紫野の西にある独立丘で、名は船の形に似るためという。平安京の造営に際しては、朱雀大路の基点とされたと考えられ、四神相応思想の玄武の山とされる。都人の遊行の地であったが、鳥辺野と共に代表的な葬送地でもあった。丘頂には祭祀遺跡があり、また戦国時代には城砦もつくられた。