三時知恩寺のことで、崇光天皇の御所を後光厳天皇の皇女見子が寺としたもの。もと一条西洞院にあったが、応仁の乱以前に上立売の現在地に移転した。代々皇女や摂関家の息女が住持となり、ここでも尼僧たちの出入りする姿が描かれている。