年度別研究調査報告

2012年11月21日~12月7日

ボン大学・ボーフム大学・バンベルク市立博物館所蔵資料調査

国立歴史民俗博物館・宮坂「アレクサンダー・ハインリッヒチーム」

[調査地]ボン大学人文社会系アジア研究科、ボーフム大学東洋学部日本学科、バンベルク市立博物館(ドイツ)

[参加者]宮崎克則(西南学院大学教授)・稲益あゆみ(西南学院大学大学院修士課程)

ボン大学
ボン大学アジア研究科(日本・韓国研究)所蔵のトラクツ資料群(仮)を閲覧。シーボルト関連の軸物は出島などにある記念碑の拓本で、恐らくシーボルト『NIPPON』復刻時事業に関して作成・使用された研究用資料だと思われる。拓本はトラウツ自身による作成ではないかと思われる(プロの仕事ではない)。さらに1930年のシーボルト『NIPPON』復刻後も再版を出すために収集した資料群や呉秀三『シーボルト伝』翻訳原稿など、長崎周辺で集めた古写真などがある。帰り際にトラウツ収集の和本400点が残っていることを知らされる。調査はできなかったが、このなかにシーボルト収集の和本が含まれている可能性があり、再調査の予定。


ボン大学人文社会系アジア研究科

トラウツアーカイブ
看板

トラウツ写真


ボーフム大学
ボーフム大学が所蔵するシーボルトコレクションの未撮影分はほぼ撮影完了。特に572・573はアレクサンダーの辞令(大蔵省通訳としての任命)の原本である。ただし不明史料もあった。請求しても出てこなかった番号は164、105、115、145、324、573、589、605。どこかに紛れ込んでいる可能性もあるし、紛失した可能性もある。かつてボーフム大で撮影して作成したコピー本があるので、それらの中に含まれている可能性があるから、次回の訴査でコピー本を調査し、それらに含まれている場合は、コピー本を撮影する予定。すでにマティアス教授の承諾済みで、今回撮影分のデータはDVDにして教授に渡す。


アレクサンダー辞令

ボーフム大学図書館


バンベルク市立博物館
トラウツ資料がボンとバンベルクに分散した経緯:1942年にトラウツ蒐集資料の一部がバンベルク市立博物館に永久貸与。1951年トラウツ博士死去。翌年来すべての資料が寄贈。1953年1月、夫人より日本関係図書の目録を作成のため、資料の一時返却を求められる(この時は返却されず)。60年5月に写真、ネガ、ポジ、ケンペル著書を写真複写したもの(大英博物館所蔵)などをボンへ移したい旨、夫人より再度依頼。61年7月末にボンに到着。バンべルク市立博物館にもさまざまな器物を含めた日本コレクションがあり、トラウツ以外の人物からの寄贈も含まれる。今回の調査において、記念碑の拓本を軸裳したものを見せてもらう。さらに長崎の風景を措いた絵があるというので見せてもらう。それは、レザノフとともに長崎へ来たラングスドルフが措いた風景画の原本であった。どのように経緯で同博物館へ入ってきたのか詳しくは分からなかったが、購入によるとのこと。さらにトラウツの手紙や収集した和本が図書館にあるとの情報を得る。訴査はできなかったが、リストのコピーをもらってきた。ここも再調査の予定。

(文責:宮崎)


バンベルク博物館

ラングスドルフの絵画

ラングスドルフの署名

 

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