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第276回 「輸出漆器にみる異国の表象」第275回 「幕末の軍制改革と銃砲の発達」第274回 「歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-」第273回 「戦後日本社会と消費者運動」第272回 「伝単に見る日米決戦」第271回 「佐倉連隊と日清・日露戦争」第270回 「雄略と継体」第269回 「名所絵の虚と実」第268回 「近代の軽犯罪と社会管理の変化」第267回 「発掘された出雲の神々の世界」第266回 「出雲大社と厳島神社の建築の実像」第265回 「塀の向こうの神仏-近世都市社会における武家屋敷-」

第276回 「輸出漆器にみる異国の表象」

開催要項

日程 2006年12月9日
講師 日高薫(情報資料研究系)

開催趣旨

蒔絵や螺鈿の漆器は、古く平安時代から日本を代表する特産品とみなされ、中国・朝鮮に向けての朝貢品や交易商品として海を渡った歴史をもちます。さらに16世紀後半以降は、大航海時代を迎えたヨーロッパ勢力のアジア進出により、ポルトガルやオランダ人をはじめとする西洋人の注文による漆器が製作され、大量に輸出されるようになりました。ヨーロッパにもたらされた日本製漆器は、富裕階級の蒐集・愛好の対象となり、多彩な模倣品を生むことによって、ヨーロッパの室内装飾や美術工芸に少なからぬ影響を与え、また、ヨーロッパにおける日本観の形成にあたって重要な役割を演じています。本講演では、これら異文化との接触によって製作された漆器に加えられた装飾に注目し、そこに表れる日本、ヨーロッパ双方の自他認識、異国趣味について考えてみたいと思います。異国との距離が大きかった時代に、人びとがどのようにして現実の異国とのあいだに横たわるギャップを埋め、異国イメージを作り上げていったかを、工芸品の装飾から読み解こうと試みます。

第275回 「幕末の軍制改革と銃砲の発達」

開催要項

日程 2006年11月11日
講師 保谷徹(東京大学史料編纂所)

開催趣旨

19世紀後半は銃砲技術に飛躍的な展開をみた時代でした。そのキーワードは「ライフル化」であったと考えます。この急激な技術展開は戦術や軍隊のあり方にまで大きな変化を強いることになりました。 幕末の日本は、西欧の先進技術を受容するとともに、わずかな遅れでこの変化を経験することになりました。いわば第二の鉄炮伝来とも言うべきものです。講演では、開催中の企画展示第3部の展示内容をふまえ、銃砲の発達段階を史料や画像でわかりやすく紹介し、あわせて、技術進歩に適合した軍隊の仕組み、動員の方法がどのように変化していくのか、新式の武器が使用された戊辰戦争とは実際にはどのような戦争だったのか、具体的な史料を用いて整理してみたいと思います。

第274回 「歴史のなかの鉄炮伝来-種子島から戊辰戦争まで-」

開催要項

日程 2006年10月14日
講師 宇田川武久(情報資料研究系)

開催趣旨

日本における前近代の銃砲の歴史は一五四三年の鉄炮伝来にはじまり、一八六八年の戊辰戦争をもって幕を閉じますが、この約三世紀のあいだ、外来文化の銃砲は、わが国の政治・社会・軍事・技術など多方面に影響をおよぼしながら定着しました。 本企画展示では、第1部では、鉄炮伝来の真相、炮術師が諸国を遍歴しながら鉄炮を全国に流布させた事実、さらに戦いのなかで鉄炮が発達した経緯を、そして第2部では、鉄炮の名称や構造などいわば鉄炮の常識を説明し、さらに約三世紀におよぶ銃砲の流行を技術面から支えていた鉄炮鍛冶職人の社会と技術の内容を明らかにします。そして第3部では幕府が海防の必要から欧米の銃砲や戦術などの軍事技術の習得に懸命な姿を紹介します。 この講演会では、外来文化の銃砲がわが国に大きな影響をあたえながら定着する過程を具体的な資・史料をもちいて紹介します。

