総合展示室および企画展示室で特別展示される主な資料です。貴重な原品は長期間の展示に耐えられないため、期間限定で展示されます。この機会をお見逃しなく!
(予告なく変更されることがあります。)

このページの目次
第2展示室 第3展示室 第4展示室

第2展示室

「王朝文化」-王朝貴族の服装
2017年6月6日から夏服に衣替えしました。

王朝文化 終了予定日:2017年10月15日(日)

名称・説明 時代 数量
【重要文化財】紙本白描隆房卿艶詞絵巻 本館蔵
藤原隆房と美人小督の悲恋を扱った絵巻。詞書は長歌の形式をとり、絵は墨だけのいわゆる白描画である。画中の人物の服装や建物の内部は、必ずしも忠実に描かれているわけではないが、鎌倉時代の貴族の服装や殿舎の様子をうかがい知る助けにはなろう。
13世紀 1巻
九会料簡 第十三 本館蔵
金剛界九会曼荼羅の解説書。久安4年5月26日に僧顕杲が書写し所持していた書である。墨書の片仮名・返り点などが加えられており、12世紀の片仮名資料の一つである。
久安4(1148)年 1巻
詞花和歌集(旧高松宮家禁裏本) 本館蔵
第6番目に撰定された勅撰和歌集で、仁平元年(1151)頃に成立した。本書は鎌倉時代末から南北朝時代の頃に書写されたものかと推定される。精撰本(再奏本)系統の古写本の一つである。
14世紀 1巻
源氏物語 空蝉 本館蔵
伏見宮邦高親王・近衛政家・一条冬良ら、公家や僧侶が54帖を各帖ごとに分担して書写したもの。冬良が統轄者で、各帖に冬良自身の奥書がある。本文は『源氏物語』の中でも河内本系に属する。
長享2年(1488) 1冊

印刷文化 終了予定日:2017年10月1日(日)

名称・説明 時代 数量
【国宝】 宋版史記 黄善夫刊本 第八八冊 本館蔵
史記集解・索隠・正義の三注合刻本で、全130巻完存した現存最古本。「建安黄善夫刊/ 于家塾之敬室」の刊記があり、建安(現在福建省)で刊行。直江兼続・上杉藩校興譲館伝来。
南宋慶元年間
(1195~1201)刊か
1冊
【重要文化財】 宋版備急千金要方(びきゅうせんきんようほう) (金沢文庫本) 巻第八 本館蔵
唐代に成立した医書。本書の開版は南宋の孝宗〈1163~1190〉頃のことと推定される。 13世紀初期のものと考えられる。金沢文庫の黒印が押されている。
南宋・12世紀後期刊 1冊
新刊五百家嘉慶註音弁唐柳先生文集 五山版 巻第一〇 本館蔵
刊記に見える兪良甫は、明国福建仁徳里台諫坊の住人であったが、わが国に渡来し、京都に住んで、五山版の刊行に携わった。彼の他にも明の刻工が来朝しているが、その活躍を示すものである。
歳次丁卯仲秋福建兪良甫刊記
嘉慶元年(1387)刊
1冊
版本法華疏記(ほっけしょき) 叡山本 巻第六 本館蔵
本書は、法印権大僧都承詮が願主となり、弘安5(1282)年~永仁4(1296)年頃にかけて、開版したもの。叡山版は、南都版や高野版に比して遺品が少なく貴重。版下筆者に宋人了一の名が見える。
鎌倉時代
弘安5(1282)年~
永仁4(1296)年頃刊記
1冊
版本群書治要 古活字版(銅活字)駿河版 第六冊
徳川家康は、伏見(京都市)で木活字を彫らせ、駿府(静岡市)に退いた後は銅活字を鋳造させて出版を行った。いわゆる伏見版、駿河版である。朝鮮印刷術に習った銅活字印刷では、文字の輪郭が鮮やか。この銅活字は現存している。
元和2(1616)年刊 1冊
版本大学衍義 朝鮮活字版 第四 本館蔵
本書は、朝鮮で宣徳9年(1434・甲寅年)に鋳造された銅活字「甲寅字」によって印刷されている。その文字・印刷は美しく、朝鮮における銅活字印刷技術の水準の高さをよく示している。
16世紀 1冊
版本貞観政要 巻第九・一〇 本館蔵
関ヶ原合戦直前の慶長5年2月、西笑承兌が徳川家康の命により刊行した旨の刊記がある。ここには家康が、秀吉の遺命により秀頼をよく輔佐していることを讃えているのが注目される。
慶長5年(1600)刊 1冊
版本源氏物語 古活字版 巻第二 朝顔 本館蔵
源氏物語の最古の版本として著名。標題は光悦風の書で、いわゆる嵯峨本の一つとされている。刊記はないが、慶長年間(1596~1614年)頃に木活字をもって印刷されたものである。
17世紀初期 1冊
版本太平記 巻第二九・三〇 本館蔵
太平記は古活字版の国文学書の中でも最も早く開版され、重版も多い。本書も刊記には「慶長十五年(1610)」とあるが、開版時の刊記を継承した元和~寛永ころの重版と推定される。
17世紀前期 1冊

