプリカ) 滋賀県新庄出土 高さ42.7cm
左:銅鐸の使い方 吊り手(鈕)に紐をかけて吊り下げ、内部に下げた棒(=舌。青銅、石など)が内面の突帯に接触して音を発した。

右:銅鐸の絵画の主役はシカ、サギ、人である。鈕の両面にイノシシとシカを描いた珍しい例。シカ8頭。 左:イノシシ3頭、シカ4頭。右・右下と同じ銅鐸の鈕の絵画。

日本の銅鐸は、当初から大型で文様をもっていた。舌を伴い、内面の突帯に摩滅の痕跡があり、鳴らしたことは明らかである。死者に副葬することはなく、人里はなれた丘の斜面などに単独で埋めることが多い。銅鐸は、人の身体から離れ、祭りの場で鳴らして神を招いたのであろう。 銅鐸に描いてある絵の主役は、シカ、サギ・ツル、人である。それらの生態や日本の古い文献、民俗例を参考にすると、シカは土地の精霊、サギ・ツルは稲の精霊、人は祖先をあらわし、銅鐸は土地・稲・祖先という稲作にもっとも大切な精霊つまりこの時代の神を招き祭るための祭器であると考えることができる。

右:鈕にシカ・イノシシを描いた銅鐸(出土地不明) 高さ31.9cm
左:細い線で縦帯、横帯の文様を細かく描き、その上に太い線を重ねて緊縛の強い意志をあらわしている銅鐸。出土地不明 高さ39.5cm

右:大型化する一方、内面突帯を欠く銅鐸 徳島県畑田銅鐸 高さ54.2cm
左:大型化がいっそうすすんだ近畿式の銅鐸 福井県向笠銅鐸 高さ66.8cm

近畿・東海地方の青銅器を代表する銅鐸は、その後、いっそう大型化した。しかし、近畿式銅鐸の内面の突帯は細くなり摩滅の痕跡がないから、新しい時期の銅鐸は鳴らすことはなかったのである。銅鐸は、近畿や東海の地方勢力の象徴になったのであろう。銅鐸は、巨大化の頂点に達した2世紀の終わりころ突然製作を終え、卑弥呼の時代が到来する

春成 秀爾(本館考古研究部)