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倫敦(ロンドン)だより−イギリスのくらし <2>1998.11.2〜1999.1.11


夏時間
 10月25日の午前2時をもって夏時間が終わった(2時を1時にする)。いつから切り替わるのかと思っていたら、10月31日でも午前0時でもなく、要するに日曜日未明の、電車などが一番動いていない、影響の少ない時間に切り替える、ということらしい。考えてみれば、これが合理的。しかし、気がついた限りでは、ニュースなどでは全く取り上げられていなかった。この日であることを知ったのは日本語週間新聞によるし、この時間であることを知ったのも、別の日本語週間新聞のテレビ欄の注意書きによる。いったいその瞬間はどんなものかと思って、眠い目をこすりながら2時(=1時)まで起きてBBCの深夜ニュースを見ていたが、……あれ、何も起こらない。「ただ今夏時間が終わりました、皆さん時計の針を戻すのをお忘れなく」といったせりふを期待していたのだが、そんなのは一切ない。それまで画面の隅に出ていた「1:59」という時刻表示が、なくなってしまったのが唯一気がついた事柄。半信半疑で時計の針を戻しておいたら、次の日はちゃんとその通りの時間で世の中が動いている。子供向け番組の中で何かちょっと時計の話をしていたのが多分その話題で、これが気がついた唯一の「報道」。日本なら「今日から冬時間」なんていうのがトップニュースになるに違いないと思うが。もっとも、時計が1時間戻るわけだから、もし間違えて行動しても1時間早く着くだけなので、実害はないとも言える。間違えると1時間遅刻してしまう夏時間への切り替えの時は、もうちょっと話題になるのではないだろうか。それに、夏から冬に切り替わるのは、全然めでたいことではないから、騒ぎ立てる気にもならないのかもしれない。かくして夏はいつの間にか終わり、冬は音もなく始まる。夏(時間)になるのは(3月末らしい)、それはうれしいことだろう。

冬の花火
 10月31日はハロウィーンで、11月1日の日曜日はオール・セインツ・デイ(万聖節 All Saints' Day)だった。両日とも、夜ドンドン音がするので、1日の夜7時頃外に出てみると、近くの民家の庭とおぼしきところから花火があがった。きれいなのもあったが、音だけ炸裂するものはうるさいだけでちょっと迷惑。あちこちでこれをやっていたらしい。夏から冬に切り替わるとき、ということか、ともあれ特別な、「お化け」の出るような時なので音を出して悪霊を払う、という意味なのだろうか。あるいはただの景気づけか、いずれにしても、考えてみれば夏の間はよほど遅くならないと暗くならないから、こんな時間では花火を打ち上げても見えるはずがない。「花火大会:夜11時開演」なんてわけにもいかないから、花火を夏ではなくて冬(の到来の季節)にするのは、当然と言えば当然かもしれない。所変われば品変わる、花火は冬の風物詩。
 2〜3日後、これは「ガイ・フォークス・デー」(11月5日)の花火の「練習」だったのではないか、という話を聞いた。当日は、なるほどかなり賑やかに花火をしていた。隣の老人ホームでも焚き火や花火をしていたし、やはりずいぶん色々なところでやっていた模様。これは、17世紀はじめにジェームズ一世(スコットランド王でイングランド王も継承したスチュアート朝の初代)を国会議事堂ごと爆破しようとした陰謀が未然に防がれたことを記念するお祭り、と説明されているが、そんなことのために民衆が焚き火や花火をするのもちょっと変で、やはり本質はこの季節に固有の民間習俗なのではないかと思う。
 なお、「花火大会」は、週末の7日(土)にやっていた。いい加減寒いし、音の割にあまりきれいでないらしいことも分かったので、もう現場までは見に行かなかったが、これもあちこちでやっていた様子。次の日も、なにを考えているのか、昼間からまた花火の音がしていた。

