連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

銃炮製作技術の謎

関流一貫目大筒(口径8.5cm・全長140cm)

筒上面の金象嵌

わが国の戦いに甚大な影響をあたえた新兵器の渡来、西欧の高度な技術の移入と、こんにち鉄炮の伝来は、評価されている。戦いの変容は裏付史料があるものの、高度な技術については、戦国時代の銃砲の技術史料はもとより、遺品も皆無で、この点は腑に落ちない。これは西欧の文明や文化が高度という明治いらいの先入観からの立論とおもうが、やはり論の前に証拠が欲しい。

本館は炮術資料のコレクターとして著名な安斎実氏のコレクションを収蔵している。周防徳山藩中川篤俊の門人棟居長孝が天保14年5月に著述した「中嶋流炮術管窺録(かんきろく)」(全21冊)の1巻「手前筒製作之事」と、国友藤兵衛一貫斎の「大小御鉄炮張立製作」の二書がコレクションにふくまれている。ともに、鉄炮の製作法を記す貴重な史料である。ここでは図のある中嶋流の「手前筒製作之事」の内容を紹介して、鉄炮の製作技術の一端を明らかにしたい。

鉄炮の製作法

「中嶋流炮術管窺録」の「手前筒製作之事」にみる製作過程

  1. 鉄炮の作り方は、はじめに真金とよぶ鉄棒を作る。1尺の鉄炮ならば、1尺長い4尺位にする。作業の途中で真金が抜きやすいように片方に藁を堅く巻きつける。
  2. つぎに瓦金(かわらがね)とよぶ鉄板を、作る鉄炮に合わせて大きさと厚さをきめる。瓦金ができたら、これの真金に巻きつけ、火にかける時は真金を抜き、鍛錬する時は筒にいれる。よく鍛錬したら、合わせ目を糊状になるまで加熱して圧力を加えて接合する。これを沸接(わかしづけ)という。瓦金を巻いた状態を荒巻という。この後、筒をヤスリで研磨して部品をつければ、完成する。この種の鉄炮は饂飩張(うどんばり)といい、安物の規格品である。
  1. 高価で頑丈な鉄炮は荒巻の筒に鉄を打ち延ばして長くした巻板をいくつもつぎながら、リボン状に巻いて沸接にして堅牢に鍛えた。これを葛巻(かずらまき)という。
  2. さらに葛をついで生沸(なまわか)しの荒巻にする。これを本沸しにして小口から金槌で詰めながら鍛えて接合する。これを詰巻(つめまき)という。この時、薬室の部分を二重巻張にすることもある。この工程で銃口を薄く、銃尾を厚く葛巻にして、完成に近い銃身の形にする。
  3. 薬室部だけではなく、筒全体を二重巻張にするばあいは、はじめの巻方と逆方向にする。これを二重巻張の筒という。
  4. つぎに厚手の鉄板を末口(銃口)に巻いて柑子(こうじ)とする。粗型の火皿を作って薬室部に埋め込む。
  5. こうしてできた筒を荒方筒という。荒方筒を堅木(かたぎ)の穴に通して楔(くさび)で固定し、刃金の錐で銃腔を研磨する。はじめ荒錐、仕上げは仕上錐をもちいた。
  6. つぎに銃尾にネジ錐をもちいて尾栓ネジを切る。
  1. ネジ錐が完了したらヤスリをもちいて、丸筒ならば上半分を丸く、角筒なら八角に成形する。火皿の形を整え、前目当、先目当(照準具)などを沸接にして尾栓ネジを作って留める。また銃身底部には銃床に固定する目釘の座をつける。
  2. これで鉄炮は完成するが、つぎに前・先目当を調整し、銃腔の水平線上に、ふつう六間の距離に的をおき、銃身の前後に十文字の糸をはり、銃腔から的の黒点を見定める。このあと、銃身を固定し、こんどは両目当からの的の黒点に照準をあわせて、照準具を調整する。これを出合定(であいさだめ)という。


