江戸(えど)時代の後期に、ヨーロッパで日本を紹介(しょうかい)したシーボルトのコレクションを展示(てんじ)します。シーボルトは、ドイツ人の医師・博物学者です。長崎(ながさき)にあった出島のオランダ商館の医師として、二度にわたり日本に来ました。日本の医師たちに近代的な西洋医学を伝えながら、日本の自然や生活文化にかかわる多くの資料を集め、ヨーロッパに持ち帰りました。
帰国後、オランダやドイツの都市で日本をテーマとした博物館展示を実現しました。シーボルトはどんなものを持ち帰り、ヨーロッパに何を伝えようとしたのでしょうか。シーボルトコレクション320点の里帰りです。
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シーボルトの肖像(しょうぞう) (描き起こし) |
オランダのライデン市内にあるシーボルトの昔の住まい ここで一度目の日本展示会が開かれました。 |
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鳴滝(なるたき)の家屋模型(もけい) シーボルトは長崎の鳴滝にあった民家を買い取って、全国から集まった医師た ちに西洋医学を教える鳴滝塾(じゅく)を開きました。江戸時代、オランダ人 の行動は出島というせまい島の中に制限されていましたが、シーボルトは長崎 奉行から特別に許されて、出島から出てこの鳴滝塾まで通うことができました。 (ミュンヘン五大陸博物館蔵(ぞう) ©Museum Fünf Kontinente) |
法被(はっぴ) (長崎くんち衣装) 長崎の祭り「くんち」で使われた衣装(いしょう)です。祭りの日は、出島のオランダ人も長崎の街に出て「くんち」見物を許されました。シーボルトにとって日本のくらしの中で最も印象深いイベントだったようです。 (ミュンヘン五大陸博物館蔵 ©Museum Fünf Kontinente) |
二度目の来日後、シーボルトはオランダのアムステルダムで展覧会(てんらんかい)を開きました。このとき紹介した日本の展示物です。
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花鳥図衝立(かちょうずついたて) |
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蛇身弁財天(じゃしんべんざいてん) |
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亀形筮筒(かめがたぜいとう) |