ポピー
 10月末頃から、胸にポピーの造花を付けた人が目立つようになった。テレビのニュースなんかに出演する人も、まるで義務みたいに付けている。「ポピー・アピール」というポスターも出ていて、要するに募金らしいので、赤い羽根のようなものだろうと思っていたら、さにあらず。実は11月11日が第一次大戦の終戦記念日で、第二次大戦後も共通の戦争記念日(Remenbrance Day)となっており、特に今年は第一次大戦(1914〜18)の終結80周年なのだった。そういえばこのところなぜか第一次大戦関係の番組が目についたし、戦争博物館でも第一次大戦の特別展をやっている。当日は、女王さんはパリへ行ってチャーチル像の序幕をしてきたらしいし、チャールズ皇太子は開戦地に近いマケドニアへ行っているし、11日の午前11時には、ウエストミンスター(国会や官庁がある地区)はラッパと黙祷で2分間静止した、と新聞には出ていた。その前の8日の日曜は、教会学校でもポピーの造花を作って祭壇に献花したし、礼拝の最後は戦没者(と思う)の名前を読み上げ、オルガンではなくラッパで締めくくり、というものだった。
 日本ではほとんど世界史上の出来事でしかない第一次大戦だが、ヨーロッパでは、参戦した関係者などもかなり生存しているし、未だ非常に生々しい事件らしい。少なくとも、英・仏は相当盛り上がっていた。ポピーというのは、「戦場にポピーの花が咲く……」という有名な詩にちなむものらしく、第一次大戦、ないし戦争記念のシンボルとなっているらしい。ただ、これが戦争反対、という意味かというと、ちょっとニュアンスが違うように思える。日本なら戦争はすなわち悪で、軍隊は否定さるべき存在、という前提があるが、イギリスという国は軍隊は厳存しているし、大きな戦争には一度も負けてないこともあって、戦争はむしろ正義としてとらえられている節がある。退役兵士(veterans)は、尊敬の対象、少なくともすごく気を使うべき存在となっているらしい。国のために命を懸けた、というのはその通りだろうが、5月の天皇訪英では退役兵士たちがさんざん抗議活動をして、報道もそれに歩調を合わせた異常としか思えないものばかりだったので、今回も退役兵士にスポットライトが当てられるのは、正直言ってちょっといやな感じだった。イギリス人は右へならえはしない国民だと思っていたが、こういうところはそうでもないらしい。あるいは、すすんでそうする個人が多い、というべきだろうか。

アジア
 テレビを見ていて気がついた番組の一つに「Qアジア」というのがある。土曜日の朝10時まで、BBC2でやっているクイズ番組なのだが、回答者も司会者も、全部インド人(ないし、インド・パキスタン・スリランカ系、などというべきか)。クイズの内容も、インド(とその周辺地域?以下、インドと略)に関するものばかり、というもので、なんだかインドにいるような気分になるが、もちろんみんな英語でしゃべっている。明らかに、イギリスに居住するインド系住民のアイデンティティー確保のため、そして、もしインド系以外のイギリス人が見ていれば、インドについての理解を図るために流されている番組である。イギリスにおけるインド系住民の多さ、そしてそれに配慮するイギリスという国のスタンスが感じられて興味深い。日本なら、「Qコリア」などという番組があると思えばいいだろうが、それは可能だろうか。(なお、テレビ番組欄を見ると、前後も「アジア」関係番組らしい。)
 日本人は「アジア」と言えばまず日本・中国・韓国、あるいは東南アジアなどをイメージするだろうが、イギリスで「アジア」と言えば、まずインド周辺の、西南アジアであることもわかる。日本・中国などは、博物館の分類でも「ファー・イースタン」で、敢えてアジアとはあまり言わないと思う。
 日本や中国などに対する関心は歴史的に見ても決して低くない。といっても、日本なら、陶磁器、漆器(家具)、印籠・根付け、などで、王宮などを見に行くと、特に18世紀ころのインテリアには中国・日本製、あるいはそれを模したフランスやイギリス製の「東洋趣味」ものがかなり目につく。こうしたものは現在もアンティークとしてそれなりの人気があり、テレビのお宝鑑定番組でもよく登場する。ある時、伊万里焼きの壺が出てきたので見ていると、日本の、いつ頃の、どこで作られたもので……とすらすら解説するので感心して見ていたら、「あ、ここにサインがありますね」と言って「康煕年製」という字を指して見せたのでびっくり。この鑑定人は漢字なんか全然読めないことが暴露されてしまったわけだが、美術商(?)としてはそれで通用するのかもしれない。(例外かもしれないが。)異文化についての関心というのはこんなもので、特定の物や事項については興味があるが、その背景も含めたトータルな文化についてまでは全然知らない、というのはむしろ当たり前かもしれないが、それにしても、ちょっと偏りすぎではないかとも思う。博物館の世界にいるせいもあるが、日本の美術工芸に関心のある人はかなりいるし水準も高いけれど、それ以外の文化、特に日本の歴史、となると興味のある人はほとんどいないのではないかと思う。
 なお日本の現代文化では、私の遭遇した範囲で言うと、関心の高い、ないし熱心なファンがいるのは、漫画。高橋留美子のファンで、漫画を読むために日本語を勉強している、というお兄さんにも出会った(漢字カードを作っていて、「羨ましい」なんて字まで練習していた)。高橋留美子の全集をもっている、という台湾人の若者にも会ったので、私が直接知る限りでは、最も国際的な日本人作家は彼女である。

