国立歴史民俗博物館企画展示「日本建築は特異なのか 東アジアの宮殿・寺院・住宅」
2009年6月30日から8月30日に予定


2008年10月16日

第6回 韓国の石造仏塔 忠清南道扶余/定林寺址五層石塔 全羅北道益山/弥勒寺址石塔
No. 6: Korean Temple Jeongnimsa(Temple Site) in Chuseinan-do Buyeogun and Mireuksa Temple Site in North Jeolla Province Iksan-si

 韓国の仏教寺院の伽藍中心部には、木造だけではなく石造の仏塔が建てられていたことが日本との大きな違いです。周囲の木造建物が滅びても、石造仏塔のみが残されている景観がよく見られます。 
 百済の古都扶余にある定林寺の五層石塔は、木造建築の形態を模した石塔建築の初期的手法が見られる貴重な遺構です。
 弥勒寺は、慶州(新羅の都)の皇龍寺と並ぶ大寺院で、百済の武王(600〜641)によって創建されました。大規模な三院構成伽藍でしたが、西院のこの石塔のみが残されています。やはり木造を模した構造で六層の一部までしか残されていませんが、本来は七層ないし九層であったと考えられます。
 これらは百済の石塔は、三国時代の貴重な仏教建築遺構であり、同時期に併存していた木造建築の形態を知るための手がかりとしても重要です。

国立歴史民俗博物館教授 玉井哲雄
(展示プロジェクト代表者)


忠清南道扶余/定林寺址五層石塔


全羅北道益山/弥勒寺址石


2008年11月10日

第7回 中国の住宅建築その1 山西省渠家大院(四合院)と西省石圍(圍屋・客家民居)
No. 7: Chinese Dwellings No.1 Quijia Dayuan in Qixian, Shinzhoung-shi, Shanxi Province and Hakka Dwelling "Wei-wo" in Ganzhou-shi Jianxi Province

 中庭(院子という)を四方の建物が取り囲む閉鎖的な「四合院」は、北京をはじめとして中国では最も一般的な住宅形式です。その都市や時代によってバリエーションがありますが、閉鎖的な中庭型住居という本質は共通しています。ここで取り上げたのは山西省の富裕商人の邸宅である渠家大院です。このような四合院が縦横に連なって巨大な四合院群住宅を構成しています。
 中国南部の広東省、福建省、江西省の省境一帯に、客家と呼ばれる人々の特徴ある大規模住宅が分布しています。福建省の円形土楼がよく知られていますが、ここで取り上げるのは江西省の圍屋です。外観は石造で固めた防御的な構成ですが、内部は中庭を囲んだ二層ないし三層の長屋住宅で、走馬楼という最上層が銃眼のある戦闘的な施設になっています。


山西省/渠家大院(四合院)


江西省/石圍(圍屋・客家民居)

2008年11月27日

第8回 中国の住宅建築その2 内モンゴル格根塔拉草原のテント式住居 と陝西省梁家庄村のヤオトン(窰洞) 
No.8: Chinese Dwellings No.2 Collapsible felt-tent in northern slopes of the Tianshan Mountains and Sunken couryard dwelling(Yao-dong) in Shaanxi Province


 中国大陸には民族や地理的環境による多彩な住居形式があります。その中で2例だけですが、取り上げて紹介します。
 遊牧の民、モンゴル(蒙古)族の移動可能で、設営が簡単にできる円形のテント式住居をモンゴル語で「ゲル」、中国語で「包(パオ)」といいます。構造材は折り畳み式の壁木舞、垂木、天窓用の丸枠、出入り口の枠、これに羊毛製フェルトが加わります。30分ほどで中央に炉を据え、家族に応じた座を配した住居が設営できるといいます。
 河南、陝西、山西、甘粛の乾燥した黄土地帯の崖、または地下に設けた横穴を用いた住居をヤオトン(窰洞)といいます。ここに示したのは地面を垂直に掘り下げて設けた方形中庭の周囲に横穴を掘った形式で、天井(てんせい)式と呼ばれています。居住環境としては決して悪くないということですが、急速に地上住居に取って代わられつつあります。
 遊牧の民、モンゴル(蒙古)族の移動可能で、設営が簡単にできる円形のテント式住居をモンゴル語で「ゲル」、中国語で「包(パオ)」といいます。構造材は折り畳み式の壁木舞、垂木、天窓用の丸枠、出入り口の枠、これに羊毛製フェルトが加わります。30分ほどで中央に炉を据え、家族に応じた座を配した住居が設営できるといいます。
 河南、陝西、山西、甘粛の乾燥した黄土地帯の崖、または地下に設けた横穴を用いた住居をヤオトン(窰洞)といいます。ここに示したのは地面を垂直に掘り下げて設けた方形中庭の周囲に横穴を掘った形式で、天井(てんせい)式と呼ばれています。居住環境としては決して悪くないということですが、急速に地上住居に取って代わられつつあります。


