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妖怪ブームの先駆けは江戸時代だった!
「百鬼夜行図」から歌川国芳が描いた浮世絵まで
歴博所蔵の妖怪や幽霊を描いた錦絵など資料がずらり100点!
このたび、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)(※以下歴博)では、特集展示「もののけの夏―江戸文化の中の幽霊・妖怪―」を2019年7月30日(火)~9月8日(日)に開催いたします。
歴博は妖怪、幽霊などの絵巻や錦絵などをはじめとする国内有数の「怪談・妖怪コレクション」を所蔵しています。本展では、その珠玉のコレクションの中より「百鬼夜行図」や国内外で人気の高い浮世絵師・歌川国芳の「源頼光公館土蜘作妖怪図」など100点の厳選された貴重な資料が一堂に会します。これまで、2001年の企画展示「異界万華鏡-あの世・妖怪・占い-」では怪異表現を民俗学的視点で展示し、2009年の展示「百鬼夜行の世界」ではテーマを絞り込んだものでしたが、本展では主にそれらが江戸文化の中で果たした役割について考えます。
江戸時代は、妖怪や幽霊などの怪異譚や図像の収集が流行し、それらを可視化した絵本や錦絵なども大量に生産されました。幽霊を扱った歌舞伎や見世物では怪異を恐れる気持ちと楽しむ心理が表裏一体となっており、草双紙や妖怪絵本に描かれる妖怪たちは、今日のサブカルチャーにも通じるキャラクター化がなされていると言われています。幕末には妖怪表現は風刺画を示唆する記号としての役割もありました。このように怪異表現は江戸の文化を特色づける主要な要素のひとつであるとともに、現代日本文化の淵源を考える材料のひとつなのです。
本展では、江戸時代中・後期における怪異表現を、博物学的関心による図像収集、絵双六などの遊び、見世物や演劇などの興行、錦絵や武者絵や風刺画など、江戸文化の諸相の中で紹介します。
狩野洞雲益信「百鬼夜行図」(部分) 紙本着色一巻 貞享元年(1684)以前 国立歴史民俗博物館蔵 |
歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」大判錦絵3枚続 天保14年(1843) 国立歴史民俗博物館蔵 |
本展のみどころ
- 美術史的あるいは民俗学的に価値の高い「百鬼夜行図(ひゃっきやぎょうず)」や「化物絵巻」など、国内有数の「怪談・妖怪コレクション」からお宝が続々出品!
- 絵双六やカルタ絵などの玩具絵を通し妖怪が娯楽の中に溶け込んでいたことを垣間見ます
- 幽霊をあつかい大がかりな仕掛けを用いた演目が江戸末期の歌舞伎で大人気だったことを紹介します
- 無数の妖怪を描く「百鬼夜行」が、幕末の風刺画の中で大きな役割を担っていたことを紹介します
開催概要
『もののけの夏―江戸文化の中の幽霊・妖怪―』
開催期間 | 2019年7月30日(火)~ 9月8日(日) |
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会場 | 国立歴史民俗博物館 企画展示室B |
料金 | 一般:600(350)円 / 高校生・大学生:250(200)円 / ※高校生及び大学生の方は、学生証等を提示してください。 |
開館時間 | 9時30分~17時00分(入館は16時30分まで) ※開館日・開館時間を変更する場合があります。 |
休館日 | 月曜日(休日の場合は翌日が休館日となります) ※ただし、8月13日は開館 |
主催 | 大学共同利用機関法人人間文化研究機構 国立歴史民俗博物館 |
【展示構成】
【第1章】妖怪研究の流行
月岡芳年「和漢百物語 頓欲の婆々」 大判錦絵 慶応元年(1865) 国立歴史民俗博物館蔵 お伽噺の「舌切り雀」のクライマックス、欲深い老婆が開けた葛籠から無数の妖怪たちが湧き出す。 |
また、幽冥界への関心をもととした平田篤胤の『稲生物怪録』の研究は、この絵入りの怪奇体験談の多数の写本を生み出すことになりました。一方でテキストをともなわない妖怪図像の収集も、博物学的関心の高まりの中でさかんになっていきます。まるで図鑑のように妖怪の画像を描き集めた鳥山石燕の絵本『画図百鬼夜行』の刊行はそれを象徴するものですが、幕末・明治には月岡芳年の「和漢百物語」や「新形三十六怪撰」のような幽霊や妖怪を主題とした錦絵シリーズも出版されました。
