連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」

女だけをあらわしたか-上黒岩の石偶-

上黒岩遺跡から出土した石偶(線刻礫(せんこくれき))は一三点ある。この時期の遺跡はたくさん知られているけれども、同じような石偶は他にはどこからも見つかっていない。

その特徴は、楕円形の小さな自然礫を人の形に見立てて、表面に髪、乳房、腰蓑(こしみの)、裏面に肛門を線刻して人を表現しているところにある。しかし、そのうち乳房の表現があり、はっきり女とわかるのは二点であって、乳房を線刻していないものについては、性を判定することは容易でない。乳房のない石偶は、上半部が大きい例や細長い例があって、輪郭が女的であるとは必ずしもいえない。そこで、少女や男だとする説が生まれた。しかし、これは上黒岩の石偶をいくら眺めていても解決できない問題である。

上黒岩の石偶の年代は約一万五千年前、ヨーロッパ旧石器時代のマドレーヌ期と併行する。つまり、上黒岩の石偶は土器をもつ旧石器時代の石偶であるといってよい。上黒岩の石偶と比較すべきは、旧石器時代の象牙などを材料にして作ったヴィーナスである。スペインからロシアまでの範囲に分布しているヴィーナスのほとんどのものが女性器をはっきりあらわしており、女とみてさしつかえない。だからこそ、それらはヴィーナスと総称されているのである。

ここでドイツのゲナスドルフとロシアのマリタで見つかったヴィーナスをみよう。ゲナスドルフのヴィーナスは相当に簡略化した型式で、そのなかには小さく乳房をあらわしたものもあるけれども、あらわしていないものも多い。しかし、尻の三角形表現は共通しているので、一連の変化とみなすことができる。同じことはマリタのヴィーナスについてもいえる。乳房をあらわしているものから、あらわしていないものへの変化を十分にたどることができるのである。

このように、旧石器時代のヴィーナスでは、乳房の有無は男女を区別する要素になっていない。したがって、上黒岩の石偶も、礫の形、乳房の表現の有無とかかわりなく、女をあらわした可能性があるということになる。

写真に示した二点はどちらもD区第9層からの出土であるから、乳房を描いている石偶は、それを描いていない石偶と同じ時期に共存した可能性がある。しかし、後者は前者の退化型式ではないかと私は思っている。

日本列島では、このあと土偶が現れる。頭、上半身、下半身を別々に作り、細い棒でつないで一つにして完成する最初のころの土偶にはやはり乳房のあるものと、ないものがある。

旧石器時代のヴィーナスの用途については、人間の繁殖に関係のある偶像または護符の類、家あるいは家族の守護神、種族・血族の祖母神、などの説がある。

手のひらに小さくおさまる長さ四cm余りのヴィーナスを上黒岩人はどのようにして使ったのだろうか。

図1 髪・乳房・腰蓑を線刻した石偶 D区第9層出土 長さ4.5cm・幅2.3cm・厚さ0.5cm

図2 長い髪だけを線刻した石偶 長さ4.4cm・厚さ0.5cm

図3 乳房をあらわしたヴィーナス、あらわさないヴィーナス 1・2 ドイツ・ゲナスドルフ 3・4 シベリア・マリタ

春成秀爾(本館研究部・日本考古学)

上黒岩の土器と石器-共同研究の成果から-

上黒岩遺跡出土資料の多くは地元の久万高原町上黒岩考古館、慶応義塾大学文学部民族学考古学研究室に所蔵されているほか、一部の資料が本館に所蔵されております。本館では、館蔵されていた資料に対する調査を契機として、上黒岩遺跡のすべての資料を再整理する共同研究を行い、成果をあげつつあります。

上黒岩遺跡からは、数個体以上のまとまった隆線文土器が出土しており、その文様、製作技法はおおよそ共通していることから、ほぼ同一の時期に当たるものと考えられます(図5)。上黒岩遺跡発見当初は、隆線文土器が列島最古の土器と考えられていましたが、近年、さらに古い石器群に伴う無文土器が検出され、晩期旧石器時代にまで土器が遡ることが確実となりました。隆線文土器としても、隆線が太く一ないし二条がめぐるような、古いタイプの土器が検出されるようになり、日本における土器の始まりのころのあり方が、次第に明らかになってきました。改めて上黒岩遺跡の土器をみると、豆粒状とされた貼り付け(図4左)も、短隆線の一部であることがわかり、神奈川県花見山遺跡の隆線文土器等にも類例が求められ、隆線文の古段階の新しい時期から中段階頃と理解できるようになりました。その中でも、縦位方向の隆線の多用や、口縁内側の突線など、地域的な特徴を持った土器群であり、まさに上黒岩式としてまとめ得る(学史的には上黒岩1式と称されています)土器群であることが指摘できます。

上黒岩遺跡では、豊富な石器群も出土しています。

過去に上黒岩の石器を整理した鈴木道之助氏により、9層において隆線文土器と共伴して尖頭器(せんとうき)・有茎(ゆうけい)尖頭器(有舌とも呼ぶ)(図5・6)、4層において押型文土器と共伴して石鏃が出土と整理され、突槍→投槍→弓矢という変遷が、旧石器から縄文への変化と理解されてきました。今回の共同研究(本誌綿貫論文参照)では、9層からも石鏃が検出されており、弓矢の使用が隆線文段階に遡ることも考えられるに至りました。

上黒岩の尖頭器は、これまでの研究で長さ五cmまでの大きさに対応することがわかっており、これに対応するとみられる未成品もほぼ同様の長さ(六cm~四cm)と厚さをもっています。図6に示す尖頭器は、中位から先端を最初に押圧剥離(おうあつはくり)などで尖らせて頭部とし、基部は半円形のまま残した水滴形のものがあります。今回の共同研究において二次加工が粗雑で完成度が低いことから未成品と判断しました。

水滴形の未成品は従来の研究で「杏仁形(あんにんけい)尖頭器」、または「木葉形(もくようけい)尖頭器」とされた一部に相当しますが、未成品と考えると、これまで詳らかでなかった有茎尖頭器の製作工程を窺い知ることが可能と共同研究成果に期待できます。

図4 隆線文土器 9層出土

図5 有茎尖頭器 9層出土

図6 有茎尖頭器 B・C区第9層出土

小林謙一(本館研究部・日本先史考古学)

上黒岩の砥石

上黒岩から出土した石器のなかに、目の粗い砂岩の長方形の小さな塊に溝を入れた砥石がある。溝はもとは二本あったらしいが、今は一本の溝にそって割れており、完全な溝は一本のこっているだけである。

縄文時代草創期にかぎって存在する石器に「矢柄研磨器(やがらけんまき)」がある。「かまぼこ」形の石の平坦な面に溝を一本いれたものを二個用意し、木の枝で矢を作るときに曲がった枝をこれではさんでしごき真っ直ぐにする器具のことである。上黒岩の砥石は、これとは趣を異にするけれども、9層から有茎尖頭器つまり茎をもつ石鏃といっしょに見つかっており、弓矢が存在する時期のものである。しかし、「矢柄研磨器」がその名称のように使ったという保証はないので、骨角器を研ぐのに使った可能性も考えておきたい。

図7 研磨石器 D区第9層出土 長さ7.6cm・幅3.5cm・厚さ2.1cm

春成秀爾