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「花の御所の糸桜」

(歴博企画展示図録『天下統一と城』2000年、千田嘉博・小島道裕編『歴博フォーラム 天下統一と城』塙書房、2002年。一部修正)

 室町時代の武家邸宅の規範となった花の御所の一つの特色は、広大な庭を持っていることである。しかしそれは決して枯山水などではなく、必ず池があり、水が流されていた。記録によれば、義満の花の御所は、鴨川から引いた水が音を立てて流れていたという。
 そして、またそこには豊かな緑があった。連歌師飯尾宗祇は、1480年に訪れた大内氏の山口の館で、「池は海、こずえは夏の深山かな」と発句を読んでいるが、義満の花の御所もまたそうであったろうことは、洛中洛外図屏風に描かれた後の将軍邸の庭園からもうかがうことができる。
 では、花の御所にあった「花」とは、なんだったのだろうか。「花の御所」という名前自体は、義満の館がおかれる以前にあった菊亭家の屋敷の通称によるものといわれ、必ずしも義満の御所にあった花とは結びつかないかもしれないが、しかし、そこに多くの花木が植えられていたことは間違いない。たとえば、花の御所を模した守護所の一つである尾張の清須(清洲)には、「柳の古木、藤、山吹」が植えられていたことがわかるし、洛中洛外図に描かれた室町幕府の庭を見ると、紅白の梅はあったと言えそうである。
 実はこの他に、義満の花の御所に確実にあった花がある。それは糸桜(枝垂れ桜)で、義満が花の御所を造営していた際の永和4(1378)年2月28日、近衛道嗣の日記『愚管記』には、義満が近衛邸の庭から糸桜の小木を所望した旨の記事がある(近衛通隆「近衛第趾に就いて」『歴史地理』86-2、1955年)。近衛邸の糸桜は大変有名で、洛中洛外図屏風(歴博甲本)にも描かれているが、その「小木」が花の御所に移植されているのである。苗木、ということであろうか。
 この糸桜がその後どうなったかは定かでない。洛中洛外図の将軍邸(歴博甲本の「柳の御所」と、それ以降の再建された「花の御所」)には糸桜と特定できるようなものはないようなので、最初の花の御所が荒廃した際に枯れたのであろうか、16世紀半ばまでは、残っていなかったのかもしれない。
医光寺庭園の糸桜(益田市提供)

 しかし、ひょっとすると、花の御所の糸桜の子孫かもしれない糸桜が、現存するのである。島根県益田市にある医光寺は、石見の有力国人益田氏が保護した崇観寺の後身だが、そこには雪舟庭園として名高い庭園がある。実際に雪舟の作かどうかは確証はなく、筆者に判断することもできないが、見たところ、江馬氏館や、あるいは山の斜面に面した地形からは、近江上平寺城の京極氏庭園(滋賀県伊吹町)に似ており、室町期の武家庭園の典型例であろうと思われた。益田氏は、大内氏に従って上洛もしており、後に将軍義晴から編偉を受けてもいる。将軍邸に伺候したことは間違いないだろう。
 そして、この医光寺の庭園には、樹齢300年とも言われる、糸桜の古木が今も滝のように、見事な花をつけている。斜面に無理に植えられたこの糸桜は庭園の中で重要な位置を占めており、また付近に糸桜は自生しないから、どこかから持ち込まれて意図的に植えられた物であることは間違いない。となると、これは益田氏が京都にいた時に、将軍からもらって、帰国後に自らの館と密接な関係がある禅寺に庭園を作り、「本家」の花の御所の故実に倣って植えたもの、という可能性が浮上してくる。現在の木は既に二代目か三代目であろうが、現に後継の若木は寺内に既に育てられており、こうした由緒のある木は、こうして増やされ、跡を継いでいくものであろう。想像をたくましくすれば、将軍側でも、将軍の麾下にはいり、将軍邸を模倣しようとするような国人には、苗木を与えるサービスくらいしていたかもしれない。
 歴博に近い千葉県四街道市の福星寺(ふくしょうじ)という、戦国期の城館の跡に建てられた寺にも、有名な糸桜の古木がある。これは、どうも直接城館とは結びつかず、本寺である金光院という千葉市内の寺院から分けられた物のようだが、この金光院は中世にさかのぼる千葉氏ゆかりの寺であり、やはりもとをたどれば花の御所の糸桜に行き着く可能性がある。千葉氏一族の東氏の館(岐阜県大和町)が、立派な庭園を持ち、典型的な花の御所写しと思われることも思い起こされる。
 福星寺の糸桜の花は、現在よく見かける品種とはやや異なり、花の色は淡く、花弁も少ない。医光寺の花はまだ実見していないが、写真では同じ品種のように思えるし、開花の時期がソメイヨシノよりやや早いことも共通している。
 いささか妄想めくが、枝垂れ桜の古木のいくつかは、もしかしたらこのような「花の御所」とその地方への伝播につながる歴史的由緒を持っているのかもしれない。DNA鑑定かなにかで、確認するすべはないかとひそかに考えている。

〔参考文献〕
『史料集 益田兼堯とその時代−益田家文書の語る中世の益田(二)−』 (井上寛司・岡崎三郎 編集・執筆、益田市教育委員会、1996年)
『史料集 益田藤兼・元祥とその時代−益田家文書の語る中世の益田(三)−』 (同、1999年)



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