(岩手県 青森県 宮城県 大海嘯(おおつなみ)画報)
2011年3月11日におこった東日本大震災(だいしんさい)のことは、みなさんも覚えていると思います。そのときは、テレビやラジオ、新聞やインターネットから震災(しんさい)のようすを知ることができました。
東北地方は、それまでにも何回か地震(じしん)と津波(つなみ)によるひがいを受けていました。この絵、1886年に東北地方の太平洋側の海岸をおそった「明治三陸(さんりく)津波」のようすをつたえる絵です。
今回の企画展示では、現在までの日本各地の地震・津波のひがいのようすをしょうかいしています。そして、人びとはどうやって地震や津波を伝えてきたかを、絵や写真、実物をつかって展示しています。
貞観(じょうがん)地震(じしん)のあと、修復に使われた寺のかわら
記録されている日本で一番古い地震は、奈良時代に東北地方をおそった貞観地震(869年)です。そのとき、陸奥国(むつのくに)の国分寺(こくぶんじ)もひがいを受けました。
浅草中見世(なかみせ)のようす
これは、1923年9月の関東大震災(だいしんさい)でもえてしまった浅草の通りのようすです。このような絵はがきが売られ、関東以外の人たちも地震(じしん)のようすを知ることができました。
大正大震災(だいしんさい)の歌
関東大震災(だいしんさい)のようすをつたえるために歌もつくられました。そのころは、ラジオ放送がまだなかったので、歌手が町で歌ったり、レコードをながしたりして、地震(じしん)のようすが日本中に広まっていきました。
一二九会(ひふくかい)ののぼり
関東大震災(しんさい)のとき、東京の軍服を作り、保管していた本所(ほんじょ)被服廠跡(ひふくしょうあと)に約4万人がひなんをしました。そこを火事がおそい約3万8千人がなくなりました。生き残った人たちは「一二九会」という会をつくり、震災の体験や防災について話し合う活動をはじめました。