中世(鎌倉時代から江戸時代が始まるまで)の武士は、先祖代々の職業戦士であるとともに、地域の領主(その地域を支配する人)でもありました。
武士が領主として地域社会に定着していくまでの様子を、中世の資料や復元した景観などを使って明らかにしていきます。
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紙本著色前九年合戦絵詞(ぜんくねんかっせんえことば)(部分) 平安時代の東北地方で起きた前九年合戦という戦争を題材とした絵巻です。平安時代末~鎌倉時代の武士の戦闘の特徴(とくちょう)をよく描(えが)いています。 |
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紙本著色蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)(複製)下巻(部分) 鎌倉時代の2度の蒙古襲来に際して、肥後(ひご)国(熊本県)の武士の竹崎季長(たけざきすえなが)が立てた武功を描写(びょうしゃ)した絵巻です。 |
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八代椎木(やつしろしいのき)出土梵鐘(ぼんしょう) 千葉県の成田ニュータウン造成時に発見されました。肥前(ひぜん)国(佐賀県)でつくられた梵鐘で、千葉胤貞(たねさだ)が軍鐘(ぐんしょう)として下総(しもうさ)に持ってきたと考えられています。 |
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絹本著色一遍聖絵(いっぺんひじりえ)(複製)第一巻(部分) 伊予(いよ)国(愛媛県)の武士である河野氏の鎌倉時代の屋敷(やしき)です。土塁(どるい)や堀(ほり)がない、戦争を意識しないつくりになっている点が注目されます。 |
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下町・坊城(したまち・ぼうじょう)遺跡出土遺物 下町・坊城遺跡は、越後(えちご)国奥山荘(おくやまのしょう)(現在の新潟県胎内(たいない)市)の領主だった和田(わだ)氏の鎌倉時代の屋敷跡(やしきあと)です。かわらけ(素焼きの土器)・漆器(しっき)・中国産の陶磁器(とうじき)・国産の陶器などが大量に出土しました。これらの大部分は、和田氏が日常生活で使用したもの(皿や椀(わん))です。 |
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中世貨客両用和船復元模型 鎌倉時代の絵画資料に描かれる船を参考に製作した模型です。中世の日本の海では、このような船が往来していました。順風が吹けば、帆柱(ほばしら)を立てて帆(ほ)を上げましたが、逆風が吹くと、帆柱を倒して、水夫が櫓(ろ)をこいで進みました。 |
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木造 多聞天立像(たもんてんりゅうぞう) 多聞天立像の像内銘(ぞうないめい)から、像を造る目的が千葉宗胤(ちばむねたね)の息災(そくさい)を祈るためだけでなく、小城郡(おぎぐん)(現在の佐賀県小城市)の人々の平和なくらしを祈るためでもあったことがわかります。 |
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益田兼堯(ますだかねたか)像 (雪舟筆) 益田氏15代当主兼堯の肖像画(しょうぞうが)で、作者は室町時代の画僧(がそう)として有名な雪舟(せっしゅう)です。兼堯と雪舟は京都で知り合ったと考えられます。 |