管領細川氏邸の西に位置し、細川氏の有力被官であった摂津守護代の薬師寺国長の屋敷と考えられる。国長は1533年(天文2)に戦死しており、この屏風の景観年代比定の参考になる。武士が出入りし、縁では若者が横笛を吹いている。