大名と一揆 終了予定日:2017年10月1日(日)

名称・説明 時代 数量
紺糸威肩紅白紅腹巻 本館蔵 室町時代 1領
雑々古文書(ぞうぞうこもんじょ) 1巻 第4・5通目 本館蔵

京都の収集家田中教忠が集めた土地売券類の巻物。

右の文書は、尼方一(あまほういち)が屋地をあこ女に売却したもの。朝廷や幕府が、土地の取り戻しを認める徳政令(とくせいれい)を発布しても、この売買には適用されない旨が記されている。左の文書は、性盛(しょうせい)が屋地を鶴夜叉(つるやしゃ)に譲与したもの。譲状のため、徳政令に対する担保文言は見られない。

尼方一敷地売券 (あまほういちしきちばいけん)
写真 釈文(読み)
権律師性盛屋地譲状 (ごんのりっししょうせいやちゆずりじょう)
写真 釈文(読み)

平安~室町時代 1幅
細川書状(ほそかわただおきしょじょう) 本館蔵

細川忠興(1563~1645年、号三斎(さんさい)、法名宗立(そうりゅう))が家臣の長岡延之(ながおかのぶゆき)に宛てた書状。「見舞(みまい)」として「索麺(そうめん)二桶」を献上されたことに対する礼状である。印文にはローマ字で「tadauoqui」とある。忠興は晩年に慢性の眼病にかかり、花押を書くのが辛くなったため、書状にも印鑑を押すようになった。本書状は、寛永11(1634)年頃~正保2(1645)年に出されたものである。

釈文(読み)

寛永11(1634)年頃~正保2(1645)年 1紙

大航海時代のなかの日本 終了予定日:2017年10月1日(日)

名称・説明 時代 数量
横矧二枚胴具足 本館蔵 17世紀 1領
花樹鹿虎蒔絵螺鈿洋櫃 本館蔵 桃山時代
(16~17世紀)
1点
花鳥蒔絵螺鈿洋櫃 本館蔵 桃山時代
(16~17世紀)
1点
藤秋草鳥蒔絵螺鈿箪笥 本館蔵

通常の書箪笥より、やや小ぶりの箪笥。東インド会社の記録によれば、1635年から45年の時期を境に、前蓋のかわりに観音開きの扉をもつ箪笥の輸出量が増えている。ただし、本資料は、新しい需要にあわせてヨーロッパで改装されたものであろう。

桃山時代
(16~17世紀)
1点

第3展示室

国際社会の中の近世日本 終了予定日:2017年10月1日(日)

名称・説明 時代 数量
アツシ 本館蔵

オヒョウなどの樹皮繊維でつくられた織物および服飾のこと。アイヌの人びとの自家用のほか、和人との交易品としても生産された。和人社会では、漁場労働や海上運輸の作業着として好まれた。また、歌舞伎衣裳として錦絵に描かれ、広く珍重されていた様子がうかがえる。

19~20世紀

1点

国際社会の中の近世日本 終了予定日:2017年9月24日(日)