面会
 イギリスで人と会う約束を取り付けるのは、少なくとも二週間以上前、というのが常識らしい。何人かに問い合わせてみた経験、および他の在英日本人の話によると、「いつがいいですか?」と問い合わせた場合、たいてい、早くて「再来週の……」、あるいは「来月の……」、ないしは「再来月の……」という返事が来る。一ヶ月以上先の日を指定されることは全く珍しくない。日本的感覚で「来週はどうですか」などと聞くと、まず例外なく「いや来週は予定が詰まっていて……」、という返事が来る。たぶん全く身体を拘束されているほど忙しい、ということではないのだろうと思うが、何にせよ、なにかをするつもりが既に決まっていれば、そこにはもう予定は入れないのだろう。そもそも、「待つ」ということ自体を全く苦にしない国民性らしい。だんだんこういう感覚になれてきて、このごろは、最初から「来月のご予定はいかがですか」という調子で申し入れるようになった。「たったの十日前に会いたいと言ってきた人がいて……」などという話を聞くと、以前なら変に思っただろうが、最近は、「なんてせっかちな人なんだろう」と思うようになってしまった。ただ、企業なんかでは、「物事がなかなか進まない……」とぼやいている人もいるらしい。

サンタの洞くつ
 それで思い出したのは、11月に某ショッピングセンターで見た「サンタのおうち(Santa's Grotto=洞穴)」という企画。雪だるまの人形に囲まれた白いお城が屋内広場にあるので、入ってみたいという子供にせがまれて並んでみたが、行列が全然前へ進まない。待つこと一時間、受付(有料)まで来てようやく中の様子が分かったが、これはサンタさんがいる部屋へ一人一人入って、お話をして、プレゼントをもらう。希望者には有料で写真を撮ってカードに入れて渡す。というものだった。妖精風の衣装の女性がカーテンを開けて「さあどうぞ」と入れてくれると、恰幅のいい白いひげのサンタのおじいさんが、子供を横に座らせてくれ、低い声でゆっくりと「お名前は? いくつ? プレゼントは何が欲しいの?(そんなこと聞いて大丈夫か?!)……そう!じゃお手紙に書くといいね。(あんた、サンタじゃないの?) これをあげよう。 ハッピークリスマス! バイバイ。」というもの。「プレゼント」は、開けてみたらクリスマスの飾りの作り方、という本で悪くはなかったが、それにしても、こういうことのためにこれだけ行列を作る、作らせるというのは、たぶん日本では考えにくい。類似の企画をするにしても、もっと効率よく大勢をさばいてしまう方法を考えるのではないだろうか。行列ができようが何時間待たせようが、とにかく一人一人、「サンタと二人きりの世界」を演出しようという発想、これがイギリスではないかと思った。「個」を大事にする、といえばそうだし、効率が悪いと言えばそうだし、……いずれにしても、待つことが悪いとは、誰も思っていない。
 (その後、この「サンタのおうち」は、複数のショッピングセンターで見かけたし、ノッティンガムの「ロビンフッド物語」という施設では、「中世のサンタズ・グロット」というのもあった。形は山小屋風のとか色々だが、サンタがいるところは決まって「洞くつ」らしい。どこも行列ができるほど流行っているとは限らず、雪だるまが客引きをしているところもあった。)

名前
 イギリスでは、正式には姓のことをsurname, 名のことをforenameと言う。どっちも同じ様な意味に見えるので、何だか紛らわしい。後者は、ファーストネームという言い方も使う。一般的に「名前」と言えば、普通は後者のこと。つまり、名字、家族名ではなく、自分の名前、ファーストネームのことで、「お名前は?」と聞けば、間違いなくこちらを教えてくれる。日本人としてはこれに慣れていないので、つい「コジマです」などと言ってしまうが、「ミチヒロです」と言わないと、それが名(ファーストネーム)だと誤解されてしまう。(なお、コジマというのは、ドイツの女性名にあるらしい。それで勘違いしたのか、手紙に「Ms」と書かれたことがある。)あるパーティーの席上で、名札を書いて胸に付けるように言われたが、姓名共に書いたのは私一人で、後の人は全員「名」だけだった。
 ところで、この名前の書き方をどうすべきかが大問題。なにしろ日本人は、言うまでもなく姓を先に、名を後に書く。名前まで自分の文化を抹殺してイギリス式にするのは抵抗があるから、できればその順で書きたいし、中国人などはそれで通しているとも聞く。会話の時は、説明している時間や立場がなければイギリス式で言わないと誤解されるだけなので仕方ないが、書くときは、できれば日本式の順序に理解を求めたい。それにサインをするとき、私は漢字でサインすることにしているので、サインの下の活字体のローマ字が姓名逆、というのはなんだか感じが悪い。日本の学会誌などでは、KOJIMA Michihiroという、姓を大文字にする書き方がよく使われていて、これで分かる人は分かるが、大文字は必ずしも姓を意味しないし(名前に限らず、一般的に小文字は意外に使わず、大文字の方がよく使われる)、まだ誤解を招きがちなので、このごろは、姓を先に使う図書館式を採用して、KOJIMA, Michihiro と間にコロンを入れたりしている。名前の書き方としてはちょっと変だが、誤解を招かず、しかも姓名順を曲がりなりにも守ることができるので、この辺が落とし所かと思うが、どうだろうか。
 最初から何も抵抗しなければそれで済むのだが、それでは文化的なアイデンティティーを失いかねない。これが言うところの文化摩擦で、どこをどこまで譲るかが問題。流れに棹させば……という漱石の名言は、こんなイギリス体験から生まれたのではないかと思う。

