真正極楽寺という10世紀末からの天台宗の大寺院だったが、応仁の乱で焼失し、復興後は浄土宗寺院となった。その後寺地は転々とし、この屏風が描かれた16世紀前半ころには洛中にあったはずだが、寺領として続いたこの神楽岡東の旧地に堂坊が描かれ、貼り札がされている。