狩野洞雲益信「百鬼夜行図」(部分) 紙本着色一巻 貞享元年(1684)以前 国立歴史民俗博物館蔵 異様ながらも生き生きとした表情と姿態を持つ多数の妖怪たちが行列を展開し、巻末で真っ赤な火の玉から逃げ出す、室町時代の京都・真珠庵本の系統に分類される百鬼夜行図巻である。同種の絵巻は江戸時代に入って多数描かれたが、妖怪の順序や種類に少しずつ変化を見いだすことができる。本図巻でも真珠庵本とは一部の妖怪の順序が異なり、また、「髪切」や「ふらり火」など、「化物尽し」系統の絵巻に見られる妖怪が付加されている。本図の作者狩野益信(1625~94)は、狩野探幽の養子となり、のちに幕府御用絵師の駿河台狩野家を立てた。的確な運筆に正統の狩野派の力量がよく示されている優品。 |
【第2章】遊びの中の怪異
古来、超自然的存在で畏怖すべき対象であった妖怪は、江戸の都市文化の中で娯楽の対象へと変化し、異様でありながらもどこか愛嬌のある姿態の妖怪イメージが次々と作り上げられました。フィクションの中で享受される妖怪たちは、人間相手に奮闘するもさまざまな失敗を繰り広げる存在として描かれることも少なくありません。
浮世絵版画に「玩具絵」とよばれるジャンルがあります。サイコロを振って上がりを目指す絵双六や、あるカテゴリーの図像を描き集める子供向けの「何々尽くし」と呼ばれる絵などが含まれますが、それらの中には妖怪や幽霊を題材としたものが多くあります。画面の一部をめくると絵が変わる仕掛け絵の中にも化物に変じる趣向のものが見いだされます。
草双紙や玩具絵などに描かれるどこか憎めない化物たちの姿をご紹介します。
喜多川歌麿「化物の夢」 3枚揃いの「悪夢集」と仮称されている錦絵シリーズ中の一図。このシリーズでは、子供たちや母親らは多色摺で摺られているが、吹き出し状に表現された夢の中の化物たちは、ほぼ墨のみで摺られている。夢などの異世界を描くときにモノクロームを用いるということは西洋でもおこなわれており、日本でも夢や妖怪や幽霊などを描く際によく見られる手法である。昼寝をする子供が夢の中でうなされているが、首の長い見越し入道や一つ目小僧は、草双紙にも登場するお馴染みの化物。 |
歌川芳員「新板化物づくし」 |
「新板化物尽」紙本木版多色摺 天保(1830~44)頃
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歌川芳員「百種怪談妖物双六」 紙本木版多色摺 安政5年(1858) 国立歴史民俗博物館蔵 サイコロの目が示すマスへと駒を飛ばせる「飛び双六」の一種。妖怪を主題とした絵双六は複数種類残っており、妖怪が娯楽の対象であったことを物語っている。下段中央の子どもたちの百物語の遊びを振り出しとし、荒廃した御所に出現する化け猫を上がりとする。飛び双六は上段のマスほど価値評価の高いものが描かれ、この絵双六でも天下を脅かす九尾の狐や、伝統的に妖怪の親分とされた見越し入道などの大物妖怪が配されるが、豆腐小僧や分福茶釜のようにコミカルで害のない妖怪が上から2段目にいるのは面白い。 |
【第3章】歌舞伎の中の怪異
歌舞伎の怪談物は、文化・文政(1804~30)期に確立しました。文化元年(1804)7月の四代目鶴屋南北作の「天竺徳兵衛韓噺」で、初代尾上松助が凄みのある幽霊の姿や外連豊かな演出で大当たりをとりました。南北と松助のコンビは、文化5年(1808)閏6月の「彩入御伽艸」において小平次の幽霊と女房の二役早替わりなどで好評を博するなど、江戸の歌舞伎の夏狂言で怪談物が定着していきます。また、松助やそれに続く三代目菊五郎の活躍で怪談物は尾上家の家の芸となっていきました。また、文政8年(1825)7月に初演された南北作・三代目尾上菊五郎主演の「東海道四谷怪談」での早替わりや戸板返し、のちの上演で取り入れられた提灯から幽霊が出現する仕掛けなどは、お岩の幽霊の執念の深さを表現する上で大きな効果を発揮しました。