スリッパ
 日系新聞にマナーについて連載している女性が「日本人が自宅でお客にスリッパを勧めるのはエゴ」と書いたのがきっかけで、紙上でスリッパの是非を巡って論戦があった。どうやら、イギリス人の中には、誰が履いたか分からないスリッパを履かされるのは気持ち悪いと思う人もいるらしい、ということは理解できたが、やっぱり部屋の中で靴を履くのは気持ち悪いし、人に履かせたくもない。これは、部屋が汚れるということもさることながら、「土足で上がる」ということに対しての文化的なタブー感によるものではないかと思う。土足で座敷に上がってくるのは泥棒かヤクザくらいなものだし、靴を履いて外に出るのはお葬式の時だけだから。自宅に来るイギリス人にも(めったに来ることはないが)この点はちょっと譲れない。また、おなじマンションに住んでいる中東出身の方かと思われる人も、ドアに「靴を脱いで入ってください」と貼り紙しているので、これは日本だけの習慣でもない。
 あるイギリス人の方にこの点を聞いてみたところ(この人は日本通だが)、イギリスでもここ数年室内で靴を脱ぐ習慣が評価されて、靴を脱いで暮らしたり、丈の低い家具を使ったりすることが増えてきているそうで、やはり日本やモロッコ(?)などの靴脱ぎ文化の影響らしい。コスモポリタン都市のロンドンはスーパーで寿司まで売っている(セルフリッジには回転寿司もある)くらいだから、「食」だけでなく「住」にも影響が出て当然かもしれない。そう言えば、市場の出店などで「BONSAI」を売っている店も時々見かける。なお、くだんの新聞への投稿によると、西洋人でもお金持ちほど土足で家に上がることをいやがる傾向がある由で、そもそも日本人が思うほど家の中で外履きの靴を履いているわけではないらしい。

マル(〇)
 日本ではバツ(×)の反対はマル(〇)に決まっているが、イギリスではこの場合「〇」は使わず、「ティック」(日本で言う「チェック」の記号)を使う。掲示や製品の表示、広告などで、この「ティック」が付いていたら、やって良い、あるいは適している、という意味。博物館でカメラの絵の横にティックがあれば、つまり「写真可」のこと。バツが付いていれば、もちろん不可。

忘れ物
 日本の車内放送で「お忘れ物のないように」というのは余計なおせっかいで、こんな事は外国では絶対しない、などと日本にいる時に聞いて、そんなものかと思っていたが、案外そうでもない。アナウンスはないかもしれないが、掲示や電光掲示板などを見ていると、イギリスでも「お忘れ物がないように」という注意はある。ただし、気を付けていると、「無駄な時間とコストを避けるために」という注釈があり、これはつまり忘れ物を拾って保管したりするのが手間だ……というのではなく、忘れ物=得体の知れない物体があると、「もしかしたら爆弾かもしれない」ということになり、避難と処理に膨大な時間とコストがかかってしまう、ということだとわかった。実際にそんな場面に遭遇したことはないし、聞いていたほど乗客も神経質ではないようだが、たしかに、「見知らぬものを見つけたら、さわらず、無視もせずに、係員へ知らせるように」というポスターはあちこちで見る。もっとも、サリン事件以来めっきり物騒になった日本も、このごろは同じ事かもしれない。

物乞い
 イギリスでは、日本よりもずっと物乞いが目につく。道や地下鉄の通路などに座り込んで、「Small change, please.」と一人でつぶやいている人、なぜか犬を連れてい座っている人、小さい子供を抱えて座っている人も時に見る。楽器のケースなどを前に置いて演奏している人もよく見るが、これは物乞いなのか、音楽家の卵が修行をかねてやっているのか、多分両方ありそう。さりげなくお金を置いていくお兄さんやおばさんを見ると、なるほど、と思うのだが、こういう人たちとどうスタンスをとっていいのか、未だによく分からず、たいていは大多数の人と同じく、そのまま通り過ぎてしまう。地下鉄に乗っていると、乗り込んできた人(たち)が突然演奏をはじめて、じきにお金を集めに来ることも時々ある。見ていると、結構お金を入れているが、目の前で容器をシャカシャカされたりするのは強制されるようで感じ悪いから、これは無視する。 日本ならこういう行為はたぶん相当厳しく禁じられるだろうし、反発もかうだろうが、ここではあまり目くじら立てられている気配はない。大都市なら、そこに色々な手段で生きる人が集まるのは当然のことで、ロンドンという都市の包容力にかえって感心する。物乞いこそしないが、現象的にはただ町を徘徊しているだけに等しい私のような存在も、似たようなものに違いない。
 なお、地下鉄では、時々乗客たちを相手に大声で説教を始める人もいる。聞く人も聞かない人もいるが、止める人はいない。

