船岡山の東南にあり、北野、紫野などの京七野の総社としてまつられた。宇多天皇の后が霊夢で三笠山の形を作って寵愛を取り戻したとされ、願いのある者はそれにならって社前に砂を積む。社殿が砂山状の丘上に描かれ、女性が参拝しているのはこのためか。東博模本でも同様の丘上に描かれている。