8 砂沢遺跡
稲作を行うにあたり,渡来系の人々と縄文系の人々のどちらがより主体的な役割を果たしたのか,という論争があります。縄文系で,もっとも主体的だったのが砂沢遺跡の人々です。ムラのすぐそばに水田を造り,土偶の祭りを行った唯一の人々だからです。彼らから見ると福岡県の板付遺跡の人々などは,身も心も渡来系の文化に染まっていると見えたことでしょう。(藤尾)
参考文献
・宇野隆夫 1996「書評 金関恕+大阪府立弥生文化博物館編『弥生文化の成立−大変革の主体は「縄紋人」だった−』」『考古学研究』43-1

2014 国立歴史民俗博物館