西暦2000年
 イギリスは、いま普請中。実にあちこちで建築工事にぶつかる。景気がいい、ということもあるが、一つの理由は、西暦2000年を目指した事業がいくつも進行しているためで、グリニッジ近くの再開発地区で建築中の「ミレニアム・ドーム」をはじめとする、「ミレニアム(千年紀)・プロジェクト」というのが、あちこちで行われている。国営宝くじ(ナショナル・ロッテリー=後述)の純益配分組織の一つにも「ミレニアム委員会」というのがあり、色々な工事に補助を出している。2000年(正確には2001年だが)から「第3千年紀」にはいる、というのは、キリスト教国としてはやはり重要な区切りらしく、相当気合いが入っている。
 博物館などでも、2000年ないし2001年を目指した増改築工事というのが、かなり目立つ。偶然もあるかもしれないが、ブリティッシュ・ミュージアムの旧閲覧室・中庭改修工事などは、通常の「ヘリテージ・ロッテリー・ファンド」の他に、「ミレニアム・プロジェクト」からも補助を得ているようだから(こういうのは、工事現場に大きく書いてある)、やはり意図的なものが多いのだろう。是非、これらが完成した暁にまた来てみたい。
 ただ、期限に間に合わせるというのはきわめて不得手なイギリスのこと、これまでも「いつから……」という情報を真に受けて何度も裏切られているので、一体どこまでが期日通りにできるのか、正直言っていささか心許ない。国家の威信をかけて(?)2000年1月1日に公開するとかいう「ミレニアム・ドーム」にしても、このごろ内部の様子が少し公開されたりしているが、細部はまだ決まってないらしい。アクセスとなる地下鉄ジュビリー・ラインの延長工事はべた遅れで、最近もストライキをやっていたし、ドーム自体も、資金が集まるのか?とか言われてるし、責任者のマンデルソン通産相は変な借金事件で今日(12月23日)辞任するしで、どうも暗い見通しのニュースが目につく。
 12月1日の公開日当日に訪問したスコットランド博物館は、前日のオープン日に女王はヘルメットをかぶって館にはいるのではないか、という冗談があったほどだったらしいが、なんとか期日通り公開はした。しかし、入ってみると、展示品の入っていないケースはあるし、景色が自慢のはずの屋上にはあがれないしで、実のところ「間に合った」とは言い難いレベルだったが、さて……。

宝くじ
 郵便局とか、スーパーとか、あちこちで目につくのが、「ナショナル・ロッテリー(国営宝くじ)」の「You can play here.」という、指を2本立てたマークの看板。イギリスではこれが大人気で、宝くじとしては、世界一の売り上げとか。方法は、日本の宝くじのように番号の印刷された券を買うのではなく、1から49までの番号から6つを選び、3つ以上当たれば、当たった数に応じて賞金がもらえる、というもの。申込用紙はマークシート式になっていて、お店ではその場で機会に読み込ませて引換券をくれる(らしい)。1回1ポンドで、1つの用紙で7種類(7ポンド)まで選ぶことができる。毎週水曜日と土曜日に抽選があり、テレビではゴールデンアワーに、バラエティーショーのような明るい感じで抽選の中継をやっている。仕組みが分かってから、時々番号を考えて架空の応募をやってみたりしているが、なかなか3つは当たらない。2つ当てるのも難しい。この方式だと当たった人の数は当然毎回変わるから、「一等〇千万円」などというのは決まっていなくて、配分額はその都度変わるらしい。
 この純益が、実は博物館の世界でも非常に大きな意味を持っていて、「ヘリテージ・ロッテリー・ファンド」という組織を通して、その一部が博物館・美術館の増改築や文化財保護などのために配分されている(抽選の時に、どんなことに使われているか、という紹介があったりする)。博物館の増改築などは、イギリスでは国立といえども国からは全く資金が出ないので、すべて自前で資金集めをしており、通常約半額弱くらいがこの「ヘリテージ・ロッテリー・ファンド」から支出されている。つまり、特別な事業ができるかどうかは、事実上宝くじにかかっている、というわけ。この「ヘリテージ」以外の対象としては、チャリティー、スポーツ、アート、前述のミレニアム、それに今年から「ニュー・オポチュニティー・ファンド」というのができて、これは健康・教育・環境等の団体に補助をするものらしい。
 考えてみればうまいことを思いついたもので、これは実際は、国が国民からお金を集めてこうした事業をしているに等しい。税金を取って補助をする、ないし国営で行う、となれば相当反対されるだろうが、宝くじだから、誰も文句は言わない。むしろ、有意義なことに使われるなら気分良くくじを買える(プレイできる)。それに、税金は不況になると取りにくくなるが、宝くじなら、景気が悪いときほど、「せめて宝くじでも……」という気分になるから、たぶん売り上げは落ちない。イギリスは、こういうことには国は直接お金を出さず、宝くじにやらせる、という国になっている。ただ、補助金の配分は各宝くじ財団がすることになるので、これを官僚が割り振るより良いと考えるか、悪いと考えるかは、議論の余地があろう。
 ちなみに、国営(ナショナル)といっても、やっぱり国が直営しているわけではなく、業務は民間に委託しており、いまは「キャメロン」という会社がやっている。博物館を含めて、現業部門で国家直営、というのは、軍隊を除けばもうほとんどないのではないかとさえ思える。
 なお、私は、イギリスでは収入を得てはいけない、という条件で入国を認められているので、もし高額が当たってばれたら、もしかしたらまずいんじゃないだろうか、などと余計なことを考えてしまい、まだ「プレイ」したことがない。

