連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

近世日本の世界図

近世の日本には、大きく分けて三つの系統の世界図があった。そのうち最も早くから作製されていたのは仏教系世界図で、近世以前から続く系統のものである。次いで、近世前期には中国から日本に伝わったマテオ・リッチの坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)の影響を受けたマテオ・リッチ系世界図が、さらに中期には蘭学に基づく蘭学系世界図が作製されるようになっていく。こうして時期をずらして現れるこれらの世界図の系統は、しだいにより新しい系統へと主流をうつしつつも、いずれも幕末まで作製され続ける。つまり、近世日本には、これら三つの異なる世界観に基づいて作製された世界図が、併存していたのである。

図1 須弥山儀図(部分)
19世紀前半 本館蔵

図2 南瞻部洲図
近世後期 本館蔵

さて、仏教では、世界は須弥山(しゅみせん)という巨大な山を中心に広がっていると考えられていた。図1はその須弥山世界をかたどった須弥山儀を描いた図である。これをみると、中央に高くそびえ立つ巨大な須弥山が描かれ、さらにその周囲を海と山が交互に八重に取り囲んでいることがわかる。その最も外側は鉄囲山(てっちせん)と呼ばれる世界の果てにある山であるが、その内側すなわち最も外側の大海には、須弥山からみて東西南北の四方向にそれぞれ島が描かれている。これらの四つの島のうち、南に描かれた逆三角形の島(図1では須弥山からみて右下の方向にある島)こそ、われわれ人間の住む南瞻部洲(なんせんぶしゅう)である。

仏教系世界図とは、この南瞻部洲を描いた図にほかならない。現存している仏教系世界図のうち最も古いのは14世紀に写された法隆寺蔵の五天竺図(ごてんじくず)であるが、近世にもこの系統の図が作製され続けた。図2の南瞻部洲図もその一つである。これをみると、インド半島を模した逆三角形の中央付近にはヒマラヤを意味する注記のある山々があり、その一帯が天竺(インド)であることが分かる。また、この大陸の東北の隅には震旦(しんたん)国(中国)、さらにその東方海上の図端近くには島国の日本が描かれている。

図3 坤輿万国全図(復元複製) 1602年 
本館蔵(原品:宮城県図書館)

図4 坤輿万国全図の日本周辺部分(複製)

こうした仏教的世界観が普及していた近世前期、ヨーロッパの大航海時代を通じて獲得された地理的知識を満載して坤輿万国全図(図3、図4)が日本にもたらされることになる。この図は、イエズス会の宣教師マテオ・リッチが、16世紀末頃のヨーロッパ製世界図などをもとに増補改訂のうえ漢訳して1602年に北京で刊行したものである。これが日本にもたらされて以降、それに基づいた世界図が相次いで刊行されることになる。そのうち、多数の版を重ねて最も流布したものの一つが長久保赤水(ながくぼせきすい)の改正地球万国全図(図5)であった。この図には、南瞻部洲図にはみられないヨーロッパやアフリカが登場するなど、地球上の陸地の現実的な姿がとらえられている。しかし、その一方で、南方には古代以来想像されてきた未知の南方大陸「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」が、北方には奇妙な島々なども記載されている。

図5 改正地球万国全図
18世紀末 本館蔵

図6 地球図
1792年 本館蔵

近世中期になって蘭学が盛んになると、新しい地理的知識やそれらを盛り込んだ最新の世界図などが伝わり、日本でもそれらをもとにした蘭学系世界図が作製されるようになる。司馬江漢(しばこうかん)の地球図(図6)はそのうちで最初に刊行されたもので、想像の大陸メガラニカは縮小され、ニューギニアやオーストラリアなどが描かれるようになる。さらに、新訂万国全図(図7)になると、メガラニカは完全に消失してしまう。この図は、幕府天文方の高橋景保(たかはしかげやす)が作製した図で、間宮林蔵(まみやりんぞう)の日本北方に関する最新の地理的知識をいち早く取り入れており、国際的にみても画期的な内容をもっている。また、東半球と西半球を左右に入れ換えることによって日本を世界図の中心におくなど、日本独自の世界図を作製する工夫もみられた。その後、この図は同じく幕府天文方の山路諧孝(やまじゆきたか)によって重訂万国全図(図8)として改訂され、さらに大学南校による改訂を経て明治初期の基本的な世界図の一つとなっていくのである。

図7 新訂万国全図
1810年 本館蔵

図8 重訂万国全図
1855年 本館蔵

本館歴史研究部 青山宏夫