第273回 「戦後日本社会と消費者運動」

開催要項

日程 2006年9月9日
講師 原山浩介(歴史研究系)

開催趣旨

「消費者」という言葉は、新聞やテレビに毎日のように登場します。 言葉の意味どおりに考えれば、この社会に住むあらゆる人びとは「消費者」です。ということは、メディアで多用される「消費者の利益」「消費者の立場」という言い回しは、私たちすべてが同様の利益や立場を共有することを意味します。しかし実際には、そうした状況は、そうしばしばあるものではありません。 この現実を省みることなく、当たり前のように「消費者」という言葉が多用されるのはなぜでしょうか?この問いを解き明かすヒントは、戦後の消費者運動史にあります。 かつて、消費者運動は、民衆を「消費者」として一括りにしつつ、「消費者」の代弁者として、企業や政治に要求を突きつけてきました。一方で財界や政府も、消費者運動をうまく使いながら、戦後の産業政策をリードしてきました。「消費者」という言葉は、この過程で普及し、人びとは高度経済成長期の生活変化を経験しながら、それなりに現実感を持って受け容れました。 今日、よく意味がわからないまま使われる「消費者」という言葉は、この歴史過程の「遺産」に過ぎません。今回は、「消費者」という、耳慣れた言葉をめぐり、その歴史性を紐解きながら、私たちの「日常に潜む現代史」を垣間見ることにします。

第272回 「伝単に見る日米決戦」

開催要項

日程 2006年8月12日
講師 一ノ瀬俊也(歴史研究系)

開催趣旨

「伝単」とは、敵に降伏をうながしたり戦意を喪失させるために、空からまく宣伝ビラのことです。日中・太平洋戦争中、日米両軍とも絵や文章に工夫を凝らした伝単を大量に作り、相手の頭上にまきました。今日の講演では、その伝単を使って、「情報戦」という面から先の戦争の実際を探ります。また、その際、佐倉で編成された各連隊がどう戦ったのかについてもふれることにします。

第271回 「佐倉連隊と日清・日露戦争」

開催要項

日程 2006年7月8日
講師 宮地正人

第270回 「雄略と継体」

開催要項

日程 2006年6月10日
講師 上野祥史(考古研究系)

開催趣旨

5世紀後半から6世紀前半にかけて、古墳時代社会は大きな変化をみせます。古墳の造営では、古市・百舌鳥古墳群の衰退と今城塚古墳の出現、横穴式石室の普及と拡散、群集墳の増加等を見出せます。副葬品では、身分表象としての威信財が、帯金式甲冑などの武器武具から冠・帽・沓、そして装飾付太刀へと変遷することや、須恵器副葬の普及などが見出せます。列島の内部的な構造変革を映し出すこれらの変化は、中国大陸や朝鮮半島など東アジア情勢とも密接に関わっていました。副葬品をはじめとする変化要素の系譜がこのことを物語っています。朝鮮半島では、列島各地域と交渉をもつ主体が、時代とともに金官加耶、大加耶から百済へと変化します。渡来系遺物の授受が明らかにする倭韓の地域間交流も、5世紀から6世紀を通じて、複数地域を担い手とする形態から王権への集約化へと変化してゆきました。この時期に限って朝鮮半島に存在した前方後円墳や倭系横穴式石室も、倭韓交流の一形態の表れでもあります。また、中国の南北王朝を軸として朝鮮半島諸国と倭が複雑に結びつく5・6世紀の東アジア世界は、時代を通じて一様ではなく刻々と変化しました。その関係性を考える上で、6世紀前葉の百済王である武寧王(斯麻王)の陵墓の存在は大きな意味をもちます。こうした倭王武の時代から継体朝にかけての変化を、内外の視点で概観することにしたいと考えています。

第269回 「名所絵の虚と実」

開催要項

日程 2006年5月13日
講師 大久保純一(情報資料研究系)