  1. この後、樫木の古木で作った銃架にカラクリをつけた地板を埋め込み、火縄ハサミ、外カラクリならば弾金、そのほか、雨覆、煙返し、引き金などをつけて完成する。

大筒の張立法

鉄炮は小銃であるが、永禄末年ごろから大型砲の大鉄炮が、さらに元亀・天正年間になると、大筒や石火矢が登場した。写真は銃砲史家所荘吉氏寄贈の関流一貫目玉の大筒(口径8.5cm、銃身長90.2cm、全長140cm)は、「江州国友丹波大掾橘宗俊」の銘文があり、筒上面には金象嵌で使用者の「関軍兵衛尉昌信(花押)」とある。江戸初期の延宝2(1674)年、上総国久留里で遠射された確かな史料がある。
幕末の文化10(1813)年8月、関昌信の末裔関信貞は、江戸鉄炮鍛冶の岩田要蔵に300目の大筒を注文した。「信貞覚書」はその製作の次第をつぎのように伝えている。

  1. 平金をふたつに折り返して長さ3尺、幅5寸、厚さ8分の鉄板を作る。重さは5貫目である。この鉄板を丸く窪んだ石の上にあてながら半月形にし、ふたつ合わせて筒状にする。
  1. 筒を3尺ほどの鋏の所を輪で固定しながら支え、1尺位の葛を筒の外側に移動させて、先から中まで3箇所に沸付けにする。
  1. つぎに筒に巻く巻金を用意した。巻金は幅1寸1~2分、厚さ8~9分、長さ4尺の鉄板を9本もちいた。筒につく部分は5寸位の刃金を沸付けにした。
  1. 箸1人、フイゴ1人、向かい槌4人が沸しの近くにいて、絶え間なく藁や泥をいれた。接合をよくするためである。こうして上角幅1寸、先口3寸8分、本口4寸、径1寸5分の筒ができた。
  1. つぎに筒に錐を通して銃腔を作るが、筒を通す面を2尺、横面6~7尺の柱を建てた。ここに筒を通して固定して、錐の部分が8寸位、長さ5尺の粗錐(あらぎり)を、順に5本いれて銃腔を拵(こしら)えた。この時、錐には錐廻しが取りつけられたが、その仕組みは錐の反対に押しつけの板をあて、その板の上に紐をつけて、先口の方から引いた。紐の先には大きな石がつけてあり、錐を廻すと板が錐の尻を押して銃腔が削られた。
  2. この後、部品の火鋏、地板、猿渡(さるわたり)が鍛造された。彫物師の後藤長三郎が、この部品に象嵌を施した。

「中嶋流炮術管窺録」の「張法製法巻」によると、岩田要蔵の張立技術は樋(とい)作りとわかる。関軍兵衛尉昌信は流祖之信の長子であるが、炮術は流祖の教えを忠実に受け継ぐから、一貫目筒もこの技法の可能性がある。なお、「張法製法巻」は大筒の下地として「饂飩」「巻張」「角樋」「金地」の技法を伝えているが、いまはこれを説明する余裕はない。

戦国時代、国友や堺のほか東国でも鍛冶が鉄炮を拵えている。全国各地の鍛冶は見よう見まねで鉄の筒を拵えたのである。その結果として鉄炮は全国に普及した。こうした鉄炮製作の技術のなかに西欧の製銃技術の痕跡はみあたらない。

「中嶋流炮術 目録」中嶋流炮術 管窺録

「張立製法巻」下地饂飩(うどん)作り

「張立製法巻」下地角樋作り

「張立製法巻」下地樋作り

宇田川 武久・本館情報資料研究部

参考文献

  • 所荘吉 「中嶋流炮術管窺録」『江戸古典科学叢書』 恒和出版 1978年
  • 宇田川武久 『鉄炮と石火矢』(日本の美術) 至文堂 1997年
  • 同 『江戸の炮術』 東洋書林 2001年