名称・説明 時代 数量
ニンカリ(耳環) 本館蔵

アイヌの耳環は耳たぶに穴を開けて装着するピアスタイプのものを用いている。銀製のものや、錫、鉛などの金属を主として、下辺部にガラス玉や金属、絹片などの装飾をつける。金属部分は日本製のものが多い。

 

1点
トゥキイクパスイ 本館蔵

アイヌの祭具のうち、酒に関わるものは漆器が多い。特に漆椀(トゥキ)を天目台に載せて用いる方式はアイヌ独特のものである。儀礼のときはトゥキに酒を注ぎ、その口縁に横たえた酒へら(イクパスイ)を手に取り、その先端を酒に浸して、神に酒を捧げる。

 

1点
行器(シントコ)/片口 本館蔵

日本製の漆器。アイヌ語でシントコといい、酒つくりや儀礼用の酒器として利用する。イオマンテ(熊送り)などの宗教儀礼のときはこれにイナウキケ(削りかけ)を巻きつけて、荘重に飾った祭具とする。

 

1点
朝鮮通信使奉呈品目録 本館蔵

1982(天和2)年の通信使が、馳走役に当たった石見藩主のむすこ亀井松之助(後の茲親)に贈った朝鮮人参、色紙、筆、墨、白苧布などを記載したもの。通信使とかれらに接した日本の人びとが、頻繁に贈答交換をしていたことを表すものとして興味深い史料。

天和2(1682)年 1点
浮絵大祭礼唐人行列之図 本館蔵

北尾重政 画
江戸本町通りから室町へ曲がる神田祭礼の行列。全国的に祭礼の出し物として人気のあった朝鮮人仮装行列を描いたもの。18世紀半ばから流行した遠近法を取りいれて描いた『朝鮮人来朝図』をもとに、仮装の唐人(異国人)行列に本当の朝鮮通信使のイメージを重ねたもの。

18世紀後半 1点

国際社会の中の近世日本 終了予定日:2017年12月17日(日)

名称・説明 時代 数量
三線(久場春殿型) 本館蔵

琉球で三線が演奏されるようになったのは16世紀のことと考えられている。私的な場だけでなく、冊封使の歓待や江戸参府のときの芸能として公式の場で演奏された。演奏するのは士族の男性。琉球にはいないインドニシキヘビの皮が胴に張られる。

現代 1点

都市の時代 終了予定日:2017年10月1日(日)

名称・説明 時代 数量
赤茶紋縮緬地楓秋草模様縫小袖 本館蔵 明治時代
(19~20世紀)
1領
水浅葱縮緬地菊籬模様友禅染縫振袖 本館蔵 江戸時代後期
~明治時代
(19世紀)
1領
縹縮緬地菊花小紋小袖 本館蔵 幕末から明治 1領

ひとともののながれ 終了予定日:2017年9月24日(日)

名称・説明 時代 数量
新板東海道分間絵図 本館蔵 安永4(1775)年 1巻

ひとともののながれ 終了予定日:2017年10月15日(日)

名称・説明 時代 数量
虎勢道中記 参 本館蔵 (毎月捲替) 19世紀 1冊

村から見える近代 終了予定日:2017年10月15日(日)

名称・説明 時代 数量
虫譜図説 本館蔵 明治時代 1冊
紅毛雑話 本館蔵

森島中良 著
『紅毛雑話』にみえる顕微鏡用法の図解。「虫をはさむ板は象牙にて作り、穴へ雲母を切入、其間へ虫をはさみ」と説く。同書には、虫の観察例も図示されている。

天明7(1787)年 1冊
平田篤胤自筆等身面部図 本館蔵

篤胤の自画像。寸法を測ったうえで、等身大に描いている。月代を剃らず総髪にしていたことがわかる。当時、篤胤は65歳。亡くなる3年前である。

天保11(1840)年 1点
道統禮式 本館蔵

篤胤が教えた学問の種類と謝礼の金額などを示した一覧。その専門分野は古道学(狭義の国学)以外に、暦学・易学・軍学・玄学(老荘の学)と、広い範囲にわたっていたことがわかる。

天保7(1836)年 1点

村から見える近代 終了予定日:2017年9月24日(日)