内モンゴル格根塔拉草原のパオ(包)          陝西省梁家庄村 ヤオトン(窰洞) 


2008年12月8日

第9回:韓国の住宅建築
No.9: Korean Dwellings

 朝鮮半島にも多彩な住居形式があります。その中の2例だけですが紹介します。
 ソウルから韓半島を東に横切った東海岸江原道江陵市の鏡浦湖近くに、朝鮮王朝時代両班住宅の代表といっていい船橋荘があります。両班制度についての展示も行われている内棟、舎廊棟、東別堂など中心建物は長い行廊で囲まれ、門の外に広がる庭園の池に面して活楽亭という亭が建てられています。
 同じく江原道三陟の山間には韓国でノワヂプ(板瓦民家)として知られている石置板葺屋根の民家が数棟残っています。実年代はわかりませんが、平面形式は日本の古い妻入民家によく似ており、古い形式を伝えている可能性があります。写真のお宅は住宅としてまだ使われています。

写真1 韓国江原江陵船橋荘
写真2 韓国江原江陵船橋荘活来亭
写真3 江原道の民家ノワヂプ外観


2008年12月22日

■第10回:ベトナムの建築
No.10: Vietnum Dwellings

 ベトナムは日本・韓国同様に東アジアに属する漢字文化圏の国であり、中国文明を基礎としつつも独自の建築文化を形成してきました。
 中部の都市フエにはベトナム最後の阮(グエン)朝(1802-1945)の宮殿がありました。北京の都城を模したものですが、正殿である太和殿を初めとして木彫やモザイク・漆喰細工などを特徴とするベトナム中部独特の建築様式で作られています。
 古い港町ホイアンは、16世紀にフエにあった南阮政権の外港となり、ポルトガル、オランダ、中国、日本人が来港する国際貿易港として繁栄しました。17世紀初めには江戸幕府との間で朱印船貿易が行われ、大規模な日本人街も形成されました。鎖国によって日本人の往来も絶え、町としても寂れましたが、18世紀に再建され繁栄した町並が今でもよく残されています。

写真1 フエの宮殿 牛門より太和殿をのぞむ
写真2 ホイアン町並を構成する町家2棟

■バックナンバー■
2008年8月4日 第1回:中国の宮殿建築 北京/天壇祈年殿と北京/紫禁城(故宮)太和殿
2008年8月19日 第2回:韓国の宮殿建築  ソウル/崇礼門(南大門)とソウル/景福宮勤政殿
2008年9月1日 第3回:チベットの宮殿建築  ラサ/ポタラ宮 
2008年9月18日 第4回:中国の寺院建築  山西省/仏宮寺釈迦塔(応県木塔)と天津市/独楽寺観音閣
2008年9月29日 第5回:韓国の寺院建築  慶尚北道安東/鳳停寺極楽殿  慶尚北道栄州/浮石寺無量寿殿 
2008年10月16日 第6回:韓国の石造建築  扶余定林寺址五層石塔と益山弥勒寺址石塔
2008年11月10日 第7回:中国の住宅建築その1  山西省四合院と江西省客家民居 
2008年11月27日 第8回:中国の住宅建築その2  内モンゴルのパオと山西省のヤオトン 
2008年12月8日 第9回:韓国の住宅建築  全羅南道の両班住宅と江原道の民家ノワヂプ 
2008年12月22日 第10回:ベトナムの建築  フエの宮殿と町家 ■最新記事■

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