現在、大阪府堺市堺区となっている堺(さかい)の町は、戦国時代から江戸時代のはじめにかけて、貿易の中心地でした。まわりには堀(ほり)をめぐらせて、町人が自ら治める町として発展しますが、1615年、町は戦いで焼きはらわれてしまいました。そして新たに、町がつくり直されました。
1862年(元禄(げんろく)2年)に、一軒一軒までその様子をかいた絵図が作られました。この絵図は、縮尺が約300分の1という、とてもくわしいもので、家が建つ土地には、一軒ずつ、大きさや持ち主の名前が書かれています。
れきはくでは、この大きな絵図を修理して、デジタル画像でも見られるようにしました。今回の展示では、実物の絵図が半分だけ展示され、ゆかでは、本物と同じ大きさの絵図を見ることができます。町の発掘(はっくつ)調査や現在の堺区ともくらべながら、当時の堺のようすを想像してみてください。
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元禄二年堺大絵図
(本館蔵) |
大仙古墳(だいせんこふん)
日本最大の前方後円墳である大仙古墳は、後から別の紙にかいてはりつけています。 |