北野社の門前にあり、願成就寺とも称した。明徳の乱(1391)で足利義満が山名氏清を内野で討ち取り、その追悼のために道場を建てて一万部の法華経を読ませたのに始まるという。毎年10月の法会には人々が群集した。1870年(明治3)いったん廃寺となり、義満筆の「経王堂」の額が残る。