歌舞伎役者や芝居の舞台を描く役者絵は、浮世絵でもっとも人気のあるジャンルであるため、怪談物の流行を受けて、二役早替わりや大がかりな仕掛けによる幽霊の登場場面が好んで描かれています。嘉永4年(1851)8月に初演された「東山桜荘子」では、惨殺された浅倉当吾の幽霊が領主の織越大領を苦しめる場面が歌川国芳や三代歌川豊国らの絵師によって少しずつヴァリエーションを持たせつつ数多く描かれており、幽霊の演出そのものが観客の高い関心をひいていたことを物語っています。
歌川豊国「社代尾上松助の小はだ小平次同女房二役」 大判錦絵 文化5年(1808) 幽霊となって現れた小平次。 |
歌川国芳「東山桜荘子 織越館の場」大判錦絵2枚続 これでもか、とさまざまに変化してまとわりつく。 |
三代歌川豊国「昔語岡崎猫石妖怪」 大判錦絵3枚続 弘化4年(1847) 国立歴史民俗博物館蔵 市村座で三代目尾上菊五郎の江戸舞台引退のお名残狂言として上演された「尾上梅寿一代噺」に取材したもので、通称「岡崎の化け猫」で知られる「独道中五十三駅」を改編し再演した。この系統の化け猫は古寺に老女の姿で十二単を纏い登場するが、当時の猫に対する俗信やイメージの先行例を取り入れたことが指摘されている。 |
三代歌川豊国「東海道四谷怪談 蛇山庵室の場」 |
歌川国貞「かさねゆうこん 尾上梅幸 新工夫大当り大当り」 |
【第4章】 盛り場の怪談
江戸が大人口を抱える巨大都市へと成長するにしたがい、両国の広小路や浅草寺の奥山など、市中に恒常的に大勢の人々が集い来る盛り場が形成されました。そこでは人々の関心を引きつける見世物や寄席などの興行が見られ、江戸時代末期の寄席では四代目林家正蔵など怪談咄で人気を得る落語家が登場しました。見世物には軽業や手品などの他に、珍獣や精巧な作り物が人々の目を驚かせていましたが、大がかりな仕掛けを用いて瞬間的な変化を見せる趣向に幽霊や妖怪はうってつけの題材だったのか、幕末から明治にかけ多くの興行がおこなわれました。歌舞伎の怪談物における早替わりの影響も大きかったのか、作り物では等身大で迫真的な生人形が幕末の見世物の人気ジャンルとなりました。その中には幽霊の不気味な姿を「再現」したものもありました。また、今日の幻灯に当たる写し絵は、種板を抜き差しすることで瞬間的に絵柄が変わることに加え、暗い場所で写す興行のありようも幽霊ネタに適したものでした。
盛り場には吹矢や楊弓場などの遊技施設もありました。的に吹矢や弓矢が当たると人形が飛び出す仕掛けでは、妖怪を題材としたものが少なくありませんでした。江戸の盛り場には、幽霊や妖怪がうようよしていたといえるのです。
歌川国芳「曲独楽竹沢藤次」大判錦絵 |
豊原国周「童戯五拾三次之内 四日市」
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【第5章】 武者絵の中の妖怪たち
江戸時代末期、歌川国芳らの活躍によって、英雄たちの武勇をダイナミックに描き出す武者絵が浮世絵の主要なジャンルのひとつとして急成長しました。源頼光と四天王らの土蜘蛛退治のように、歴史上有名な武将たちの武勇譚には妖怪変化を征したものが数多くあり、九尾の狐伝説のように妖怪そのものを主役とするものもありました。それらは視覚効果の高さから武者絵の題材として好んで取り上げられています。また、読本や講談などの中で生み出された妖怪が、主人公の英雄たち以上に躍動しています。歌川国芳やその門人たちの錦絵を中心に、妖怪というモティーフが武者絵の中で重要な役割を果たしていたことを紹介していきます。
月岡芳年「於吹島之館直之古狸退治図」大判錦絵3枚続 慶応2年(1866) 国立歴史民俗博物館蔵 武者絵でよくおこなわれた形式に、基準となる大判を横に3枚つないで横長の画面としたものがある。それらワイドスクリーンのような視野の広い画面の中心に大きく、あるいは大半を占めるかのように異様で巨大な妖怪を配置したものも少なくない。英雄たちの姿よりも、もはや妖怪がいかに描かれているかが鑑賞者の関心の対象となっていたことがうかがえる。ただし、この図は第二次長征伐を風刺したものとの見方もある。 |
【第6章】 幕末世相風刺と百鬼夜行
天保14年(1843)、歌川国芳が描く3枚続の錦絵「源頼光公館土蜘作妖怪図」が、天保の改革を風刺したものだとの噂が立って大当たりをとりました。この錦絵の大ヒットを機に、激動の幕末・明治初頭にかけて、風刺画が錦絵のジャンルとして急成長を遂げたのです。以来、百鬼夜行などの妖怪表現が戊辰戦争など、幕末の動乱を描く錦絵において風刺画であることを示す記号となっていったことをお示しします。
歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」大判錦絵3枚続 天保14年(1843) 国立歴史民俗博物館蔵 伝統的な「土蜘蛛」の図様とは異なり、背景に描き込んだ無数の妖怪たちの姿が、改革で禁止された業種や摘発された人々の化身であり、その妖怪たちに悩まされる頼光とその部下の四天王たちの姿は、将軍徳川家慶と水野忠邦をはじめとする幕閣だと判じられた。
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歌川芳盛「昔ばなし舌切雀」大判錦絵3枚続 元治元年(1864) 国立歴史民俗博物館蔵 強欲婆さんが選んだ葛籠から妖怪や毒虫が湧き出す、ご存じの「舌切り雀」のクライマックスを描くが、正直爺さんの葛籠からは財宝とともに雀の軍勢が湧き出している。雀たちに攻め立てられて妖怪軍は総崩れ寸前の態。妖怪の指揮をとるのは三ツ目入道だが、太い眉毛と三つの目は長州藩毛利家の家紋である一文字に三つ星になっており、元治元年(1864)7月19日、尊王攘夷派の長州藩の軍勢が公武合体派の幕府や会津藩、薩摩藩に敗北した蛤御門の変(禁門の変)を風刺している。出版の後、何らかの規制がかかったのか三ツ目入道の眉を削った版があり、また、図柄は酷似するものの、まったく新しく彫り直された版も知られている。
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【連動展示】
特集展示「もののけの夏―江戸文化の中の幽霊・妖怪―」会期中、総合展示の第4展示室「民俗」と連動展示を実施。宮城県気仙沼市にある築200年の古民家・尾形家(復元)にも「気仙沼のカミと妖怪」のパネル展示をおこないます。
総合展示 第4展示室「民俗」 尾形家住宅(復元) |
尾形家のオシラサマ(個人蔵) | 市内の旧家に伝わるケサランパサラン(個人蔵) 撮影 川島秀一 |
【展示代表 紹介】
■代表:大久保 純一(国立歴史民俗博物館 情報資料研究系 教授)
昭和34年、徳島県生まれ。専門は浮世絵を中心とした江戸絵画史。主な著書に、『広重と浮世絵風景画』(東京大学出版会、2007年)、『カラー版 浮世絵』(岩波新書、2007年)、『浮世絵出版論』(吉川弘文館、2013年)など。人一倍の怖がりで、怪談やホラー映画は実は大の苦手。
■鈴木 卓治(国立歴史民俗博物館 情報資料研究系 教授)
■山田 慎也(国立歴史民俗博物館 民俗研究系 准教授)
【図録執筆協力】
■川村 清志(国立歴史民俗博物館 民俗研究系 准教授)
関連イベント
ギャラリートーク
展示期間中、数回実施を予定
※詳細は、決まり次第特集展示ページに掲載します。
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1. 狩野洞雲益信「百鬼夜行図」A(部分) 紙本着色一巻 貞享元年(1684)以前 国立歴史民俗博物館蔵 |
2. 狩野洞雲益信「百鬼夜行図」B(部分) 紙本着色一巻 貞享元年(1684)以前 国立歴史民俗博物館蔵 |
3.喜多川歌麿「化物の夢」 大判錦絵 寛政(1789~1801)末期 国立歴史民俗博物館蔵 |
4. 「新板化物尽」紙本木版多色摺 天保(1830~44)頃 国立歴史民俗博物館蔵 |
5. 歌川国芳「東山桜荘子 織越館の場」 大判錦絵2枚続 嘉永4(1851) 国立歴史民俗博物館蔵 |
6. 三代歌川豊国「東海道四谷怪談 蛇山庵室の場」 国立歴史民俗博物館蔵 |
7.三代歌川豊国「昔語岡崎猫石妖怪」 大判錦絵3枚続 弘化4年(1847) 国立歴史民俗博物館蔵 |
8.歌川国芳「曲独楽竹沢藤次」大判錦絵 |
9. 月岡芳年「於吹島之館直之古狸退治図」大判錦絵3枚続 慶応2年(1866) 国立歴史民俗博物館蔵 |
10. 歌川国芳「源頼光公館土蜘作妖怪図」大判錦絵3枚続 天保14年(1843) 国立歴史民俗博物館蔵 |
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