同性愛異聞
 前にイギリスでは同性愛は公認されており、日本よりずっと「進んで」いる、と書いたが、秋頃に、同性愛がらみの犯罪にあったことからウェールズ相が辞任させられるなど、政治家の不祥事やスキャンダルないしマスコミのプライバシー報道問題が続けて起こった。やっぱり同性愛者であることは、社会的にはかなり白い目で見られるらしい。後で日系新聞で知ったところでは、同性愛行為自体は一応合法化されているが、同性愛を勧める文書は非合法(?)、など事実上かなりの制約があり、実はオスカー・ワイルドが投獄された頃とたいして変わっていないとか。イギリスはヨーロッパ諸国の間では、かなり「遅れた」国であるらしい。それにしても、大臣や国会議員がゲイであることを暴露ないし白状させられる(カム・アウトと言うらしい)、などというのは、日本ではまだなさそうな話題。

クリスマス
 イギリスのクリスマスは、雰囲気的に日本のお正月にほぼ等しい。公式の祝日は、12月25・26日の2日間。日本ではなんだか24日がクリスマスみたいだが、「元日」に相当する本当のクリスマスはあくまでも25日で、24日はまだ準備に忙しい大晦日、という感じ。食料の買い出しなどで、スーパーは大混雑。マークスの食料品売場が歩くのも不自由なほど混んでいるのは初めて見た。レジには珍しく袋詰め要員を配置していたが、それでも長い行列。
 24日クリスマス・イブの真夜中には、降誕礼拝が行われる。これはテレビでエジンバラのセント・ジャイルズ大聖堂の中継をやっていたので見ることができたが、わらで作った馬舟のゆりかごをかたどったクリブ(crib)というものを教会の中に置き、25日午前0時をはさんで礼拝を行うもので、なんだか除夜の鐘や初詣に似ている。テレビ中継を見ていると、まさに「ゆく年来る年」の気分。テレビも、これ以外は昔の映画が多く、あとは「正月番組」のようなバラエティー番組など。テレビ・ガイドも、クリスマス・新年(ただし、金曜までだから今年は1月1日まで)2週間分の特別版。
 なお、テレビ局によっては、非キリスト教徒に配慮して、敢えてクリスマスを宗教行事として取り上げない、というところもある(民放の4チャンでは少し前にそういうメッセージを見た)。BBC(1チャン)は普段でも日曜には朝と夕方に教会中継の賛美歌などの番組があるので、もちろんクリスマスにもやる。逆じゃないか、という気もする。
 イブの教会行事としては、この他に子供の礼拝「クリスティングル(Cristingle)」というのがあり、オレンジに蝋燭を立て、お菓子を付け、リボンを結んだもの(それぞれ地球、キリスト、実り?、プレゼントを象徴)を一人づつもらって、クリブの前に集まってカロルを歌う、というものの由。チェコのモラビア地方で200年ほど前から行われていたものを、20年ほど前からイギリスでも取り入れるようになり、今では多くの教会で行っている人気行事とのこと。(なお、クリブは、地元のイングランド国教会の地区教会のものは、日本でもよく見るような、生誕の場面の人形群をわらの上に置いたものだった。スコットランド教会は純粋のプロテンスタントなので、その辺の違いがあるかもしれない。)
 25日は、教会ではクリスマス礼拝があるが、ふだん教会へ行かない人は、やはり行かないようだ。この日はバスや地下鉄もほとんど(空港バスなどを除いて)止まってしまうし、おとなしく家にいて、家族や友人などとクリスマス・ディナーを食べたりするらしい。まさに、元日の雰囲気。ただこの頃は、クリスマスにも営業する店が徐々に増えている、とニュースで言っていた。これも日本の正月と同じ。
 25日の3時からは、BBC1で女王のメッセージが放映される。王室の活動のフィルムを交えながら女王がテレビカメラに語りかけるもので、簡単な「お言葉」ではなく、今年は世代間の問題を取り上げたかなり長いもの。番組の終わりには、もちろん国歌「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」が流れる。
 26日はボクシング・デーという休日(掃除夫・郵便配達・使用人などにクリスマス・ボックスを贈るという習慣からこう言うらしい)。今年は土曜なので、月曜に振り替えられ、28日まで連休。