開催趣旨

江戸時代後期には透視図法などの西洋の絵画技法の流入や、風景に対する関心の高まりなどによって、浮世絵版画などの名所絵の持つリアリティーが高まります。名所絵で知られる広重でも、「写生」とほぼ同じ意味を持つ「写真」を、自作の名所絵の売り物にしています。また、今日の歴史研究でもそうした名所絵が画像資料として用いられることが増えてきています。しかしながら、そうした浮世絵の名所絵は、かならずしも写生にもとづくものではなく、人々の共有するイメージにもとづきあえて事実と異なる景観が描き出されることもありました。名所図会の挿絵などを用いて仮構されるものも少なくありません。この講演では広重の作品を中心に、名所絵のリアリティーと虚構について考察してみたいと考えています。

第268回 「近代の軽犯罪と社会管理の変化」

開催要項

日程 2006年4月8日
講師 青木隆浩(民俗研究系)

開催趣旨

どのような時代や国であってもほぼ共通して犯罪とみなされる殺人や傷害罪と違って、軽犯罪の対象や範囲は同じ国家の中でも歴史的に大きく変化します。そして、軽犯罪は犯罪の総数に占める割合がたいへん高いので、犯罪件数の歴史的変化と司法・警察の管理体制に大きな影響を与えています。統計上、犯罪件数が増え、社会が凶悪化しているかのように見せているのが、実のところ取るに足らない軽犯罪の増加にすぎないということは、しばしば起こりうるのです。近代の日本は、まさにそのような状況でした。この講演では、件数の少ない殺人や傷害事件ではなく、軽犯罪を中心に歴史を見ると何がわかるのか、紹介していきたいと思っています。

第267回 「発掘された出雲の神々の世界」

開催要項

日程 2006年3月11日
講師 松本岩雄(島根県古代文化センター)

開催趣旨

「縁結びの神」「福の神」として広く崇敬されている出雲大社。その境内において2000年4月、直径1.1~1.4mのスギ材を3本一組に束ねて1本の柱とする巨大な神殿遺構が発見されました。なぜ巨大な神殿が建てられたのか、いつからこの地が聖地として意識されたのか。近年出雲では荒神谷遺跡(銅剣 358本、銅矛16本、銅鐸6個)・加茂岩倉遺跡(銅鐸39個)などで弥生時代の祭器とされる青銅器が大量に出土しました。また、出雲市青木遺跡では8世紀代の神社建築跡とも推測される遺構(出雲大社と同じ9本柱)がみつかっています。こうした発掘成果をもとに、神祭りや神社建築の源流を考えてみたいと思います。

第266回 「出雲大社と厳島神社の建築の実像」

開催要項

日程 2006年2月11日
講師 三浦正幸(広島大学大学院)

開催趣旨

出雲大社の現在の本殿は、高さ8丈(24m)もあって、8階建てのマンションより高いのですが、かつてはその倍の16丈もあったと信じられています。近年に大社の境内から発掘された鎌倉時代の本殿も16丈であったといわれていますが、実際には現在と同じ8丈と考えられます。厳島神社の本殿は海の中に立っていますが、それは、神体である島の上を避けたためと言われてきました。しかし、平安末期に平清盛が厳島神社を大改造するまでは、そこは陸地であって、人工の海を掘って社殿を造営したものと想像され、島自体は神体ではありません。神社建築に関しては、近代特に昭和以降に様々な学説が出され、それが真実と思われていますが、この講演会では、それらを厳しく批判したいと思います。

第265回 「塀の向こうの神仏-近世都市社会における武家屋敷-」

開催要項

日程 2006年1月14日
講師 岩淵令治(歴史研究系)

開催趣旨

講演要旨―近世の城下町において、その面積の多くを占めたのは武家地でした。武家地については、発掘調査の進展も背景としながら、屋敷利用の実態や、武家奉公人の供給などの研究がすすみましたが、近世都市社会への位置づけは十分になされていません。そこで、今回は、19世紀の江戸で武家が屋敷の邸内社を公開し(丸亀藩金毘羅社・久留米藩水天宮ほか)、多くの参詣客を集めていたことを紹介します。とくにこの「塀の向こうの神仏」の公開の実態、公開の過程や基盤となった信仰者、公開の終焉などを明らかできればと考えています。