連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

『諸国縁起由来記』 -略縁起に見る寺社めぐり-

近年、寺社参拝の証しとして、朱印を受け集める人が増えている。朱印帳には「奉拝 ○○寺(神社) 年月日」と書かれ朱印が押され、その右上に、「弘法大師御開山」とか「親鸞聖人御旧跡」というように、寺社のいわれを肩書きとして書く場合がある。寺社のいわれが縁起であり、寺社には、巻物に長文で書いて宝物としている本縁起がある。江戸時代にそれを短くして絵入りで読みやすくして大量に刷ったのが略縁起である。形は一枚ものと薄い小冊子とがあった。現在の寺社パンフレットに相当する。寺社は簡潔な物語を説いて信仰を広め、人びとはそれを買い求めて霊験や利益を知った。

『諸国縁起由来記』(H-779)には、109点の略縁起(名所絵図を含む)が収められている。この略縁起をもとに寺社めぐりをしてみよう。

図1 高砂社相生松略記

図2 高砂社相生霊松之図

「高砂社相生松略記(たかさごしゃあいおいのまつりゃっき)」(図1)と「高砂社相生霊松之図(たかさごしゃあいおいれいしょうのず)」(図2)は、謡曲「高砂」で知られる名所「相生の松」の略縁起と絵図である。相生とは一つの根元から二本の幹が寄りそって生えることだ。この霊松には夫婦和合・長寿・縁結びの利益があると高砂社(現在、兵庫県高砂市高砂神社)が説いて刷り出した。左下の書き込みから、これらは慶応二年(1866)9月3日に重国という人が寺社めぐりをしたときに求めたものだとわかる。この図は江戸時代初期に植えられた後継三代目の松で、大正13年(1924)に国の天然記念物に指定されたが、昭和12年(1937)に枯死し、現在の松は後継五代目である。略縁起は失われた江戸時代の霊木の姿を私たちに伝えている。

高砂社とは加古川をはさんで対岸に尾上社(現在、兵庫県加古川市尾上神社)があり、「尾上(おのえ)の鐘」がある。その略縁起である「尾上のかね由来」(図3)によると、神功皇后の時代に竜宮から進上された鐘だと伝えられ、この鐘を撫でると病苦災難をのがれるという。左端に「名産鐘摺(かねすり)」とあり、鐘の模様の拓本が参詣みやげとされていた。現存する「尾上の鐘」は、11世紀に高麗で鋳造された朝鮮鐘として国の重要文化財に指定されているが、江戸時代の「尾上の鐘」は伝説と俗信につつまれていた。

図3 尾上のかね由来

図4 略縁起 祖師聖人配所草庵御影 御自筆

図5 越後配所親鸞聖人草庵御影

図6 御嶽神社縁起略記

『諸国縁起由来記』には親鸞の旧跡巡拝の略縁起が29点収められている。越後高田御房性宗寺(現在、新潟県上越市性宗寺)の「略縁起 祖師聖人配所草庵御影(みえい) 御自筆」(図4)は、越後に配流された三五歳の親鸞が弟子に残した自画像の由来を説く。「越後配所親鸞聖人草庵御影」(図5)はその模写の刷り物であり、承元元年(1207)5月6日に越後の配所である笠島国府において親鸞(善信)が描いたという自署も写されている。

 江戸時代の人びとは、寺社や名所旧跡に出かけて、略縁起が語る物語を通して過去(歴史)を知り、そこで目にする実物で物語を実感して寺社めぐりを楽しんだ。略縁起は明治時代まで続いた(図6)。現在の寺社めぐりでも、朱印受付のそばに置いてある寺社パンフ(略縁起)を手に取って、物語からも寺社めぐりを楽しんでみよう。

久野 俊彦(東洋大学文学部講師/日本民俗学)