セール
 このクリスマス休みが終わると、セールのシーズン。クリスマスの頃から、テレビのCMも「当店のセール〇〇日から!」というのが目立ってくる。これもだんだん早くなっているそうで、早いところはクリスマス前から始めている。
 このセールというのは、日本のデパートのセールのような半端なものではない。私は買い物や人混みが嫌いなので自分では行かないが、家内その他からの伝聞によると、どこも朝からものすごい人出になるらしい。早いところは何と朝の6時半から開店するとか。地元のマークスもあまりの人出で入場制限をしていた由。ちょっと出遅れるとお目当ての品が手に入らないとあって、初日は開店と同時に殺到するらしい。割引は色々だが、最初から半額になっているのも多いらしい。どうやら、ロンドンの地元の人は、普段は定価で買い物などはせず、これをねらっているのではないかと思われる。クリスマス用品も半額になったりするから、来年のクリスマス用品はこの時に買っておくのだとか。外国からのセールねらいの観光客も多く、これは付加価値税(VAT。一種の消費税だが、現在17.5パーセントもする)の払い戻し手続き(手数料が必要)の場所が混雑することで分かる。ここがすいている店は、イギリス人の客が多い、ということ。なお、有名なハロッズのセールはちょっと遅くて、1月6日から。

新年
 イギリスではクリスマスが「お正月」だから、年越しには厳粛なしんみりした雰囲気を期待してはいけない。日本の年越しといえば、何と言っても除夜の鐘に初詣。日本では教会でもたいてい新年礼拝をしていると思うが、イギリスの新年にそうした宗教色は一切ない。教会も、なんにもしない。(歳末にロンドン塔近くの史跡でもある教会に立ち寄ったところ、「年中無休」のはずが、12月27日の日曜から1月3日の日曜までの間は閉めます、と掲示が出ていた。クリスマスのお疲れ休みだろう。)
 元日は一応休日だから、大晦日(ニューイヤーズ・イヴ)は、スーパーはまた買い出しでちょっと混雑。でもクリスマスの時ほどではない。夜になると、近所でまた花火の音。いつものように8時頃インターネットで日本のニュースを見ると、安室奈美江が泣いたとか、紅白の話がもう出ているのがなにか奇妙。
 新年の瞬間はどんなものかとテレビを見ていたら、BBC1と民法の3チャンが、一応同時中継をやっていたが、内容はポップ・ミュージックのコンサート。なぜかどちらもエジンバラからの中継。(そういえば、クリスマスの夜も、BBC1はエジンバラの教会からだった。)テレビに写った大通りの光景は、信じられないくらいの人出。本当に人でぎっしり。ロンドンのトラファルガー広場が新年を祝う人でいっぱいになるとは聞いていたが、そこだけではないことが判明。そして12時になると、バグパイプでアメージング・グレースを吹きながら時報の大砲を打って、花火、花火、花火。煙で何も見えなくなるくらいすさまじい量の花火が一気に打ち上げられる。とても一つ一つを愛でるようなものではない、とんでもない景気づけ。近所の花火も、もちろん威勢良くぽんぽん音を立てていた。
 年が明けてからの挨拶は、「Happy new year to you !」 。ただし、クリスマスに会わなかった人からは、「Happy christmas !」と言われたこともある。まだクリスマスツリーも飾ったままだし、新年はクリスマスの季節の一部に過ぎない、ということらしい。