名称・説明 時代 数量
彦蔵自伝挿絵原画 金比羅道中 本館蔵 19世紀 1点
聆涛閣集古帖(大和国印) 本館蔵 18~19世紀 1冊

絵図・地図にみる近世 終了予定日:2017年11月12日(日)

名称・説明 時代 数量
日本海山潮陸図(元禄7)木版 本館蔵

浮世絵師石川流宣が作った日本図で、初版は1691(元禄4)年。17世紀末から18世紀後半まで何度も改訂されて広く社会に普及した。諸藩の大名と石高、主要街道の宿駅と距離、名所などの国内情報を豊富に載せる。石川流宣には、本図とほぼ同じ内容をもつ1687(貞享4)年初版の本朝図鑑綱目もある。

元禄7(1694)年 1点
レラント日本帝国図 銅版 本館蔵

17世紀末以降、日本で広く普及していた石川流宣の日本海山潮陸図をもとに、オランダの東洋学者レラントが作製した図。ヨーロッパの地図では初めて漢字を記載したものと考えられる。右下の長崎図の上に描かれた人物は、手前に葵の紋章があるので将軍を表していると考えられる。

18世紀前半 1点
新撰大日本図鑑 木版 本館蔵

ケンペルの集めた日本図のなかには、本図と同様の地図があり(イギリス・大英図書館蔵)、ケンペルはこれをもとに手描きの日本図を作製した。新板日本国大絵図などとともに、ケンペルの滞在中には比較的入手しやすかったと考えられる。

延宝6(1678)年 1点
ゾイッター日本図 銅版 本館蔵

日本の形態はケンペルの日本図などにならって新撰大日本図鑑の系統であるが、日本の真北には日本海山潮陸図やレラント日本帝国図のように、架空の土地である「韓唐」が描かれている。右下には貨幣など日本の文物の図案を記載する。ゾイッターはドイツ・アウグスブルクの地図作製者。

18世紀中頃 1点
新板日本国大絵図 木版 本館蔵

ケンペルの集めた日本図のなかには、本図と同じ図があり(イギリス・大英図書館蔵)、ケンペルの原稿を整理したショイヒツァーは、本図を参考にしてケンペルの手描き日本図に手を加え、英訳版の日本図を作製した。『日本誌』所収の日本図で、松前が蝦夷とは別の島として描かれているのは、本図によっている。

1684-1688年
(貞享年間)
1点
ケンペル『日本誌』所収の日本図 ロンドン刊 本館蔵

長崎出島のオランダ商館のドイツ人医師ケンペルは、1690(元禄(げんろく)3)~92年の日本滞在中に集めた文物や見聞などをもとに、日本に関する大著を書いた。これはしばらく未刊であったが、彼の死後、1727年にスイス人ショイヒツァーによって英訳され、ロンドンで出版された。そこに掲載された日本図は、ケンペルの手描き図をもとにショイヒツァーが手を加えたものである。

1727年 1点
ケンペル『日本誌』(オランダ語版)  ハーグ・アムステルダム刊 本館蔵

ケンペル『日本誌』は、ロンドンで刊行された2年後には、フランス語訳とオランダ語訳が、その50年後にはドイツ語訳が出版された。その間にも改訂増補版なども出され、ヨーロッパ各地に広まっていった。

1729年 1点

絵図・地図にみる近世 終了予定日:未定

名称・説明 時代 数量
輯製二十万分之一図(しゅうせいにじゅうまんぶんのいちず)(松江) 本館蔵

近代地図の整備を急いだ明治政府は、伊能図中図(いのうずちゅうず)を骨格として輯製二十万分之一図を緊急に作製した。のちに正式測量の図から編集される二十万分之一帝国図(にじゅうまんぶんのいちていこくず)が全国すべてこれに置き換わる昭和初期まで、伊能図はこの図を通じて使用されていたことになる。

明治21(1888)年 1点
シーボルト日本図 本館蔵

出島オランダ商館医師のシーボルトが、高橋景保(かげやす)から入手した伊能図(いのうず)を持って帰国しようとしたが幕府に発覚。伊能図は押収され、景保は死罪となる。シーボルトも海外追放となるが、密かに写した図を持ち出し、本図を作製した。ヨーロッパの日本認識に大きな影響を与えた。

1840年 1点