みなさんも弥生時代がどういう時代なのか、勉強したと思います。「紀元前10世紀に九州北部で水田稲作が始まってから、3世紀に近畿地方で前方後円墳がつくられるまでの1200年間」というのが、歴博の考える弥生時代です。
でも、日本列島のどこもが同じように稲作をして同じくらしをしていたというわけではありません。各地にいろいろなくらしと文化がありました。
この企画展示では、弥生時代の遺跡で見つかったもの、もけいなど、いろいろなものを目で見て手でふれて、「弥生ってなに?!」について考えてもらえるようにしました。 この企画展示で見られるもののいくつかを紹介します。
名前をぼしゅうしています。
この人は、推定年20代の弥生時代の高い身分の女性です。 山口県の遺跡で見つかった骨をもとに、顔を復元(ふくげん)しました。 そして、服やアクセサリーも再現(さいげん)して着せました。 会場でこの女性の名前をぼしゅうしています。かわいい名前をつけてあげてください。
弥生ファッションを再現(さいげん)
弥生の身分の高い人たちは、色あざやかではでなファッションを楽しんだようです。 布の材料やおり方、何で色をそめたか、などを研究し、帯(おび)やバンダナ、ネックレスなどを再現(さいげん)しました。
日本には弥生時代からネコがいた?!
日本列島には、ヤマネコ以外のネコはいませんでした。みなさんが知っているネコ(イエネコ)は、いつ日本に来たのか、じつはよくわかっていません。 今回、長崎県の弥生時代の遺跡で見つかったネコの骨をパネルで示しました。だとすると、ネコは弥生時代からペットとしてかわれていたかもしれないのです。
弥生人が見た銅鐸(どうたく)
教科書の写真と色がちがうな、と思った人はいませんか。これは、弥生時代の技術を復元してつくった銅鐸もけいです。 このできたばかりのピカピカの銅鐸、見た人たちはどう感じたのでしょうか。