インターネット
 日本にいるときはそれほど使わなかったが、こちらに来てみると必需品になった。毎日ほぼ必ず見ている。まず、メールが来てないかどうか。日本との通信は、これを使うことが一番多い。逆に言うと、Eメールを使わない人とは、つい疎遠になってしまう。74才の私の父とも、毎週これで近況を知らせあっている。
 イギリスの人とも、面会時間の打ち合わせなどで使うこともあるが、信頼度は今ひとつ。博物館関係者は、アドレスは持っている人が多いが、なぜかうまく通信できなかったり、ファイルを開けなかったり、届いていてもなかなか返事が来なかったり、結局手紙を書く方が確実で安心できる。普段から連絡を取り合っている人以外との通信には不向き。
 次に、日本のニュースを見る。これは、契約している通信会社が日経新聞と連携しており、主要記事の要旨が見られる。それから、円相場のチェック。夏ごろまで円安がどんどん進み、どうなることかと思ったら、秋から急に円高になった。手持ちの円をポンドに替えるしかないので、どうしても気になる。
 後はBBCのホームページを開けて、ニュースと天気のチェック。テレビも見ているが、こちらの方が文字を落ち着いて見れるので安心。天気は、非常に難解な文章表現だけだったが、途中からイギリス各地の4日分の予報がマークでも出るようになった。もっとも、これはあまり当たらない。「世界各地」というのもあるので、お正月ころためしに東京を見てみたら、なんと全部晴れマーク。イギリスでは、こういうのはちょっと考えにくい。日本の通信会社のページでも、世界の天気というページがあり、これは一週間分を出していて、もちろんロンドンもある。本当に、世界の情報差はなくなりつつあるし、どうかすると逆転さえしている。
 しかし、こういう「主要ニュース」でものごとを分かったつもりになってはいけない。知人が送ってくれた日本の新聞を見ると、千葉の中学校の運動会によその中学生が乱入した事件とか、まずインターネットのニュースには載らないような話が満載されているので、やはり実際の所はなかなか分からないと実感。これは、イギリスで暮らしてみなければ分からなかったことが多いのと同じこと。10ヶ月も離れていれば、日本もさぞ変わっていることだろう。
 ブリティッシュ・ツーリスト・オーソリティーのホームページも、見所や宿泊などの情報が出ているのでよい。何度か空振りもあったので、このページを知ってから、出かける前にはここで開館日や時間などをチェックするようになった。日本のガイドブックもずいぶん詳しいのがあるが、情報はまだまだ古いし、不正確。イギリスの博物館は動きが早く、イギリスのガイドブックでもまだ情報が追いついていないこともあり、これはインターネットの情報が一番確実。自前でホームページを開いている博物館も、もちろん多い。
  歴博のホームページも時々開けてみる。企画展の情報とか、考古と民俗で助手を募集しているな、とか。そう言えば、こちらでは「館長募集」なんて広告も見る。

求人広告のこと
 「募集」で思い出したが、こちらの求人広告では、日本のように何歳以上とか以下とか、そういう条件は絶対に付けない。性別ももちろん付けない。要するに、人を能力以外のことで区別するのはすべて差別である、という原則が徹底している。年令による差別(エイジズム)は、人種差別や性差別と同じくらいたちの悪い差別と見なされている。性別・年令・学歴などを堂々と条件にする日本の募集の仕方は、国際的に見るとあまりにも非常識であることに気付く。

マイルド
 この冬は、1月上旬くらいまでの所では、寒い日はそれほど多くなく、最低気温でも5度以上ある日が多い。こういう日を、こちらでは「マイルド」であると言う。日本では「暖冬」と言うが、実際は「暖かい」わけではないから、この方が適切な表現。昨夏(98年)はひどい天気だったので、その分穏やかなのだろうか。冬は二週間くらいお日様を見ないこともある、などとおどかされていた割には、まずまずの天気の日も少なくない。雨は相変わらず多いが、そのおかげで湿度は高いので、乾燥でのどを痛める心配があまりないのは、思いがけず良かったことの一つ。

冬から春へ
 1月中旬に入った現在、日は早くもずいぶん延びてきた感じがする。12月中・下旬頃は、8時に起きてもまだ薄暗く、3時過ぎには暗くなる、という感じで、太陽がずいぶん低く思えたが、この頃は天気がいいと5時ころまで空が薄明るかったりするのはうれしい。夏はあれだけ日が長くなるのだから、変化も早いのが道理で、思ったより冬を長く感じないですむ。真っ暗になる時間を、一番日の短いときで4時、長いときで10時とすると(実際はもう少し差が大きいと思うが)、6時間の差を6ヶ月で埋めることになるから、一日あたり2分日が伸びていく勘定になる。
 冬が長いというのは、同じように暗く寒い日が続くのではなく、実は春に至る過程が長いのだ、ということに気がついた。水仙やスノー・ドロップはもう芽を出しているし、天気が良ければそこはかとなく早春の雰囲気さえただよう。冬至に近いクリスマスで冬が底を打ち春に向かう、ということが実感できる。

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